488 「ドイツの接近」
私の前世、いや夢の通りに、ドイツとの関係強化に動いている日本人は、少なからずいる。
日本の仇敵であるソ連が、コミンテルンの形で日本とドイツを名指しで敵視してきたというのが一応の理由だ。
一方で、ドイツ人の一部も、日本に利用価値ありと見て動いている。
しかもこの世界では、ドイツと関係の深い蒋介石の国民党が主権国家ではなくただの地方軍閥で、金儲け先としても細いだけでなく、ソ連の牽制役にもならない。
だから、日本に向けるドイツの視線が意外に熱い。
さらにドイツとしては、日本をダシにして英国との関係強化という目論見もあるみたいだ。もしくは逆に、英国の欧州大陸への干渉をけん制する目的があるという分析もある。
ただ、日本全体としてみると、ドイツとの関係強化の熱意はかなり低い。
何より、この世界の日本はボッチじゃない。
私の前世の歴史と違って国際連盟に属したままだし、英米との関係も悪くない。だからドイツに視線を向けるのは、ナチスの上っ面の経済的成功に湧いているニワカと、重度のソ連怖い病の一部軍人くらいしかいない。
他に厄介なのは、ナチスやヒトラーに影響された信奉者と言える連中だろう。
「ドイツねえ。知っての通り、お前の夢の通りに動いているよ。日本側は、大島っていうドイツにずっと居る軍人が中心だな。調べさせたが、あれはダメだ。ヒットラーに心酔している。転向はまずない。ナチ党の一部の高官とも頻繁に接触している」
「大島浩か。その人は、押さえつける以外ないでしょうね。他は?」
「2年前の冬に軍縮会議の予備会談で、ロンドンにいた野村提督とあの五十六を、ドイツの提督とお前の言っていた立憲党みたいな名前のやつと会わせようとしたらしい」
「ハッタリ野郎のリッベントロップね。あそこにいたんだ」
「そう、そのハッタリ野郎が、ドイツの軍縮問題の全権だったそうだ。ただ、会わせようとしたのは、ドイツの商人だ。資料が確かあったと思うが……これだな」
そう言って寄越された1枚の紙面には、フリードリヒ・ハックとあった。どこか引っかかる名前だけど、ナチでなければアカなのだろう。
そしてなぜ海軍かといえば、日英同盟が破棄されてからは、日本海軍が海外から軍事技術を入手するのが難しくなったので、当時軍備の制限されていたドイツからの技術入手を図ったらしい。
ドイツ側としても、保有を禁止された航空機や潜水艦の間接的な開発を日本人にさせる意図があった。けどドイツ側は、軍人がするわけにいかないので、商人が窓口となっていたわけだ。
それにしても、なんでナチスはこうも素人ばかりを重要な外交に使うのか、頭が頭痛で痛くなるという表現を用いたくなる。
「それでこのハックって人の誘いで、野村提督はリッベントロップと会ったの? 総研の情報では聞いてないけど」
「会うどころか、門前払いしたらしい。提督らはドイツにも行っていない。だからお前の耳にも入らないんだろ」
「それもそうか。それで?」
「そのハックは大島浩と関係を深めて、日独の関係強化に向けて日々健闘中だそうだ」
「捻りつぶさないとね。……いや、条件付きならアリかも」
「また悪い顔をしているぞ。何を思いついた?」
そう返すお父様な祖父も、実に楽しげな表情だ。
だから、さらに人の悪い笑みを向けてあげる。JKな姿になってこの手の笑みを浮かべると、実に悪役令嬢っぽく見えるのだ。あまりに似合うから、鏡の前で練習すらしてしまいたくなる。
「防共協定なら条件付きでよし」
「お前がダメだと言っている話なのにか? その心は?」
「同じ交渉のテーブルに、最低でもイギリス、可能なら英米仏の3カ国、それにポーランドや東欧のトップクラスの代表を座らせる事」
「全世界規模での防共協定か? そりゃあ無茶だ」
「無茶でいいのよ。既に日英米で不可侵条約を結んでいるから、最低でもその線ね。確かポーランドとドイツも不可侵条約結んでいたわよね。合わせたらいいのよ」
「それでソ連だけじゃなく、ドイツの行動まで封じようってのか? 悪どいどころじゃないな。俺でも思いつかなかったぞ」
「そう? どうせ出来っこないから、あの詐欺師がどう返してくるのか、見ものじゃない」
「本当に会議の席に連れてきたらどうする?」
「それはそれで万々歳じゃない。陸軍も泣いて喜ぶんじゃないの? あのペテン師にそれができれば、の話だけど。そんな事より、日独の接近の現状は?」
世界を奈落に落とした道化の真の力は、前世の歴史の中で知っている。だから、それよりも現状が知りたかった。
それにしても、なんであんな奴に世界中が引っかき回されたのか、後世から見れば、そしてちゃんと調べれば本当に不思議になる。
お父様な祖父も、軽く鼻で笑うだけだ。
「陸軍中央は陸軍省も参謀本部も、大島にドイツとの行き過ぎた友好関係構築の工作や接触をするなと命じている。外務省もその話を知って、徹底的に邪魔をしている。どっちも、ドイツの軍人や外務省の人間の行動は信頼できるが、ナチ党の人間は全く信頼が置けないそうだぞ」
「日本の主流に常識があって良かった」
「親英米、国連外交が最重要な事くらい、赤子でも分かる事だからな」
「分からない人が、ドイツの幻想に踊ったり踊らされたりしているじゃない」
「全くだ。だがな、常識人はナチ党に支配されたドイツにも居たらしくてな、日本側が告げ口したら向こうでも押さえにかかっている。ドイツとしては、日本との関係強化より、当面は蒋介石の南京臨時政府との商売が重要らしい」
「けど、去年の夏にコミンテルンが、日本、ドイツ、ポーランドを名指してきたじゃない。大陸じゃあ、共産党の日本人へのテロも度々起きているし。あれって、互いに接近する理由になるんじゃないの?」
「日独どちらも、軍人はお互いを無用と見ているぞ。それにお前が言いふらしたお陰で、日本人の側にドイツ不信が強くなっている」
「言いふらしたなんて人聞きの悪い。本当の事を言っただけじゃない。『我が闘争』の総統閣下の日本人評を見たでしょう。個人としてはともかく、国としてのドイツはエゴイストもいいところよ。歴史を見れば明らかでしょう」
「そのエゴイストの親玉は、知っての通り英独海軍協定をペテン師が上手くまとめたのに気を良くして、詐欺師がやりたいという日独接近外交を任せている」
「色々あって失敗続きでしょうに。ちょび髭の伍長も気が長いわね」
「ドイツ国内での、外交の正当派への対抗馬が欲しいだけだろ。自分の思い通りにしたいから。だがドイツの主流の極東外交は、日本、張作霖ではなく蒋介石を選んだ」
「その上日本は、第二次ロンドン海軍軍縮条約を結んだ上に、日英米仏で不可侵条約を締結」
「そして、イタリアのエチオピア侵攻で日本とイタリアの関係は極度に悪化してるってのに、ドイツはこの3月にラインラント進駐をしてさらに国際関係を緊張させ、孤立した者同士で繋がり始めた」
「アレ? 私その話知らない」
「そうなのか? アレは秘密会談だったかな? ともかくこの1月にヒトラーとムッソリーニが折衝して、ドイツはイタリアのエチオピア併合に対する不干渉を、イタリアはオーストリアへの関心の放棄を相互に認めたんだよ。知らないか?」
「聞いてた。その話ね。確か犬養元首相が怒ったのよね」
「そうだ。ドイツ、イタリア、特にイタリアと日本の関係強化は、私の目が黒いうちは絶対に認めん、とな。元気な爺さんだ」
「そんな状態なのに、まだ日独連携を諦めて居ない人がいるの?」
「そりゃあ、大島もペテン師も後には退けんだろ。まあ日本側は、ドイツの蒋介石援助に怒っているから、今のところ交渉の席に着く気は皆無だがな」
「日本側は本当に大丈夫?」
「首相が宇垣さんで、外相が吉田茂、ついでに内相が犬養毅だぞ。ペテン師の言葉に耳を貸すわけないだろ」
「いちいちごもっとも。じゃあ、外交上は丁重にお断りでおしまい?」
「いっそ、今お前が言った、ソ連以外の国の代表を全部連れてきたら話を聞いてやるって案を教えても良いかもな。宇垣さんなら、大笑いして採用するかもしれんぞ」
「吉田様でも同じ反応しそうね。話す機会があるなら、雑談程度で伝えてみたら。笑い話以上にはならないだろうし。笑って相手の案を蹴るのも乙でしょう」
「良いかもな。だが陸軍は、大島浩にやりすぎると駐ドイツ大使館付武官の任を解くと伝えたそうだ。これで話は終わりだろう」
「だったら、良いけどね」
そうは返したけど、日独防共協定は、私の前世の歴史ではもうすぐなように、私にはまだ決着は見えそうに思えなかった。
大島:
大島浩 (おおしま ひろし)。「駐独ドイツ大使」と言われた。
この人がナチスとヒトラーに心酔しなければ、日独の関係はどうなっていただろうか。
2年前の冬:
史実では、山本五十六が似たような経緯でドイツのレーダー提督、リッベントロップと会談している。
この辺りから、日独の接近、防共許定の話が本格化した。
フリードリヒ・ハック:
史実でも、作中と似た行動をした。
『我が闘争』:
近代史をするなら一応読んでおくべき、かもしれない。
けど、口述筆記だからか、読むと眠たくなったり、目が滑りやすいかもしれない。
個人的感想は、当時の総統閣下の愚痴がダラダラ書かれているだけにしか思えない。




