485 「宇垣内閣発足」
鳳でパーティーがあったのと同じ日、1936年の4月19日が衆議院総選挙だった。
翌日には大勢が判明した結果は、下馬評通り政友会が勝利。政友会総裁の宇垣一成が次の内閣総理大臣となるので、早速組閣に入った。
なお選挙戦では、民政党は途中から離脱者が出て「国民同盟」と言う政党を作った。このため政友会の議席上での勝利は、前回選挙より広がった。
離脱した主催者は安達謙蔵。どういう人かと言えば、要するに民政党のタカ派。軍部と協力して統制経済と大陸利権、特に満州利権の擁護という名の拡大を政策に掲げていた。
そしてこれに、政友会の副総裁の鈴木喜三郎が病気がちな事から、久原房之助、鳩山一郎へと権力移譲が進んだタカ派とくっついた。
この政友会の派閥は、財閥でいえば日産繋がり。最終的には久原の義兄の鮎川義介を介して、岸信介に続いていくんだろう。
ただし岸信介は、今は満州臨時政府で辣腕を振るっていて、日本にはいない。
そうして民意が明らかになった選挙結果だけど、タカ派は惨敗した。未曾有の好景気なのと、『二・二六事件』への反動の結果だ。
内心かなり気を揉んでいたから、『二・二六事件』よりもホッとしたくらいだった。
一方で、『二・二六事件』で国民から叩かれている軍は、そうしたタカ派の政治家たちとの繋がりを深める事で、非難の回避を図ると同時に政治への浸透を行った。そこしか逃げ道が見当たらないからだ。
そして元軍人の宇垣一成が内閣総理大臣となるので、政友会と陸軍双方の主流である保守派もしくは穏健派も無視はできず、一定程度の譲歩を強いられた。
叩きすぎると徴兵忌避などが起きて国防の根幹に関わる可能性があるので、議会上で必要以上に軍を叩かないと言ったあたりだ。
私の前世の歴史では、もう少し先に成立する筈だった宇垣内閣を潰した石原莞爾も、親分格の永田鉄山がいる影響もあってか、それなりに大人しくしている。
そうした中で成立した宇垣内閣だけど、政財界の一部では先日永田鉄山が私に言ったように『鳳内閣』と言われた。幕末以来、傍流だった鳳一族が、ついに悪の一党として日本の頂点を極めたかのような話だ。
もちろん、永田鉄山から聞いたような話や、鳳が掴んでいる情報から見られる先入観もあるけど、要するに政党、政治家を後援する財閥の綱引きの結果、そう見えているわけだ。
鳳は、日産など新興財閥が成り上がるより一歩先んじて、巨大化した財閥になる。一応古株の財閥で、成り上がりは幕末・明治維新の頃、日露戦争後、第一次世界大戦の頃と色々あるけど、規模が巨大化した時期から新興財閥の一角もしくは一番の出世頭と見られている。
けど、日産など新興財閥から見れば、自分たちに先んじた蹴落とすべきライバルでしかない。しかも機関銀行を大銀行に育て上げたという時点で、古い財閥と同列だった。
実際、鳳財閥の中枢である鳳ホールディングスは、日本の7大銀行の一角だ。鳳グループの財閥としての括りも、5大財閥や4大財閥の一角だ。
もう『石油の鳳』だけではない。
石油産業には古くから手広くしているけど、鉄鋼、造船、トラック、重機、工作機械など、重工業の中枢部の多くを占めているという、他から見て無視したくても無視できない相手だ。
さらに運輸、土木でも抜きん出たし、戦車生産など軍需にも手を広げつつある。
そして政党の支持で見ると、伝統の三井は政友会、三菱は民政党で分かれている。さらに政友会は三井以外の財閥の多くが付いており、安田や第一と言った大銀行系の財閥は政友会側だ。
鳳は小さい頃は民政党(憲政会)だったけど、鈴木を飲み込む辺りで政友会に乗り換えた変節者だ。だから三井などから嫌われている。三菱も表向きは、一時期は鳳と一歩距離を開けた。
そうして新興財閥が、日産を中心に軍産複合を目指すような政治家連中と深く結びつくも、軍産複合の最重要を占める鳳とはつるんでいなかった。
だから政治の地図での財閥の位置で言うと、鳳グループはどの派閥にも属さない宙ぶらりんという事になる。
鳳は、良くも悪くもエースにしてジョーカー、もしくは異端児だ。
一方では、三菱との友好関係もあり、政友会、民政党を結ぶ事ができる立ち位置にもある。他の財閥とも、協力できるところはしているし、向こうから敵対してこない限りは喧嘩はしない。
もっとも、喧嘩になったら全力で叩き潰しに行かせているから、タチの悪い相手とも見られている。
財閥の力学以外で見ると、政界重鎮との太いパイプもある。一族当主などが陸軍将校なので、陸軍との繋がりも深い。
さらに日本の全ての面から見ての、もはや特異点となった紅龍先生という存在まである。
財閥自体の急速な隆盛も合わせると、誰も鳳を無視できなかった。
そうして混乱を前にして、そうした全てをより合わせるかのように成立した宇垣内閣で、一番のポジションを占める事に成功した。
側から見れば、我が世の春の到来と映っても仕方ないだろう。
「この5年で区切れば、ぶっちぎりで税金を納めているのが鳳グループなんだから、多少は我儘言ってもバチは当たらないわよ。お上に何億円搾り取られたと思ってるのよ」
新聞を読みながら私は嘯く。
毎日、朝日、読売の各大新聞は、新たな内閣成立の記事の片隅で揃って鳳を叩いている。
もちろん私、というか鳳グループは、先日私が永田鉄山に言ったように、言い過ぎた連中には仕返ししている。
皇国新聞や系列の雑誌、さらにニュース映画の広告では、グループのスローガン『列島改造』『所得倍増』実現の為には政策実現可能な内閣と、国民一人一人の力が必要だと訴える。その一方で、暗に非難してくる連中は日本の国力増大を阻止しようとする共産主義のシンパだと煽っておいた。
「持っているところから取る。正しい税制じゃない」
「随分と買い物もしたし、グループも大きくなりましたからね」
嘯いたのが仕事部屋なので、お芳ちゃんとマイさんが一言論評を添えてくれる。他2名の頭脳担当も、私以外の言葉を支持するように頷いている。
「『臨時利得税』なんてものもあるものね。あれと関税で、どれだけ搾り取られた事か」
「その税制、戦時経済になったら、搾り取られる額が上がり続けるって研究結果が出てたね」
「まあ、戦争国債で兵隊を養い武器を作りまくるわけだからね。けど、考えてみたら不毛ね」
「戦争で儲かるなんて、幻想だから?」
「戦争当事国はね。武器を売るだけなら、ウハウハよ。大陸情勢が、このまま永遠に内輪揉めで進んでくれたら最高ね」
「悪党だなあ。それより、鳳内閣の影の支配者は、この内閣で何がしたいの?」
「そうだなあ」と、影の支配者を否定しなかったから、マイさんが苦笑している。
「そうだなあ、自由経済で経済を拡大できるだけ拡大。あと3年ほどは、後先考えないくらいに」
「その先は?」
お芳ちゃんじゃなくて、マイさんのお言葉。声に不安が乗っている。まあ当然だろう。
「前も言いましたけど、ドイツの偽装国債が八方塞がりになる前に、ドイツが半ば自動的に対外膨張を始めるから、その先は欧州が戦乱の時期に入ります。
だから日本も、否応無く最低でも準戦時経済に突入します。そうなる前に、可能な限り国の図体を大きくするしか、日本が生き残る道はありませんから。
まずは、でかい軍隊より、どでかい国力、です」
「お嬢の夢だと酷いもんだしね」
「玲子ちゃんの夢か。現状だと随分違うけど、そこまでする必要があるのかしら?」
「備えあれば憂いなし。大は小を兼ねる。ですよ」
「確かにそうね。それで、宇垣内閣には何をしてもらうの?」
「『列島改造』『所得倍増』のさらなる推進。特にインフラ整備ですね。国防道路って名前にして、ドイツのアウトバーンみたいな高速道路網を作っているでしょ。あれをさらに拡大します。
あと、水力発電とセットのダムのさらなる建設。臨海工業地帯拡大の為の埋め立て事業の促進。農村から出てくる新たな労働力に対する、新興住宅地の整備。他にも、して欲しい事は幾らでもあります。正直、あと10年欲しいですね」
「まさに『列島改造』ね。でも確か『所得倍増』の方は、早ければもうすぐ達成なのよね」
「そうですね。総研の情報だと本年度の第1期、夏までに、数字的には達成ですね。けど名目GDPだから、実質の所得で二倍になるにはまだ先ですね」
「実体感として所得が二倍に感じるのって、難しいわよね」
「まあ、その辺の上っ面の数字とか『気分』で、新聞各社や財閥嫌いな人達は鳳を叩いているわけですけどね。財閥ばかりが好景気の恩恵を受けているって」
「半分は事実じゃない。財閥が儲けたお零れが、各所に浸透するまで時間がかかるんだから」
「それが分かってて喚いているから、私はブン屋が嫌いなのよ。連中、不満を持っている人達が見たいものだけを見せて、それで部数を伸ばしているんだから。寄生虫か、あの瓦版屋どもは!」
「玲子ちゃん、言い過ぎ」
マイさんの言葉で少し頭は冷えたけど、私や財閥が世の中の悪党であるという以前に、煽るのが仕事になっている新聞を苦々しく思う人達が増えるのを、年々実感させられるようになっている。
叩かれる側として年々目立っているから仕方ないし、半ば有名税だと割り切りはするけど、たまにキレたくなる。
だから周りも、苦笑まじりに嗜める程度に留めておいてくれる。
「はーい。外では気をつけまーす」
「まあ、それは当然として、お嬢は他は良いの?」
「ええ。軍には必要以上譲歩しないし、外交は親英米一直線だし、文句ないわよ。宇垣様と吉田様なら安心。願わくば、長期政権になって欲しいわね」
「それは言えてるわね。3年くらいは続かないと、何をするにしても政治の方向性がブレるものね」
「本当にそうですね」
そう話を締めたけど、マイさんからそんな言葉が出るという事は、この世界の日本の政治はここ10年ほどに限れば、それなりに続いた政権が多い事を私に教えてくれている。
床次竹二郎の急死と、クーデター未遂で近衛文麿の重傷はイレギュラーな類だ。民政党政権はイレギュラーもあって2人とも短かったけど、その前後の田中政権と犬養政権は3年以上続いた。
返した言葉通り、宇垣政権も3年以上続いて欲しいと心底思えた。
タカ派:
念のため補足。戦後の言葉だから、言葉として主人公が使う事はない。
強硬派、好戦派では十分な言葉にすると長くなりそうなのもある為、こちらを使った。
「国民同盟」:
史実でもこの時期に存在した政党。経緯もほぼ同じ。
久原房之助:
日産の前身となる久原財閥を作った後、政界に進出。
権謀術数に長け、政界の黒幕と呼ばれた。
「名目GDP」と「実質GDP」:
ごく単純に、幾ら儲かったのかが「名目GDP」、幾ら買えるのかが「実質GDP」だろうか。
もしくは、所得(儲け)が二倍になるのが「名目GDP」、物価の変動を加味したのが「実質GDP」。
この時代の日本経済だと、実質が10%伸びる場合、名目は15%くらいの伸びになる。名目で3倍にしないと、実質で2倍にはならない。




