483 「昭和11年度鳳凰会(2)」
「もうすぐ出来る多摩川スピードウェイ。日本初の常設サーキットで、多摩川の河川敷にあってね、数千人が観覧できる客席もあるんだよ」
私の質問に、ハルトさんが嬉々として答えてくれる。
男は幾つになっても玩具が大好きというけど、ハルトさんも普段と違って子供っぽくなる。それが可愛く見えるという事は、私も車好きになったのか、もっと良い傾向なんだろう。
「虎三郎が力入れてそうですね」
「そうなんだ。仕事そっちのけだって、幹部の人がボヤいてたよ」
そう言って愉快そうに笑う。
趣味と実益だから、文句も言い難いんだろう。
「道に車。今年は鳳建設と鳳自動車が出世頭になりそう?」
「製鉄、造船、重機、精機、そして水島がフル稼働する製油、どこも順調ですな。建設に連動した不動産も天井知らず。輸送力が必要ですので、鳳貨物は猫の手も借りたいと悲鳴を上げております。ただ」
「ただ?」
「電力不足なので、発電所をもう少し増やしたいと。窒素も拡張が続いておりますし、アルミニウムの精錬も始まりますので」
「去年の夏に大鉱脈を探し当てたのに、うちで作らないわけにもいかないか」
「はい。日本電工や住友を始め、他もまだまだ生産力は少ないので、一気に躍り出るには良いかと」
「とはいえ、電気が足りないのか。この冬に雪崩事故のあった黒部のダムは?」
「工事自体は国の肝いりなので、工事は果敢に行われております。2年後には完成予定ですな」
「そっか。じゃあやっぱり、重油の火力発電所の計画進めましょうか。後々必要になるし、でかいの一つ作りましょう。どうせ油は余ってるし」
「豪気だね。アルミって、普通は安い水力発電の電気で作るんだろう」
私が景気の良い言葉とともに料理を口に放り込むと、ハルトさんが苦笑しつつ私を見る。
「欧米はそうですね。日本が輸入しているアルミの多くも、カナダの安い電気で作ったアルミの、アメリカ向けの余り物って感じです。
日本でも発電は水力ばかりですし、鳳が導入した重機を日本中にばらまいて、何年も前からダムと水力発電所は、大幅な前倒しで作ってもらっています。黒部ダムもその一つですね」
「その黒部のダムですが、現在のダム工事が終わり次第、次のダムを作る計画が既に動いております」
「第四ダム? 国立公園内だから反対運動起きてなかった?」
「はい。国策だと言う方向でねじ伏せるようです」
「国策ね。有難いけど、よくない時代だから出来るってのは、複雑な気持ちね」
「どんなダムなんだい?」
私が少し沈んだ声で言ってしまったからだろう、ハルトさんがすかさず明るめの声をかけてくれた。けど、私は資料を目にしていなかった。
「セバスチャン」
「高さ120メートルの日本最大のダムで、発電力は12万6000kWで計画しております」
「日本最大か。確かに大きいね」
「ですが、建設予定地が険しい山奥にありすぎるので、既に周辺道路の整備工事などから進めている状態です。短期間での完成は難しいでしょう」
「それを作るよりも、大都市圏に注ぐ大河の上流に、水害対策も兼ねて多目的ダムを整備する方が先でしょう。今度、お父様にも話しておくわ」
「宜しくお願い致します」
「玲子さんは、相変わらず凄いね」
「私は夢と現実を見比べる事が出来るから、便利がられているだけです。優先順位を付けやすいし、先回りも容易いですからね」
ハルトさんの心底って感じの言葉に、こっちは苦笑しかない。巫女のお告げで工事の優先度を変えるとか、悪い冗談にすら思える。
けど、もうあまり時間がない。技術と人と金は大体揃ったので、今は作って作って作るだけの段階だ。けど、何事にも限界がある。それに色々な駆け引きもある。
だから優先度を付けないといけない。
そうした中で、鳳グループが深く関わるもの、関われるものは『鶴の一声』ならぬ『巫女のお告げ』で捻じ曲げる事ができる。
この10年、それに従ってきた成功してきたから、今更疑う者はいない。胡散臭いと思う者もいるけど、総研の分析資料も一緒に見せれば、理詰めの人は納得させられる。
「それでセバスチャン、他に優先事項はある?」
「今の件も、後日と思っておりました。今日はお耳に入れば良いとばかり。失言でした」
「良いわよ。けど、セバスチャンも働き過ぎないでね。いざって時に全力を出せるよう、常に余裕を持つ事。紳士の嗜みよ」
「重々心得ております」
「程々にね。と言ったそばから悪いけど、思い出したから言っとくわね」
「何なりと。次の製油所でしょうか?」
「それと、新しい街ね」
お互いにごく僅かに笑みを交わす感じだけど、先回りされて苦笑しか出てこない。このデブちんは、いつも忠誠度と頭の回転が半端ない。
「製油所、やっぱり千葉にしない?」
「川崎に製油所が御座いますが?」
「あれ、もう小さいでしょう。四日市の埋め立ても進んでいるけど、次のやつはガソリンと軽油中心にするから、やっぱり消費地の近くが良いかなと」
「川崎のものは?」
「新しいのがフル稼働するまでは使ってから、一度完全に解体して周辺も埋め立て直しましょう。それと千葉の沖は、浅瀬を全部埋め立てまくって。一時備蓄のタンク群も合わせて増やしましょう」
そう言い切ったけど、千葉と四日市どちらも半ば並行して計画が動いていたから出来ることだ。そして四日市に関しては、戦争中に近くで大地震が起きる事を、最近になって資料を見返して気づいた。
戦争中に、一時的にでも大製油所が動かなくなるのは悪夢なので、今回はその回避の為の変更だ。
「畏まりました。町の方は?」
「うん。製油所に合わせて千葉の南にね。他は順調なんでしょう」
「はい。姫路、相生、水島、今治、丸亀、日吉、藤沢、生田、それ以外も、どこも周辺が羨むモダンな街が広がりつつあります」
「それはともかく、足りないみたいな噂も聞くけど、大丈夫なの?」
「これは失礼を。確かに、規模の拡大、人員の増加に、街の整備が追いついていると言い難いのは事実です」
「戸建より団地、集合住宅優先でも?」
「住居自体は足りております。ですが、生活環境の整備が追いつかないのが実情でして」
「スーパーとか?」
「左様です。箱を作っても、流通網や従業員が教育を含めて揃わねば意味がないのですが」
「育てる時間が足りてないのか」
「面目次第もありません」
「何でもかんでも、前倒しどころか、前のめりだものね。最善を尽くしてなお追いつかないなら、上が頭を下げて我慢してもらうわ」
そこで、軽く手を顔のあたりまで上げる。セバスチャンに謝らせない為だ。けど、その隣からはため息が聞こえた。
「謝るのは本来僕の役目なのに、今は頼むしかないのが歯痒いよ」
「女子の子供が謝れば、それで仕方ないと思う人もいてくれます。隣で大人の責任者にも頭を下げさせておけば、侮られたと思う者もいないでしょう。それにハルトさんに頭を下げさせたら、私がお父様に叱られます」
「それもそうか。トラは自分が悪いと思うと簡単に頭を下げるから、僕がたしなめる程だったのに、難しいね」
「本当にそうですね。それに昨年度の経済成長は、流石に予想外過ぎました。誰も悪くはないと思います」
「ですが本年度も、現在のところ似たペースで進んでおります」
「4年続けば、それだけで経済が2倍に膨れ上がるわね。そんなに?」
「はい。しかし東京、大阪の一部では、不動産が投資や投機のレベルに至りつつあります」
「不動産が過熱気味か。街の外に、土地は幾らでもあるでしょうに。とはいえ、鳳単独で抑制できる状況でもなし。他に良い話は?」
私の印象では、この時代は大都市でも少し離れたら、郊外住宅じゃなくて本当の田園風景だ。だから不動産投機は連想しにくいけど、都市の中心部ならありうるのだろう。
「アメリカの景気浮揚が予測したより低く、為替が円高にさらに向かうとの予測が出ていますな」
「とはいえ労働賃金格差で、日本製品は十分安く売れるからね。現に日本優位で動いている。それに日本経済が伸びている良い兆候だよ。逆より余程良い」
「はい。輸入が多い鳳には特に優位ですね」
「輸出中心の財閥、企業にはあまり良い話ではありませんがな」
セバスチャンとハルトさんの言葉に私も頷く。そう、膨大な資源を輸入して、多くが内需に向かう今の鳳グループにとって安く資源が買える方が優位だ。
「けど、輸出が不調という話は聞かないけど、やっぱり大陸、満州への輸出?」
「はい。中華民国との武器売買がうなぎ登りです。慌てた満州自治政府も、武器購入と兵士の育成に力を入れております。本年度は、兵器だけでどちらも億の単位に達すると見られております」
「ドイツが、蒋介石にめっちゃ肩入れしたもんね。武器だけで儲けるのは少し早いけど、外貨獲得なら構わないか。とはいえ、払いが資源と穀物なのよね」
日本はすぐ側だから互いに便利なので、取引量自体はダントツで多い。
中華民国は、通貨が安定してから多少はお金で支払ってもくれる。けど、それでも資源や穀物が多い。日本の傀儡というかほぼ植民地な満州は、資源か農作物で支払うしか手段がないに等しい。
「まあ、蒋介石相手のドイツよりマシと思うしかないか」
大財閥となっても、何でも思い通りにはならない。それが結局のところの結論だった。
多摩川スピードウェイ:
1936年5月9日開業。
場所は多摩川の河川敷川崎市側で中原区上丸子あたり。
1950年頃廃止。現在はメインスタンドの一部が残されている。
日本電工:
国産アルミニウムの生産に成功した。
1939年に合併して、昭和電工となる。
この冬に雪崩事故のあった黒部のダム:
仙人谷ダム。黒部川第三発電所。
泡雪崩という爆風を伴う雪崩の事故で有名。
この世界では、日本の発展加速に伴い3年早く工事など諸々が動いている。重機やトラック類も沢山あるから、史実より工期も早い進展度合いとなっている。
黒部以外も、戦前の計画はかなり前倒し&重機投入による突貫工事で開発が進んでいる。




