481 「1936年衆議院議員選挙(3)」
長く話しそうなので、少し口を湿らせてから言葉を探しつつ話す。
「簡単です。日本の政治が袋小路で、国際的な孤立が深まり、軍への期待が高まったからです。
大陸情勢では強硬姿勢で反発ばかり呼び込み、挙げ句の果ての満州事変での満州での傀儡国家の樹立。これに伴う大陸利権の独占と現状打破を嫌う英米、特にアメリカとの関係悪化。そして年々増すソ連の脅威。
加えて、世界恐慌に端を発する大規模な不況と国際貿易の悪化。にも関わらず、政治家は腐敗と賄賂ばかり。財閥は、己が利益ばかり追求する悪逆非道ぶり。大多数の国民の目線から見れば良い事なし。そこで、現状を打破してくれそうな存在への期待が高まるのは必然でしょう」
「なるほど。要約して聞くと、現状とは大きな違いなのがよく分かる。それにしても、国民からも支持を得始めた軍人が幅を効かせても、まだ気骨のある政治家はいたという事か。それで?」
「その後、宇垣一成様に大命降下があったのですが、予算を通したい陸軍が大臣を出さないと抵抗。宇垣内閣を流産に追い込んで、意のままになる林銑十郎様を総理とした内閣を作ります。
そして林内閣は予算を通すだけ通すと、たった数ヶ月で総辞職。軍人のわがままに政党や政治家が嫌気がさして抵抗した結果でもありますが、さすがに政治がそんな状態ではまずいだろうと、近衛文麿様を総理とした挙国一致内閣で難局を乗り切ろうとします」
「なるほどねぇ。概要を聞くだけで、面白い。もっと詳細を聞きたくなるね」
「閣下、私が玲子から話は一通り聞いておりますので、折を見てお話を」
「うん、そうだな。では、話を最初に戻すけど、夢と現状について玲子さんはどう思うのかな?」
その言葉で、永田鉄山だけでなく他の大人達も、話が本題に入ったと考える。
(けど、私としては、特に意見も感想もないんだけどなー)
「結論から言うと、現状は議会政治、民主主義が十分に維持されると考えています。クーデター未遂事件からまだ1ヶ月余りなので、陸軍の強硬な人達も政治に口を出している余裕がない筈です」
「それは保障しよう。それに我々が、余計な事をしないように動いている。短期的にはともかく、長期的に見れば何が最善かは自明だ」
「そのお言葉を聞け、さらに安心しました。次に、世の中は未曾有と言える好況に沸いています。外交状況も安定しています。軍と軍の考えを支持する理由が皆無とは言いませんが、少ないのも事実です。
また、クーデター未遂事件により軍の危険性が世に示された形なので、軍への信頼は低下して政治家への期待、国民の選挙への関心も高いと考えられます」
「比較する物差しがあるだけに、言葉に説得力があるな。しかし、次の選挙で政友会が勝てば宇垣一成が総理だが、民政党が勝つと軍との関係が悪くならないかな? 選挙運動でも、軍への反発で支持を集めようとしている」
「鳳の総研の分析では、今のところ民政党に勝ち目はありません。鳳も全面的に政友会を後援します」
「うん。では、今度の内閣は鳳の内閣になると言われているが、その辺はどう考えているのかな?」
言いたい事はわかる。それに言葉通り、既に言われ始めている事だ。
この10年ほど、鳳グループは政友会を後援している。そこまでは他の財閥と似たり寄ったりだけど、宇垣一成は陸軍出身で鳳家当主の麒一郎との関係が深い。
次も外務大臣と言われる吉田茂は、小松製作所との関係で鳳の政治家と見られているし、実際に強く後援している。て言うか、私が推させている。
同じく次も大蔵大臣と言われる三土忠造は、政界の重鎮の一人である高橋是清が強く後援する政治家。そして高橋是清と鳳の関係が深いのは、鈴木を飲み込んだ頃から噂され続けている。
さらに、元総理の犬養毅がどこかの重要な大臣になるという噂、おそらく真実があるけど、犬養さんと鳳もそこそこ仲がいいと言われている。
この大臣候補の中で面白いのが、お父様な祖父に政友会に入ってもらい、何かしらの大臣の椅子を用意してはという声が少なからずある事だ。
貴族院議員で元陸軍少将で伯爵で、しかも陸軍内では宇垣閥で、そして何より大財閥宗家の当主という肩書きは、確かに他には見当たらない。大臣になっても、問題は少ないだろう。
何より政友会は、直に巨大な金蔓を手にできる。
けど、挙国一致内閣でも作らない限り、お父様な祖父の大臣は無理筋だろうというのが大勢だ。
何しろ衆議院議員でも、政友会党員でもない。
軍の方の関係で言えば、鳳伯爵家の次期当主最有力とされる鳳龍也は、陸軍のエリート中のエリートで10年ほど前に皇太子時代の陛下をお救いした有名人だ。
また目の前の情景通り、陸軍次官となった陸軍の事実上のボスの永田鉄山との関係が深い。そして交代したばかりの陸軍大臣より、永田鉄山の方が力を持っている。
鳳と海軍との関係は薄いけど、正直政治的に失点ばかりの海軍に、中央での政治力は期待できない。しかも艦隊を大きくしたいだけの強引な人達は、新たな軍縮条約締結で意気消沈している。
まあ、そんな噂や一部誇張などの話は、十分に知っている。
そして知っているからこそ、こういう時は傲然と言ってやるのが令嬢たる私の役目だ。
「言わせたい者には、言わせておけばいいと思います。ただし、出過ぎた方には相応に対応しますけれどね。
そんな事よりも、鳳が政治に関わるのはグループの目指す『列島改造』『所得倍増』を果たす為。これを実行出来れば、日本はより豊かに、より強くなります。
陰口をおっしゃるのでしたら、鳳以上の事をやってからおっしゃって欲しいですわね」
「玲子、よくそんな恥ずかしい事を堂々と言えるな」
お父様な祖父に、最後に突っ込まれた。けど否定は無かった。既に話し合っている事だからだけど、永田鉄山を前にしても否定がないと言うことには意味がある。
その永田鉄山も、一瞬呆気に取られた後で大きく苦笑しているけど、言いたい事はまだあるらしい。
「言い返す言葉もないな。だが一部では、今回のクーデター未遂を事前に知っていて利用したと言う噂が出ている。もっとも、かく言う私も後ろ指さされているんだがね」
「既に各方面でも話が出ているように、普段から危険な言動があった将校達が、兵営で奇妙な夜間演習を頻繁にしていたら、赤子でも気づくでしょう。警戒して当然じゃありませんか。むしろ、前兆に気付かなかった方々の方が問題でしょう」
「全くその通り。私もその線で叩いている。おかげで、色々とやりやすくもなった。もっとも、埃が出過ぎて困るほどなのが、笑うに笑えなかったが」
「噂や話は聞いております。今回の選挙を呼び込むため、あえて暴発させたのではないかという噂も」
「青年将校らを、鳳少佐や西田大尉らが敢えて煽ったという噂だな。そちらも出どころを探して、処置はしたよ」
「鳳でも、出来うる限り根も葉もない噂、誹謗中傷には対処しております。そう言ったところからも、大きな懸念はないと存じます。ただ」
「ただ?」
「はい。ただ、万が一政友会が分裂するような事があれば、民政党が政権を取る事になるでしょう」
「それなら逆に、なかなか政権が取れない民政党に嫌気がさした者達が、離脱する動きを見せているという話が、軍人の耳にも入ってきている」
「私どもも掴んでおります。政友会の方は、重鎮の方々がご存命なうちは問題ないと予測しています。そうした点でも、前回のクーデター未遂の犠牲が小さく済んで幸いでした」
「全くだな。では最後に一つ。本当に近衛さんは、助けられなかったと思うかな?」
「私は、夢にない状況に対しては無力です。それに、あんな無茶苦茶をするとは予想外すぎました」
「フフッ。まさに窮鼠猫を噛むだからな。法廷でもあれはやりすぎたと、やった連中は他から非難されていたよ。さて、今日はなかなか興味深い話が聞けた。これで、陸軍内の事に専念できそうだよ」
「それはよう御座いました。陸軍の事は、宜しくお願い致します」
「うん。任せて欲しい。鳳には半ば救われた命だ。最善も尽くさせてもらおう。そちらは、経済と産業の方を頼みます」
そう言って頭を下げると、「では仕事が残っているので」と言って、お兄様共々部屋を後にして行った。
「たいした事は話してないのになあ」
「雰囲気を感じ取りにきたんだろう。龍也の話は、理路整然とはしているが現実感に薄い場合がある。その点玲子は、山あり谷ありだからな」
「はいはい、どうせ話下手ですよ。それで、他に何が聞きたいの?」
「誰かあるか?」
そう言ったから二人して部屋を見渡すも、半数くらいの人はもうお腹いっぱいという表情だ。逆に残り半数は、この際根掘り葉掘り聞きたいって雰囲気をしている。
だからだろう、お父様な祖父が肩を竦めた。
「聞きたいやつだけ残って、二回戦だ。だがその前に、飯にしよう。隣のホテルに予約を入れてある。食いに行くぞ」
言うが早いか、お父様な祖父が立ち上がって一旦はお開きとなった。
そして食後は、時間差を開けて幾つもスイーツを注文しておいてから、残った数名、今まで私の夢の一部を聞いていない人を中心に色々と話して聞かせる事になった。




