477 「独身最後の新年度?」
4月2日、1936年度が始まった。
鳳学園では、各学校で入学式が行われている。勿論、日本中の学校でも。
「4月は予定が目白押しね」
「毎年の事ではありませんか?」
「うん。けど、誕生日会は今年でおしまい。女学校も本年度で卒業。忙しいのは今年で最後よ」
「誕生日会は来年なされないのですか?」
「結婚式の年に、子供っぽい事はしない方が良いでしょう。けど、大人っぽい装いでなら、しても良いかもね」
「そうかもしれませんね」
「うん。あとは、世界情勢が静かなら言う事無しね」
「……おっしゃる通りですが、お嬢様があえて口にされる事ではないかと存じます」
少し感慨深げになりかけたシズが、半目で私に視線を送ってくる。世界情勢は私の破滅にも繋がるから私的には重要なんだけど、何年経っても理解はしてもらえないでいた。
そしていつものように私にツッコミを返すシズは、私と10歳違いなので今年で26歳。既に世の中の結婚適齢期は過ぎているから、結婚とは言わないまでも婚約相手くらいは用意してあげたいところだ。
「それじゃあ別の話題。今年は無理でも、来年くらいにはシズにも良い人を紹介してあげられるかもね」
「またその話ですか? お嬢様がご結婚されるまで、その話はなしと申し上げたではありませんか」
「言わないと、シズが忘れてしまいそうだから言うのよ。私の心の安定の為にも、シズも幸せになってよね」
「……その言葉もいつも通りですね。七美達もお役目を果たせるようになってきましたし、考えさせて頂きます」
「うん。言質は取ったからね。来年は最低でも見合いよ。恋愛相手がいるなら、尚良しだけど」
「おりません。さあ、この話はおしまいです」
年度が変わるごとにしている会話を終えると、今日も一日が始まる。
4月はそれぞれの入学式、私の誕生日会、新学年開始、鳳の社長会と続く。そして5月の鳳懇親会で、春のイベントは締めとなる。
一方、今年の世の中の流れの方は、既に決まっている『蒋独合作』が8日に正式に締結される。これでドイツは、張作霖の中華民国政府を支持する日本を加えた英米仏との対立関係が深まる。
国内では四月半ばに、衆議院議員選挙が行われる。だから4月に入ってすぐにも選挙戦がスタートする。
当然だけど、そのすぐ後には新内閣発足が待っている。
それ以外の国際情勢だと、日本国内がまだバタバタしていた3月のうちに、ドイツがラインラントに進駐していた。多分、前世の歴史と同じタイミングだ。
そもそも無理筋だった外交案件に等しいし、英仏はドイツをソ連の防波堤にするという目的もあって融和外交路線だから、諸外国は必要以上に騒ぎ立てず。
ヒトラー政権は、ドイツ国内から絶大な支持を受けた。しかもこの前後数年は、ドイツ経済が最良の時代とすら言われるくらいの好調だったので、ヒトラー政権、というより独裁者アドルフ・ヒトラーの人気は絶頂に向かっていた。
しかもこの年の8月にはベルリン・オリンピックが控えているので、ドイツでの熱気は天井知らずと言えた。
もっともその水面下では、ユダヤ人差別がさらに進みつつあったし、軍需主導の好景気は、返すアテのない借金によって前借りされたようなものでしかない。
ドイツの国家財政が3年後には事実上破綻を開始する事が、既に鳳総研の分析でも判明していた。この情報は、日本政府は勿論、私と鳳と関係のある人達にも送られていた。
そのお返しに、チャーチルからはイギリスが知るドイツの極秘情報の一部を頂いたりもしている。
もっとも、当のドイツには伝えても、ゲシュタポ辺りに情報をもみ消されている。それにうちは、ユダヤ人救済でも活動しているから、伝わっても信じてくれるドイツ人が少ない。
それにしてもメフォ手形という偽装国債は、本当にタチが悪い。5年後の償還まで、財務担当者すら簡単には気付く事が出来ない悪魔のカラクリだ。
しかも実質的な裏資金の9割が軍備に当てられていて、それが今のドイツの好景気の一番の原動力となっている事も、ある程度は調べが付いていた。
そしてナチス中枢は、この手形を始めた時点で最低でも膨張外交、恐らくは侵略戦争をするしか道がないのを知っているのだから、本当にタチが悪い。
主に英米が関税障壁を半分くらいにすれば違う未来もあったかもしれないけど、だからと言ってこの政策ともいえない行いは悪手でしかない。
それに他の国、日本でも、ドイツ経済の復活に目を奪われていて、真面目な報告や懸念は嫉妬と見られ、誰もが無視するか見なかった事にしている。軍備増強も、今までのドイツが少なすぎたと、必ず流されてしまう。
一部気づいている人も、ソ連に対する欧州の防波堤としてのドイツ復活を歓迎していた。
正直、処置無しだ。
それ以外の世界情勢だと、1月にイギリスでジョージ5世が崩御してエドワード8世が即位した。一応前世の歴史を知っているので、何とも複雑な気分になる。
2月には、スペインで左派の人民戦線内閣が誕生した。スペイン内戦も、これで確定だろう。
アメリカは、私の前世の歴史とは違っていた。
相変わらずな市民の反共姿勢のせいで、ルーズベルト政権は難しいかじ取りを強いられている。
一方で、この秋の選挙に向けて精力的な展開を行いつつあった。そして共和党は、思っていた以上にまだまだダメダメっぽいので、国内の反共姿勢が強くても、ルーズベルトの続投は今の所確定路線という情報だった。
そして、アメリカ大統領選挙が今年の後半に行われるように、私が前世の歴史で知る大きな事件は、今年の後半にだいたい発生する。
私の前世の歴史と同じなら、スペイン内戦開始、「ベルリン=ローマ枢軸」演説、「日独防共協定」締結、「西安事件」と、日本の死亡フラグが乱立していく。軍部大臣現役武官制とかも、確かこの年にあった筈だ。
幸い、そのフラグの多くは前提条件のフラグが未成立なものが多いのが、今の所は安心材料だ。
(取り敢えずは、二学期まで上っ面はのんびりしていられるって事か。まさに、最後の夏ね)
年度頭に、自分の部屋で幼女の頃から書き溜めた色々なものを見つつノンビリと思う。
扉のところにみっちゃんが控えているだけで、部屋には誰もいない。この紙切れの山を見て良いのは、私の周りではシズ以外にはお芳ちゃんだけだから、みっちゃんも外に控えさせている。
残すところあと1年かもしれない私の聖域だからこそ、リラックスしていられる。
そして一見ダラダラと引き篭もっている理由は、みんなの入学式が終わり、私も女学校の入学式に在校生代表として出席した翌日だから。そして明日は誕生日だから。
もっとも誕生日の方は、いつもの昼間ではなく夕方早めからを予定。最後だし、ちょうど4日は土曜日で半ドンなので、明日はハルトさんや大人達も誕生日会に出席しやすいからだ。
本邸全体だと、それぞれの館に少なくとも子供達はいるだろうけど、今日会う予定はない。側近達も、護衛の当番以外は休みを取らせてある。
シズもリズも今はいない。護衛の側近達が増えたので、特に休みの時期はこの二人にも休みを増やしてあげられるようになった。
私も今日は休みみたいなものだ。
(おっ、姫乃ちゃんだ。庭の案内? それとも別の棟の案内かな?)
ちょっと休憩で伸びをしたら、机から見える窓の外の視界の隅に人影が数名見えた。私の側近達の一部と、姫乃ちゃんだ。
屋敷の案内は、攻略対象と関わる最初のイベントの一つだけど、鳳の本邸内に残っている攻略対象は、虎士郎くんと輝男くんだけ。
そして二人とも、姫乃ちゃんには必要以上に興味がないらしく、案内を志願したりはしない。逆に姫乃ちゃんも、誰かをご指名したりもしてない。
(やっぱり、中に転生した人がエントリーはしてないって事なのかなあ? 外にいても邪魔をするって体の主が言ってたから、ゲームと似た感じで屋敷に招きはしたけど、こうなると気になるのは『光の巫女』くらいね)
ぼーっと見すぎていたらしく、向こうも私に気づいた。
だから小さく手を振って立ち上がる。
「みっちゃん、お茶にしましょう。居間に移動するわ。それと、誰かに姫乃さんを呼んでもらって。屋敷にいるなら輝男くんも。一緒にお茶しましょう」
深く探る気はないけど、私の破滅を避ける為にも姫乃ちゃんとは仲良くしておく方が無難だろう。
私が思うのは、そんな人と人の関係を思えば不謹慎な事だった。
メフォ手形:
1933年から始まったけど、当のドイツの経済官僚がようやく気づいたのが1936年。もう、後戻りは出来ないところまで来ていた。
そしてドイツ国内と世界は、ドイツ経済の奇跡の復活と称えていた。
ドイツがこの『毒』を飲まずに済むには、作中でも取り上げた通り、各国、特に英米の関税障壁の引き下げによる自由貿易の再開しかない。
ドイツも、輸出が死んだので、無茶な手を打ったとも言える。




