467 「事件の後始末」
3月1日、正式に近衛文麿が総理大臣を辞職した。
そしてその間の重臣達の会議により、宇垣一成内務大臣が総理大臣となった。内務大臣については当面兼務するけど、可能なら早急に次の大臣を決める事とされていた。
もっとも、総理に就任した宇垣一成は、総理を決めた政界の重鎮達の意向もあり、政友会の重鎮達とも話し合って、四月半ばに衆議院議員の総選挙の実施を決めた。
総選挙の実施には民政党も賛成で、軍人による兵士を勝手に用いた軍事クーデター未遂に対して、議会政治を守る姿勢を強く示す事になるからだ。
そして事件を起こした軍人達だけど、宇垣一成が総理大臣となる事、選挙が終わるまで大臣を変えない事などに対して、強く異を唱える事はなかった。
中には不用意な発言、宇垣内閣に異を唱える、より正確には自由主義的な政治家は、時節柄相応しくないなどと言った者は、その言葉を押し通すどころか、陸軍内でも殆ど支持されず恥を晒す事となった。
一方で、軍人が大事件を引き起こしたので、陸軍、海軍共に大臣が辞任。さらに陸軍では、大臣だけでなく陸軍次官と参謀次官も辞任。
さらに何時ぞやの海軍のように、上に立つ者が責任を取るという事で辞任は軍事参議官にも及び、荒木貞夫、阿部信行、林銑十郎が予備役に編入された。
さらに陸軍大臣の川島義之は、大臣辞任だけでなく予備役にまで追いやられている。
一方、海軍の山梨勝之進も大臣を引責辞任したが、予備役にまではなっていない。当人は予備役となって責任を取るつもりだったのに、引きとめられて軍事参議官として残った。
これは、能力や人柄、それに海軍の主流となっている親英米派、軍縮派の中心人物の一人であった為でもあった。
彼が抜けてしまうと、新たな軍縮条約締結を目前に控えて、艦隊派が息を吹き返すかもしれないという恐れが、海軍内にはまだ残っていたからだ。
それに今回の件では、海軍将校と元海軍将校が事件に加わったけど、勝手に兵を動員したりはしていない点が、陸軍との決定的な違いだった。
また一方では、事件に際して最も活躍した軍務局長の永田鉄山は、三月末に中将への昇進があった事も合わせて、陸軍次官へ就任となった。年齢や階級的に陸軍大臣は無理だけど、ある意味で永田さんの時代の到来を告げる人事異動だ。
そして陸軍は、まずは徹底した天皇親政や精神主義を言い立てる軍人の一大粛清が開始される。
もっとも世相は、事件が実質1日以内で済んでしまった事もあって、私的には前世の歴史上での『五・一五事件』程度のインパクトしかなかったように思えた。
それでも陛下の軍を勝手に動かしたという事で、陸軍への批判が殺到した。
一方で海軍の方は、クーデターに参加したのが少数の下級将校だけだった事もあり、あまり目立たなかった。
なお、『二・二六事件』を起こした青年将校達と考えを同じくする将校達だけど、軍中央の高級将校は少なかった。
彼らが決起後に話をしたいと伝えた将軍クラスは、荒木貞夫大将と山下奉文少将くらい。
しかも山下奉文は、まだ維持されていた一夕会のメンバーであり、血縁関係や歩兵第3連隊長をしていた事などで、彼らから同調者と見られていた節が強い。
そしてこの二人以外は階級の低い青年将校が多く、大物は少数だった。
そうした中で、満州に出張していた準『二・二六事件』メンバーと言える安藤大尉は、同調者として一時拘束された。
当人も、最低でも軍を退くつもりでいた。
しかし人望などを買われて、当人も部下達を気にしていた為、半ば監視付きながらそのまま陸軍に残った。ただし、墓参りなど青年将校達への感情を隠さないので、長らく監視対象に置かれたと聞いている。
同じく同調者の野中四郎は、第一師団時代も比較的短く、早期にメンバーからも切り離していた事もあり、念の為の尋問でも問題ないと判断され、そのまま軍歴を続けた。
そうして、退役させられたり、左遷されたり、尋問を受けたりした将校は、私が思っていた程はいなかった。
私の前世と違い、好景気による陸軍の近代化の進展など漸進的な軍の拡充が進んでいた事から、多くが永田鉄山らの主流派と言える集団に属するか同調していたからだ。
皇道派を形成すら出来なかったのだから、ある意味当然と言える。むしろ、第一師団の一部将校達が少し変だったとすら言えた。
もっとも、皇道派が形成されなかったのは、一夕会がまだ形だけは維持されていて、小畑敏四郎らもそのまま属していたからだろう。
ただし小畑らは、現状では生ぬるいと考え、より急進的な軍事力の増強、軍部の権限強化、出来うるなら軍部ファッショを目指す急進派へと先鋭化していくようになる。
この為、永田さんらと対立するようになり、陸軍の主流からは外れてしまった。
そして今回の一件で、皇道派になれなかった精神主義的な考えの将校が粛清されるか左遷されると、残るは一夕会の中での保守派と言える主流派と軍部独裁を目指す急進派の対立へとシフトしていく事が確定的だった。
そしてそんな状態だから、陸軍としては政治に強く口出しできる状態じゃなかった。そんな事をしたら、対抗相手に隙を見せる事になりかねない。
しかも陛下が軍人の行いに酷くお怒りな以上、急進派は政治家を脅すような事も言い出せなかった。
そうして事件は、いつしか歴史の波に押し流されていった。けど、臭い物には蓋をしろとばかりに、青年将校達の裁判は迅速に進められた。
そして、主導した青年将校達は銃殺が基本という、重罪に処されていった。要するに、体の良い口封じであると同時に、他の者への脅しだった。何しろ陸軍の中には、今回の事件を利用しようとした者が数多くいた。
そうした中で、一つ私の前世の歴史と違う結果が出た。
と言っても、今回の事件でお兄様の下で頑張っていた西田税の事ではない。思想的なリーダーとされる北一輝が、最終的に軽い刑で済んだ事だ。
何しろ事件は実質半日で、北と決起将校が事件の間に連絡を取る事がなかった。それでも、以前から接触している青年将校達がいたし、彼が危険な思想を持っているのも確かなので、最終的に禁固刑を受けてはいる。
そして彼が出所してくる頃には、世の中は彼に構っている場合ではなくなっていた。
「先の事より、当面の後始末よね。結局犠牲者は、三井の団琢磨様だけなのよね」
「はい、お嬢様。他は警官と軍人、三井の家人になります」
セバスチャンと、私の仕事部屋で雑談中。3月になったと言うのに、心はまだ寒い。
「警官は……ああ、牧野様の護衛の方か」
「はい。兵士の方は、首相官邸襲撃時のものが全てです」
「両者合わせて20名以上か」
「しかも大半が、首相官邸を奪還しようと無茶をした近衛師団側に発生しております」
「陛下の勅命にも等しいから、頑張りすぎたのかあ。お気の毒ね」
「はい。また、三井は襲撃を受けた際に今井邸の建物の3分の1を焼かれておりますので、激怒しておりますな」
「そりゃあ怒るでしょう。私が当事者なら、関係者を根切りにするところよ」
「ネギリ?」
「一族郎党皆殺し。まあ、うちも一応は襲われたし、ビルはともかくホテルは随分荒らされたから、一緒に怒りはするけどね」
「はい。三井、三菱、鳳は共同で、今回の事件に対して極めて強い態度で臨む、というのが基本方針ですからな。ですがホテルの方は、お嬢様にお考えがあるとか?」
「せっかくだし、一部内装の変更しましょう。去年の11月に豪華客船のオリンピック号が引退したでしょ。あれの内装や装備のオークションが今年遅くか来年にあるから、部屋の内装とか丸ごと買おうかと」
「博物館か記念館を作られると、お聞きしておりましたが?」
「それもするけど、ホテル経営なんだから利用しない手はないでしょう。だから酷く荒らされた何室かは、しばらく閉鎖しておいてちょうだい」
「畏まりました」
「うん。うちはそれでいいけど、お上が大変よね。首相官邸は半焼、公邸は中身がグチャグチャ。宇垣様はどうされるのかしら?」
「官邸は直ちに修理。公邸は仮の住居を建設するとの話ですが、宇垣総理は内務大臣を兼任する間は、内務大臣邸を利用されるとの事です」
「まあ、それしかないか。それにしても官邸強襲は、決起部隊にとっては悪手だったわね」
「あそこを目指す政治家達を敵に回したわけですからな。そう言えば、鳳ビルを警備していた者達に、警視庁から感状が授与されるそうです」
「決起部隊の一部を捕まえたから? それだと軍、というより憲兵隊と喧嘩にならない?」
「憲兵隊の一部が、決起部隊に同調したり同情的だったので、この件では強く言えないようです」
「つまり憲兵への当てつけか。それとも、民間の警備員に負けるほど陸軍の兵士は弱いって世に見せたいとか?」
「多少は両方の意図があるでしょう。もっとも、捕まえた警備員の素性は完全に伏せるようですがね」
「兵士をふん縛ったのが、一部は女子だしね。しかも半数以上は、一度は陸軍に属していた人達。あ、そうだ、今度こそ警備員を会社でまとめさせる案件通すわよ。これで名も上がったし、今度はいけるでしょう?」
「恐らくは。既に退役や予備役の軍人、引退した警官を幹部に迎え入れておりますし、下準備も十分に整っております」
「天下り先にするのは好みじゃあないけど、背に腹はかえられないわね。これからは、国内は多少落ち着くかもだけど、大陸は大変になりそうだし。急ぎましょう」
「はい、お嬢様」
大事件とは言え、過ぎてしまえば利用する道具でしかない。こっちは所詮商人でしかないから、余計にそう感じるのだろう。
天下り:
戦前に、この揶揄は使わない。
お嬢様が、周りにだけに浸透させた言葉になるだろう。




