465 「事件の舞台裏(3)」
「そういえば、鳳御殿ってどうなったの?」
「ビルの方は、俺が話そう」
「ホテルは私達から」
そう言ったのは、八神のおっちゃんとセバスチャン。それに、隣のエドワードも頷く。アメリカン二人は、話し合いの直前に現場から戻ってきたばかりだった。
何しろ白人なので、現場では目立つ事この上ない。けど決起部隊は、鳳の使用人かホテルの滞在者程度にしか見ていなかった。
どちらも私、鳳一族の長子の執事だし、セバスチャンは相応の社会的地位にもあるのに、ノーマークとは杜撰だ。それだけ、決起部隊が財閥をターゲットにしていなかった証拠になるんだろう。
八神のおっちゃんも2人と似たようなものだけど、こちらはもう少し早く鳳ビルから戻っていたし、まだ地下に篭っている貪狼司令からの報告も携えていた。
それに八神のおっちゃんは、鳳ビルで入ってきた将兵をワンさんと一緒に相手にしていたので、実際に外の様子は見ていない事が多かった。
それにひきかえ、白人という事で比較的自由に動けた2人は、通行人を装ったりして色々と直に見ていた。そしてこの2人が戻ったからこそ、報告と話し合いが始まったとも言えた。
「ではホテルから。ですが、既に報告は上げましたので、概略のみとさせて頂きます」
そう言って軽く一礼してから、セバスチャンが語り始めた。
「鳳ホテルには午前5時10分頃、最初の決起部隊の兵士が押し入ってまいりました。率いていたのは少尉で、総勢は100名ほど。率いていた少尉は、開口一番『鳳伯爵と鳳総帥はどこだっ!』でした」
「直に聞いたの?」
「はい。私とエドワードは、フロント横の喫茶席におりました。ですが我々には、一瞥しただけで無視。兵達も私達は避けていたので、しばらくは何も咎められずコーヒーを飲んでいられました」
「日本人らしいわね。じゃあ、そのままずっと?」
その質問に答えたのはエドワードだった。
「かなりの時間は。軽く変装した上にスーツ姿でしたし、向こうが声をかけてきても日本語はほんのカタコトといった風を装うと、軽く銃で脅して部屋に戻れとだけ言われました。ですが我々は、早めの朝食を頂くべく食堂に向かいました。それは咎められておりません」
「ロビーにいなければ問題なしってところか」
「はい。外国人は、相手にしたくなかったのでしょう。その後、従業員区画に入ってロビーの音が聞きやすい場所に移動し、彼らの話をかなり聞くことが出来ました」
「録音したの?」
「一応は行いましたが、さすがに音質が悪く会話内容は一部しか拾えませんでした。ですので、他の者とも手分けして速記で記録し、シズ達一部の者が読唇も行いました。また一部は、隠し撮りで写真と映像もあります」
予期せぬところで、歴史の1ページを記録していたらしい。しかもそれだけじゃあなかった。
「映像と写真なら、工事現場でもしているぞ。ワン達は、音も取れる映写機を持ち込んで一部始終を隠し撮りしてたし、明かりを過剰なほど照らしてあったからな。随分きれいに撮れているんじゃないか?」
お父様な祖父や貪狼司令の指示なんだろうけど、うちは盗撮魔だらけだった。
虎三郎一家の大人達がドン引きしている。それを見てか、八神のおっちゃんが追加する。
「勿論だが、工事現場の方は連中の戦力や編成、装備を分析する為だ」
「ホテルの方も、不意の来客の記録を取る際に用意していたものを、主に利用しております。以前、お嬢様が準備しておくようにとの指示でしたが、今回のような事態を予測しておられたとは、感服するより他ありません」
盗撮魔の元凶は私だったらしい。セバスチャンが、感に絶えぬと言わんばかりに賞賛の眼差しを注いでくれる。
一応笑顔で返したけど、ほおが引きっていたかもしれない。
「もしかして、他でも撮っていたりする?」
「主にホテルの屋上からになりますが、首相官邸など各所の映像、写真は可能な限り撮らせてあります」
「工事現場は、最低でも3箇所、映像班と写真班が張っている。今も、工事をするふりをして撮り続けているぞ。隙を見て、工事現場から離れた場所でも撮っている筈だ。連中、工事車両は退かせる以外に関心を持ってなかったしな」
どうやらこの世界での『二・二六事件』は、表に出るかどうか分からないけど、豊富な写真と映像資料、音声が残りそうだ。結果が惨憺たるものだったから、決起した青年将校の皆様にはちょっと同情してしまう。
けれども青年将校の哀れさは、まだ序の口だった。
「それと決起した将校のうち二人は、鳳ビルに侵入してきたから俺とワン達で処理しておいた」
「一応聞くけど、殺してないわよね?」
「出来る限り殺すなと、ご当主様より命じられている。この屋敷の近辺も含めて、殺害は1名もない」
「アレ? 屋敷の外で何人か撃ち倒したって聞いたけど」
「動けなくさせただけだ。急所は外している。少しは、お前のメイドの腕を信じてやれ。今も、鳳ホテルの上で頑張っているぞ」
「あ、うん。それで鳳ビルの方は?」
「2度に分けて、こちらが誘った勝手口から入ってきた上に、こちらが誘う前に分散して、しかも無防備にうろつき回ってくれたからな。
こちらは中を暗闇にして、1人1人締めて回る簡単なお仕事だったよ。軍隊といっても、ああいう状況では素人同然だな」
「多分そう思うのは、おっちゃん達だけよ。それより、暗闇にして1番後ろの人の口と鼻を塞ぎつつ脇に引っ張り込んで、意識を失わせていったとか?」
「そうだ。よく分かったな。そんなキネマでもあったか?」
「そんな感じ。それで、捕らえた将校は?」
「兵隊共々、既に警察に引き渡した。そのあと憲兵が持って行ったが、警察との間に書類は交わしたし、捕まえた証拠写真などは撮ってある。もっとも、当人達は意識がないままだったから、俺達の事は知らないだろうがな」
「その方が幸せでしょうね。それで、誰と誰か分かる?」
「報告書にもあるが、貪狼の話では村中孝次大尉、中橋基明中尉だな」
「うわっ、首謀者の一角じゃない。大金星ね」
「らしいな。だが、あんな弱い奴が大金星とはな。龍也様には、特定状況に長じた将兵の育成を考えさせた方がいいんじゃないか? 鳳の私兵の方が余程頼りになるぞ」
「将校は指揮をするのが役目で、格闘戦は強くなくてもいいでしょう。それに鳳の方は、お父様の薫陶宜しきを受けたおかげよ。ねえ」
「うちは、水面下での荒事がどうしても付き纏うからな。しかし、軍隊にも必要か?」
「有しておいて損はないかと」
「そうか。分かった。そういえば玲子の話にも、そんなのがあったな」
「ああ、特殊部隊ね。けど、暗闇の中を徒手空拳で完全武装の兵士を生け捕りにするって、もう特殊部隊どころじゃないと思うけどね。私の言った特殊部隊は、不正規戦とかで活躍できる熟練兵の集団よ」
途中、私が理解しやすいジャパニーズ英語で説明しそうになったけど、八神のおっちゃん達の戦い方は映画などで見る特殊部隊みたいだ。
もっとも、他の人達はあまり関心なさげだ。
「まあその話は、別の機会にでもしろ」
と、お父様な祖父までが仰せだった。
とはいえ、私としては少し前に話がひと段落したと思ったからこそ、少し脱線した話をしたまでだった。
「けど、もう話は大体済んだんじゃないの? 前座は終わって、あとは真打の話なんでしょう。それなら今日じゃなくて先の話だし、そこに鳳が深く関わる事はないんじゃないの? 勿論、お兄様だけは別だろうけど」
「そうなのか? お前から散々話を聞かされた身としては、本当にここからが真打の話だと認識しているんだが?」
「そう? これから宇垣様、永田様らが中心となって、精神主義と合理主義双方の急進的な人達、要するに武力で脅して軍の権限を強めようっていう人達を排除するんでしょう」
「まあ、そうなるな」
「で、決起部隊と同じ精神主義的な天皇親政とか、頭の痛いお題目掲げる人達が今回の一件で排除されたら、軍部ファッショ化を求める急進派と、漸進的な拡大こそが長期的に必要っていう穏健派の派閥抗争よ。しばらく陸軍は、政治に口出しする暇なんてないでしょ」
「それを傍観するわけか」
「勿論、陸軍の方はお兄様が属する主流派を最大限に推すけど、まずは次の選挙よ。緊急事態とはいえ2回も選挙なしで総理が変わったら、議会政治、民主主義の看板が泣くものね」
「タガを締め直す必要があるのは、誰もが感じるだろうな」
「うん。それで次の選挙で鳳は、軍部ファッショ化を阻止する為にも、政友会を中心に政治家にはお金を突っ込むし、うちの新聞にも頑張ってもらうし、三菱様とかにも働きかけるけど」
「それだけで、随分とやる事があると思うんだが?」
「全部、今までの延長でしょう」
「だが、あれがあるだろ」
「アレ? ……ああ、軍部大臣現役武官制を復活させようとするかもって話? けど、無理筋でしょう。陛下の御意思っていう錦の御旗も手に入れたのに」
「玲子の読みでは問題ないと?」
「現状が変わらない限りね。実質半日で事件が終わって、ホッとしたのは事実だけど」
「俺としては、まだ半日だがな。どう動くか分からんぞ」
「まあ、明日の朝刊の反応が出てみないとね。けど、世相は未曾有の好景気。これを邪魔しようっていうわがまま勝手なだけの軍人を、民意が許す筈ないじゃない」
「その民意が一番怖いんだがな」
「それはそうだけど、言い出したらキリがないわ」
「まあ、それもそうか。それに今日は皆疲れているだろ、今日は解散だ。ご苦労さん」




