464 「事件の舞台裏(2)」
「話を聞く前に、高橋様は?」
「先ほど無事にお帰りになられたと、報告がございました。既に危険もないかと存じますが、数名付けております」
「ありがとう、時田。それにしても、高橋様がパーティーに来てくださって本当に良かったわね」
「次の予算に関する話と言ったら、あの爺さんなら来るだろ。隠居したってのに、業の深い人だ」
「けど、色々話した時も、地下にもお入り頂いた時も目を白黒させていて、お倒れにならないかって心配したわ」
「あの御仁は、何度も修羅場をくぐり抜けてきている。この程度、大した事ないだろ」
事も無げにお父様な祖父は言ったけど、確かにあの人の波乱万丈な人生を思えば納得してしまう。
だから私も、苦笑に近い笑みになる。
「それもそうね。けど、宇垣様もそうだけど、他の方もご無事で良かった」
「実際は、何が起きるか分からんからな。それなのに、実際動いてくれないと捕まえる事すら難しい。こんな事は金輪際にして欲しいな」
そう言ったところで、お父様な祖父に視線を注ぐ。
すると昼行灯で見返された。
「お一人、例外がいたけど、聞いていい?」
「不可抗力だ」
「なるほど、違うんだ。仕込んだの?」
「……ここにいる全員、墓まで持っていけよ。首相周りは、敢えて最低限以外は手を抜いた」
「理由は?」
「決まってるだろ。お前が、事あるごとに近衛文麿の悪口ばかり並べていたからだ。それにお前の夢の内容も、あれはイカんだろ。害悪だ。ついでに言えば、俺はあの人が生理的に好かん。あれは、政治の中央に決して立っちゃあいかん人だ。
だから俺たちは何もせず、天の采配に任せた。これは本当だ。俺たちは何もしていない。連中が、ここまで派手にやらかしたのは予想外だったがな」
そこで言葉を切ったので、しばしの間睨めっこ。
そして私から軽くため息をつく。私が遠因なら、自業自得で文句を言える立場じゃない。
「ハァ。他の方がご無事だから、それで良しとしておくわ」
それで空気が変わったので、お父様な祖父も雰囲気ごと変える。
「だが、なんで決起した馬鹿どもは、自分達も見られたり殴り返されると考えなかったんだ?」
「あの人達が、自分たちが正しいと信じて疑っていないから。要するに、善玉気取りだからよ。お話じゃあ、悪漢は引き立て役で、善玉が必ず勝つでしょう」
「もしそうなら、そんな考えで付き合わされた兵達が哀れだな」
とそこで、小さく挙手。善吉大叔父さんだ。こういう時は、率先して疑問がある者の代表になるのがこの人らしい。
「二人で納得してないで、順に話してもらえるかな? 私はまだマシだけど、虎三郎達はほぼ初耳だろうからね」
「聞きたくはないがな。だが、子供らが聞くというのに、俺が逃げてたら格好つかんからな」
虎三郎がそう言って肩をすくめると、ハルトさん、マイさん、涼太さんが苦笑などそれぞれの表情を浮かべる。心持ち緊張している気配もある。マイさんは満州で修羅場も経験しているけど、こんな事件に半ば巻き込まれたわけだから当たり前の反応だ。
それを感じては、お父様な祖父が態度ゆるゆるの昼行灯モードのまま続ける。
「殊勝で結構。じゃあ時田、順に話してやってくれ」
「畏まりました、ご当主様」
そうして始まった話だけど、ひと月ほど前の事前打ち合わせのような話から話す事になった。
だから私にもお鉢が回ってきて、まずは前世の、ではなく夢で見た『二・二六事件』を掻い摘んで話し、夢と現状を踏まえた傾向と対策へと話が進んでいく。
「なるほどね。ところで、陛下にはいつどうやってお話を?」
「あ、はい。陛下の方は、去年のうちから紅龍先生に頼みました」
「……紅龍君、よく承諾してくれたね。いや、玲子ちゃんだからこそかな?」
「私じゃなくても、してくれましたよ。それでですけど、まずは去年の秋頃に陛下の近臣の方々に内密に相談してもらいました。そして了解を得てから、冬に二度ほど陛下にも他の者が聞いていない時に話してもらい、色々と先回りの手筈のお許しを頂きました」
「陛下の周りにも、決起に賛同する者がいたのかい?」
「まだ、詳細は明らかにはなっていませんが、侍従武官長の本庄繁の娘婿の山口大尉が、決起こそしていませんが決起部隊将校達の同志です。実際に山口大尉は、同調して動いていたと報告がありました。侍従武官長も、影響を受けている筈です。実際、既に聞こえてきた話でも、決起部隊寄りの行動をしていました」
この辺りは私の歴女知識とも合致するから、まず間違い無いだろう。だから言葉も強めになる。
「決起自体は、いつの段階で知ったのでしょうか?」
次にそう聞いてきたのはハルトさんだった。その件は私も、兵営を張っていたという以上には聞いてないので、お父様な祖父を見る。みんなの視線も、お父様な祖父に向く。
そして視線を受けたお父様な祖父は、時田へと視線を向けた。
「古くは何年も前から、皇国新聞の記者、鳳が雇った探偵、それに警備の者が、気づかれないように青年将校達と彼らの兵営を監視しておりました。また今月に入ってからは、即座に各所に電話などによる連絡が取れるよう、手筈も整えておりました」
「近衛師団にも?」
「龍也様の方に第一報を入れ、陸軍の一部より師団並びに出動した各連隊に連絡が渡る手筈でした」
「それにしても、出動が早くなかった?」
「事態を想定して極秘の夜間演習を何度か行い、さらに前日からは事態を想定した待機状態にあったと聞いて御座います」
「つまり、玲子の見た夢の日付を信じたわけだね」
「左様です。玲子お嬢様が日付をおっしゃられた夢見に関しては、殆どの場合的中して御座います。疑って動かないより、信じて動く方が良い確率は随分と高いかと」
「警察の方はどうなんだ?」
今度は、珍しく虎三郎が質問する。
長男のハルトさんにばかり聞かせる事に、何か思ったって感じだ。
「警視庁は、宇垣内務大臣が精力的に動かれておりました。また警視庁と宇垣様には、我々が掴んだ情報も逐一報告しており、逆に一部の情報提供も受けております」
「それで対応が早かったのか」
「はい。宇垣様は、陸軍の現状もよくご存知ですので、陸軍と警察、内務省の関係を利用して、可能な限り警視庁が事態に対応できるよう体制を整えておいででした」
「警察がそんな動きしていいのか? 事件が起きてから動くのが警察だろ」
「空振りに終わって糾弾された場合は、宇垣様が責任を取ると言って念書まで渡し、警視庁が動く準備を以前から整えさせました。また同時に、陸軍内の宇垣様と関係の深い方々とのみ連絡を取り合い、歩調を合わせてもおりました」
「宇垣内務大臣の手のひらの上か」
「いや違うぞ、虎三郎。叩き台は玲子の夢だ。こうして事件が起こってみると、一部が違うだけで恐ろしい程の正夢状態だ。事前に話を聞いた連中は、今頃肝を冷やしているんじゃないか?」
言葉の最後を面白がるような口調に変えたので、私は軽く肩を竦めてやった。
「その盤面をいじり回したのは、どこの誰よ」
「そういえば、玲子の夢には決起部隊がどの道を進むのかもあったのか?」
「いいえ。お父様がヤマを張ったのよね?」
「俺はそこまで博打打ちじゃないぞ。ちゃんと調べて、可能性の高いところを重点的に通せんぼしてある。ハマりすぎて、笑っちまったがな」
「八神のおっちゃん。そうなの?」
「ああ。現場にはワンも出ていたが、兵を率いていた将校が顔を真っ赤にして怒っていたと笑っていた。酷い場合、3、4回工事で足を止められている。あれがなければ、近衛師団の一部が間に合わない可能性は十分にあった」
言葉の最後に、私にではなくお父様な祖父に恭しく頭を下げる。見事な采配って意味なんだろう。
「色々と綱渡りだったのね」
「当たり前だろ。連中が動かないと、近衛と警察も動けない。連中が実際に動き出してからが勝負だからな。時間が無さすぎるんだよ。だが、その辺も貪狼達にシミュレーションだったか? あれを入念にして準備させた。あれはいいな。今後もさせていこうと思う」
シミュレーション。日本語で説明すると相応しい適当な言葉が見当たらなかったから、英語で言葉と内容を伝えたけど、えらくお気に入りのご様子だ。
「ああいう事をするなら、高い精度の計算機とかも揃えた方がいいわよ。アメリカやドイツだと、物凄い演算速度のやつがそろそろ開発されている筈だから。
それにしても、道中を何度も邪魔され、押し入った邸宅はもぬけの殻。目的地は全部とおせんぼ。挙句に鳳ビルではかくれんぼ。なんだか、青年将校さん達に同情したくなるわね」
「青二才どもを小馬鹿にしてやるって言っただろ。ああいう曇りのない綺麗な目をした大人未満の輩は、俺は好かんからな」
「私達の目はどんより曇ってます、みたいな言い方やめてよね。それで、他の種明かしは?」
暗に酷い事を言うから釘を刺しておいて、時田へと顔ごと向ける。そして時田は、お父様な祖父の言葉もどこ吹く風だ。
「そうですな。もぬけの殻の方の重臣の方々の脱出も、我々が一報して警察が即座に動いた形になります。高橋様のみ、近くに兵営のある近衛の歩兵第3連隊から決起する者が出て襲う、という玲子お嬢様の夢が御座いましたので、内々に宴席にお呼びした次第となりますな」
「こんな事になるなら、近衛首相もお呼びしておけば良かったかもね」
「それは流石に無理だ。相手は総理で公爵だぞ。策を弄したとしても、無理筋だ。父さんなら声の一つもかけられたかもしれんが、俺じゃあダメだ。格が違いすぎる。それにあの御仁、俺達みたいな輩はお気に召さないから、呼んだところで来るわけない」
「そうかもしれないわね。何にせよ、これで内閣交代かなあ?」
「だろうな。だが、これで宇垣さんが次の総理だ。流石に他がいない」
「そしてお兄様達と連携して、この機会を利用しようとしたお馬鹿さん達を徹底的に叩くわけね」
「ああ、そうだ。それこそが、真打だからな」
「これだけの事件が前座なんて、世も末ね」
私のため息交じりの言葉に、その場のほぼ全員が何らかの同意を示した。
楽しそうなのは、お父様な祖父ただ一人だ。




