462 「二・二六事件(12)」
2月26日の日の入り直前の午後5時。決起部隊は、香田清貞大尉が拳銃自殺。その後、残った将校により降伏と解散が伝えられ、呆気なく終息へと向かった。
海軍などの参加者も、解散か逃亡した。
海軍の方は、首謀者である藤井斉元大尉が、首相官邸突入時にトラックが首相官邸の建物に激突して絶命した影響が大きいと考えられている。
そして陸軍の決起部隊早期崩壊の原因も、決起の首謀者達が分散してしまっていた為、徹底抗戦の意思が保てなかった事が一番の要因とされる。
しかも最強硬派の者達は、首相官邸に突入してその場で降伏。また、一部の者は鳳ビルに向かったはずが、その後連絡不能に陥っていた。
この為、多くの兵士が残る場に主な人物がおらず、士気が崩れてしまった。
また、作戦のほぼ全てが失敗した事そのものが、早々に士気崩壊を起こした一番の原因に他ならかった。
士気崩壊は当日の午前中に早くも起きており、午後0時の戒厳令が布告された時点で決定的だった。
そして呆気なく終息に向かった為、様々な勢力が動く時間も与えられなかった。
なお、短時間で終息した事から、『雪が止むまでに決起は終わった』と記されるようになる。
時間が与えられなかったのは内閣も同様で、近衛文麿総理が決起部隊の襲撃を受けて重傷を負った事、登庁が通常の午前9時と緊張感に欠けていた事もあり、機能できなかった。
決起部隊が面会を望んだ荒木貞夫大将と山下奉文少将も、知らせが無かったので通常通り登庁して事態を知ることになった。
しかも多くの者が、朝の通勤の混乱によって通常より遅れての登庁なので、さらに事態を知るのが遅れた。
唯一活発に活動していた閣僚は、宇垣一成内務大臣のみ。
彼は内務大臣官邸に住んでいた事と、決起軍が動き出した直後に連絡を受けて対応に回れたので、活躍する事ができた。この辺りは、内大臣、侍従長と事情は近かった。
皮肉にも、襲撃されやすい政治の中枢に住んでいた人々が、地の利を活かしていち早く対応できた事になる。
この為、警視庁の動きも迅速だった。そして警視庁がすぐに体勢を取れた為、半ば事前に出動した近衛師団も動く選択肢を増やす事が出来た。
陸軍の方も、当時陸軍省にいた軍務局長の永田鉄山が仕切り、川島陸軍大臣を操るかのような動きで全てに先んじた。
永田らが陸軍省にいたのは、陸軍の近代化計画の為徹夜もしくは泊まり込みでここ数日詰めていた影響だった。
だが、事件を予測していたのではないかという疑念が当然持たれる。
それに対して永田らは、事件当日夕方の議事録が残された会議の場でこう反論した。
「軍の近代化促進は急務であり、ここ数日は年度末に向けて関連する仕事が溜まっていたのを処理していたに過ぎない。
一方で、決起部隊に属する連隊が連日不自然な夜間演習をするなど、兆候はいくらでもあった。だから我々は、万が一に備えて警戒は怠っていなかった。それよりも、我々の事前の警告を聞き流していた貴君らこそ、何をしていたのか?」
この言葉に反論出来る者はいなかった。
永田ら実務職の者達が、陸軍の近代化計画を精力的に推進してきたのは事実だった。
また決起の予兆に対する言葉には、暗に同調もしくは同情する者達がいる事を示していた。証拠はないが、彼らが意図的に決起に有利になるよう動いていたのも周知の事実だった。
そして、何故こんなに早く察知したかについては、さらに辛辣だった。
「憲兵隊からは、約1週間前には決起する者達の名簿と主な襲撃対象の報告が上げられていた。だが、可能性であり、拘束などの行動に出る事は我々もできなかった。
また、報告は1週間前なのに、私の元に正式な方法で知らされる事は無かった。この点、非常に問題があると考え、我々も慎重に行動せざるを得なかった」
「つまり、陸軍内に多くの同調者や協力者がいると?」
「調査前なのでまだ断言はできないが、意図的に情報を止めているか報告を怠っている可能性があった。一方で、市中の者、より明確には青年将校達の糾弾目標とされていた一部財閥が、身の危険を感じて常日頃から彼らの動きに注意を傾け、動きがあるとすぐに通報してきた。
警視庁も、決起部隊と憲兵隊の普段の言動から、独自に警戒を強化していたに過ぎない。憲兵隊については、一部不可解な動きを見れば説明になるだろう」
これで永田らと対立する者達は、かなり追い詰められた。しかし決起部隊同様に、近衛師団も勝手に動いたのではないかと追求した者がいた。
当然、説明があった。
「近衛師団については、陛下に万が一の事態があってはならない為、近衛師団長と連絡を取りあっていた。
また、陛下の御心を煩わせないように、極秘に夜間訓練、夜間待機を実施していた。陛下との間にも、侍従長、内大臣を通じて御心を確認して頂き、万が一の場合に即座に行動に移るお許しも頂いていた」
「また、近衛師団に対する陸軍の命令系統としては、陸軍大臣から陛下をお守りする為の行動許可は、事前に承諾を頂いている。命令書と文書も存在する。だが、どこから情報が漏れるのか不明の為、一部関係者以外には極秘としていた」
「また、憲兵隊など各所に問うて回ったが、近日中に事を起こすかもしれないとの報告があるのに、陸軍内では誰も何もしていなかった。警視庁の方が、余程事前に策を講じていた。憲兵司令も数日前の会議で警告を発し、本職など数名も警戒を強化するべきだと申し上げたにも関わらず、だ」
「それに対して、言を左右にしたのは誰か。陸軍に属する者として、非常に恥ずべき事態だと考えるものである。そしてこの件については、後日明らかにさせて頂く所存だ」
一気に畳み掛けられ、もはや彼らから見ての不審点を追い詰められるどころか、追い詰められた挙句に奈落に落とされたも同然だった。
それでも、食い下がる者もいた。
前日夜から急に道路工事が増えた件、襲撃された者が逃げた件についてだった。
これにも、淀む事のない回答があった。
「深夜の道路工事については、陸軍の関知するところではない。だが私の知る限り、深夜ではないが道路工事自体は以前から各所で行われていた。
重臣が凶弾を逃れられたのは、鈴木貫太郎侍従長、斎藤実内大臣については、決起すぐに通報を受け辛くも脱する事ができたと話を聞いている。高橋元蔵相については、前日より鳳伯爵の招待を受けて家を空けていたという報告があった。宇垣一成臨時総理兼内務大臣は、内務大臣邸を動いていないとお聞きしている。
また、渡辺教育総監にも決起すぐの連絡があり、念のため移動されたとのお話もあった。ほか、襲撃を受ける恐れのある政友会、民政党の重鎮方にも各所から早々に連絡があり、それぞれ対応されたとの話を聞いている」
その後も、苦し紛れの質問、疑問はあったが、その全てに何らかの明確な返答があった。
そして総括としてこう締めくくられた。
「決起した青年将校達は、数年前から言動に不安を感じるものが多数存在した。その彼らが、所属する連隊で夜間演習などを頻繁に行ったのであるから、警戒し万が一の事態に備えるのは道理。
事を荒立てるななどの一般論により、楽観視していた者、放置もしくは見て見ぬ振りをしていた者の方が、陸軍軍人としては大いに問題があると言わざるを得ない」
その後、決起部隊は下士官兵は原隊へと戻り、将校は全員が憲兵隊に逮捕された。この逮捕者の中には、決起に参加した海軍将校の生き残りも含まれていた。
ただし、変電所を破壊した民間人の多くは、状況を知らないこともありしばらく逃走を続け、全員が逮捕されるまで1ヶ月以上かかる事になる。
また、東京以外で牧野伸顕元・内大臣も襲撃を受けたが何とか逃げ延び、襲撃した河野大尉は事態を知った数日後に自殺を図った。
なお、襲撃後の首相官邸から脱出しようとした磯部中尉は、首相邸宅・官邸の建物からの脱出には成功するも、完全に包囲されていた官邸敷地からの脱出は出来なかった。
それでも強引に柵を越えて脱出しようとしたところを包囲していた兵士に見つかり、誰何の後に銃撃を受けて負傷。意識を失ったところを逮捕されている。
三人称はこれにて幕。
ですが、舞台裏を見るのと後始末で、事件自体はもう数話続きます。
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『雪が止むまでに事変は終わった』:
2月25日夕方から降り始めた雪は、丸一日経った26日夕方には止んでいる。
なお、史実での反乱とされる事件自体は約4日間続いた。




