460 「二・二六事件(10)」
2月26日の夜が明けた。
東京市街は、一面の雪景色が朝日に照らされ幻想的ですらあったが、日本の政治の中枢部はそれどころではなかった。
異常事態が起きているのは、東京市中心部に住む者のかなりは大規模な停電で知ることになるが、まさか陸軍の一部の者が決起してクーデターを図ろうとしたとは、考えも及ばなかった。
全てが満足できるほどでないにしても、日本は世界大戦以来かそれ以上と言われる未曾有の好景気に湧いていた。農村部ですら、政府は不作の対策を可能な限りしたし、建設景気で潤っているところが多いので、現状に文句を言う者の方が少数派だった。
満点でないにしても、内政、外交も順調だし、人々の顔は総じて明るかった。
だから、軍が決起したと言われても、いまひとつ実感が湧かないというのが正直なところだっただろう。
一部新聞の号外だけが状況の断片を伝えていたが、悪い冗談のように受け取る者の方が多かった。
一方で、後日話が伝わってくると、決起した青年将校達の言っている事も全てを否定出来なかった。
彼らが決起した理由である、天皇親政などの近代国家として相応しくない国粋主義的な精神論はともかく、『元老、重臣、軍閥、政党などが国体破壊の元凶で、奸賊を誅滅して大義を正す』というのは、一部共感できるものがあった。
特に、政治家と財閥系大企業との癒着をはじめとする政治腐敗への糾弾は、それなりの共感を呼んだ。
財閥側の慈善事業などで財閥敵視の風潮は幾分小さくなり、景気が良く所得が右肩上がりといっても、庶民にとって財閥が気に入らないのはいつもの事だ。
政治家の腐敗についても、満足できる時代はどこにもなかった。
勿論、国体という言葉を持ち出す事については諸論あるが、世界大戦以後の日本では特権階級だけが良い目を見ていると思われていたからだ。
ただし決起した青年将校達の言葉が世に出てくるのは、かなり先の話。事件が起きた直後の時点では、東京中心部が停電していて、市電が動いていない事の方が市民達にとっては大問題だった。
しかも近年稀な大雪で、ここ数年で車の数が増えた事もあって、バスやタクシーもうまく走れないので、朝の通勤の混乱に拍車をかけた。
そして中央官僚達が、市電を使わずに国鉄の東京、有楽町、新橋などから歩いて登庁しようとすると、官庁街の多くの地区が陸軍によって封鎖されていた。
そしてここで、多くの者が東京中心部で大変な事が起きたのだと知る事になる。
ただし、事件が夜明け前の早朝なので、新聞の大半は間に合わない。
ラジオのNHKも、交通情報や天気については触れたが、何か事件が起きたのかという点には殆ど触れなかった。せいぜい、停電発生中と報じたにとどまっている。
辛うじて、少し遅れて出された新聞の号外だけが、何が起きたのかを伝えてくれていた。
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「以上が、我々の要望となります」
陸軍大臣官邸前で、香田清貞大尉が読み上げた。その隣には首謀者の一人、丹生誠忠中尉の姿もあった。丹生中尉は中隊を率いていたが、証人として横に並んでいた。
彼らの話を聞いたのは、その場に居合わせた石原莞爾大佐と鳳龍也少佐。時間が朝6時頃とあって、まだ他の将校達は登庁してきていなかった。
陸軍大臣の川島義之大将は風邪でまだ起きられず、部屋を暖めたら中に招き入れて話す事もできるだろうと、大臣夫人が言い訳をして取り合わず。
陸相官邸の前にいた、石原大佐と鳳少佐がまずは内容を聞く事になった。
これに対して決起部隊の代表の2名は、大臣との会談を望み、さらには指定した将軍を呼ぶ事も要望した。
だが、陸軍の中枢部には既に近衛師団の1個大隊が展開し、陸相官邸には1個中隊が既に展開しており、白旗を掲げての談判では強気も押し通せなかった。
彼らも1個中隊を後ろに伴っていたが、必要以上に近寄れば撃つと言われ、後方に待機させていた。
「貴様らの言いたい事は分かった。写しがあるなら、それも預かろう」
「我々は、陸相並びに古荘次官、荒木大将、山下少将と直にお話ししたい。陸相以外のお三方をお呼びしろ。我々が維新を完遂する為には、貴様らでは話にならん」
鳳少佐の言葉にも、香田大尉は怯まず、逆に鳳少佐に厳しすぎる視線を向ける。彼らにとって、鳳少佐は憎悪の塊のような社会的位置にいるからだ。
そうした状況に対して、石原大佐はいつものように「フンッ」と鼻で笑って一喝した。
「何が維新だ。何も知らない下士官兵を巻き込んで、維新がやりたかったら自分達だけでやれ」
痛い所を突かれ、2人は一瞬絶句する。
しかし香田は、すぐに立ち直った。
「大佐殿は、軍の体制について一家言あったと記憶しております。我々の考えと違うと思いますが、今回の我々の維新についてどう思われますか?」
そんな質問をされると思ってなかったのか、石原大佐は鳳少佐に一瞬視線を向けてから少し考える。
石原としては、今の陸軍主流である漸進的総力戦論の提唱者である鳳少佐をあえて無視して、少し違う論を持つ自分に聞いてきた事が意外だったのだろう。
「俺にはよく分からん。俺の考えは、軍備と国力を充実させる事だ。それが俺にとっての維新であると言うなら、維新になるだろうな」
そこで一旦言葉を切ると、一気に語気を強めた。
「いいか。こんなことはすぐ止めろ。やめねば軍規をもって討伐するぞ!」
「石原大佐のおっしゃる通りだ。既に首相官邸を襲撃した栗原中尉は降伏した。そして彼らと近衛師団が、既に銃火を交えている。こちら側に、引き金を引くに際して躊躇う理由はないぞ。鎮圧の為の部隊もすぐに到着する」
「脅しても無駄だ。我々は命を賭して決起した。要望が受け入れられるまで、決して矛を納める気はない」
「では、さらに陛下に弓引く事になるぞ。何故近衛師団が、こうも早く出動したのか少しは考えてみたらどうだ?」
「き、貴様らが、陛下を誑かしたからに決まっている!」
「そうか? 辛くも貴様達の銃弾を逃れた近臣の方々への横暴に対して、陛下は激怒されておられるとのお話だ。
頭を冷やしたら、もう一度ここに来い。決起した部隊を即時解散するというのなら話を聞こう。それ以外はこれ以上何も聞かないから、そのつもりでいろ。それと、貴様達に残された時間は多くはないという事も、肝に命じておけよ」
冷たく突き放すような言葉に、2人は絶句するしかなかった。
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「永田君、彼らが伝えて来た蹶起趣意書や諸々の要望は、陛下にお伝えするのか?」
「閣下、勝手に兵を用いた時点で、彼らに何かを言う資格など一切ありません。また陛下の御意思は、彼らが兵営を出た瞬間に下されております。
加えて、既に市民に犠牲と損害が出て、近衛首相は重傷、各大臣邸も襲撃を受けました。彼らには、何かを訴える資格どころか、弁明の余地すらありません。即刻、断固鎮圧するべきです」
午前6時半頃、陸相官邸を訪れた永田鉄山軍務局長は、川島義之陸軍大臣に語気も強く言葉を重ねていく。
それに対して川島陸軍大臣は、困惑げな表情だった。
「しかし、そうなると……」
「既に彼らの愚挙により、陸軍同士が交戦しております。これ以上、陸軍全体が醜態を晒すわけには参りません」
永田は強い態度で言葉を続ける。
「そ、そうだな。うん、それは勿論だ」
「はい。それに、陛下が万が一の事態を憂慮され、事前に御意思を内々に示されておられたのです。これ以上は、陛下に対しても申し訳が立ちません」
「うむ。だが現状では、彼らを包囲するにしても兵力が足りないのではないか?」
「ご心配には及びません。青山の近衛の第4連隊、赤坂の近衛の第3連隊の信頼のおける部隊、第1師団の信頼の置ける甲府、佐倉の各連隊、さらに習志野の騎兵第2旅団と千葉の戦車第2連隊など、近在の部隊で短時間で到着できる部隊に出動命令を出す準備は整っております。一部の隊には既に状況も伝達済みですので、直ぐに行動可能です。
さらに第14師団の宇都宮、水戸の連隊にも既に一報を入れて準備を始めさせています。第2、第4師団など他の師団、海軍にも、既に緊急伝を発しました」
「そんなに。それに戦車まで出すのか」
「相手を圧倒的戦力で威圧し、自らの意思で降伏もしくは解散に追い込む為です。我々とて、これ以上の同士討ちは避けるべきだと考えております」
「そうだな。しかし、陛下の御意思か」
「はい。陛下は今回の一件に対して、「全く私の不徳の致すところだ」と落胆されると同時に、非常に大きな憤りを感じておられたとの事です。そして二度とこのような事が起きぬよう、起こさぬよう、断固たる態度で当たるべしとのお考えです。さらに、」
「まだおありなのか?」
「はい。さらに、今回の一件を政治的に利用しようとする者達も、同列もしくは準じるべきだとも、既にお示しでいらっしゃいます」
「そ、そこまで強くお考えなのか。……ならば是非も無い。永田君、必要な件は全て命じたまえ」
「了解しました。では、軍内部の決起部隊に同情的な者に対してですが、少しでも同情、連座する動きを見せれば、陛下の御意思に反すると伝えても宜しいでしょうか」
「そこまでする必要があるか? それに、天皇親政など訴える者は、もはや少数派だろう」
「ですが、皆無ではありません。そしてここで……」
「ああ、分かった、分かった。既に陛下の御意思は示されているのだ。断固たる態度で行なってかまわん。……それにしても、本当に事を起こすとはな」
(あなたがそんなだからですよ)
永田はそう思いつつも、もはや派閥力学の妥協で陸軍大臣になっただけの男に関心はなかった。ただ一度、軍人らしい敬礼を決めてから、その場を後にした。
陸軍同士が交戦:
史実の事件で、交戦は無かった。この為、鎮圧側に皇軍相撃つの恐れを抱かせ、事件を長引かせる要因になる。
戒厳令:
史実では、事件発生翌日の午前3時に施行されている。
「何が維新だ。〜:
この辺りの石原莞爾の言葉は、殆どを残された史実の言葉から引用しています。




