446 「事件の傾向と対策(4)」
「それで、夢の中でのこいつらが襲うのがこれだったか」
そう言ってお父様な祖父が、目的のページまで紙束をめくる。
そこにはこう書かれている。
第一次目標
岡田啓介 (内閣総理大臣)
鈴木貫太郎 (侍従長)▲
斎藤実 (内大臣)●
高橋是清 (大蔵大臣)●
牧野伸顕 (前・内大臣)
渡辺錠太郎 (教育総監)●
第二次目標
後藤文夫 (内務大臣)
一木喜徳郎 (枢密院議長)
伊沢多喜男 (貴族院議員、元台湾総督)
三井高公 (三井財閥当主)
池田成彬 (三井合名会社筆頭常務理事)
山崎小弥太 (三菱財閥当主)
※●は死亡 ▲負傷
「なんとも、今と随分違う顔ぶれだな」
「この10年ほど、政治と外交の動きが全然違うからね」
「既に政党政治が形骸化していたんだったか。そう思えば、政治家も意外に頑張っていると見るべきなのか?」
「結局、何をしても徹底出来ないのが、明治以来の日本の政治的な仕組みなんじゃない?」
「徹底ね。極端化、じゃないのか? だが何故だ?」
「分かってて言わないでよ。日本は他国と違って政治の構造上、独裁者に当たる決定か調停する人を、1人に集約できないのよ。だから青年将校達が、君側の奸って表現して複数の重臣を狙うんじゃない」
「なるほどな。だが、なんで西園寺公が目標になってない? 前から疑問だったんだが」
「えーっと、確か全員殺したら組閣の手続きが出来る人がいなくなるから、じゃなかったかな?」
「まあ、それはそうだろうが、そんなところだけ政治の手順を守るってのも滑稽だな」
お父様な祖父が小馬鹿にするように肩を竦めるけど、否定する者はこの場にはいない。それよりって感じで、善吉さんが私を見る。
「それで玲子ちゃん、第二次目標の方々はどうなったんだい? 結果が書いてなかったけど」
「誰も何もされていません」
「何故? 陸軍の駐屯地から首相官邸の途中に、三井さんのお屋敷がある。小弥太さんの屋敷も、うちの直ぐ側だから手を出しやすいだろうに」
「第一次目標への集中に決めただけです。流す血は最低限というのが、心情面での理由ですね。それに、日本の政治中枢の占領を優先したんでしょう。あとは、参加者に財閥嫌いの者がいるから、候補に入れただけなのかもしれません。彼らとしては、首相と重臣を殺せば、あとは天皇親政の内閣を作らせるだけだったんでしょう」
「本当にそうなら、我々としては一安心だけどね」
「善吉、気を抜くな。俺とお前、それに恐らく玲子も、三井や三菱と同様に目標だ」
「私もなの? じゃあ、精々おもてなしの準備をしてあげないとね」
「そういう事だ。それで、現実の方の連中の目標はどうなる?」
「こちらをご覧ください」
すかさず時田が机に置いた紙面に、全員が注目する。
最優先目標
近衛文麿 (内閣総理大臣)
鈴木貫太郎 (侍従長)
斎藤実 (内大臣)
高橋是清 (前・大蔵大臣)
牧野伸顕 (前・内大臣)
宇垣一成 (内務大臣)
二次目標
原敬 (元首相・立憲政友会重鎮)
犬養毅 (元首相・立憲政友会重鎮)
加藤高明 (元首相・立憲民政党重鎮)
三井高公 (三井財閥当主)
池田成彬 (三井合名会社筆頭常務理事)
団琢磨 (三井前総帥)
山崎小弥太 (三菱財閥当主)
鳳麒一郎 (鳳一族当主)
鳳善吉 (鳳グループ代表)
(近衛文麿が国のトップとか、私的には違和感ハンパないなあ。それに、やっぱり渡辺錠太郎は外れるか)
「玲子は入れないのか?」
「彼らの性格と方向性から考え、また玲子お嬢様の世間の風評を考えると明確な目標にはされにくいかと」
「龍也、それで問題ないか?」
「不確定です。ただ軍の側から言えば、玲子が目標なら俺も含まれる可能性も高まります」
「例の論文か。連中の思想的指導者の北一輝の対抗馬だからな。玲子の場合は、雉も鳴かずば撃たれまいってやつだな」
そう結んでお父様な祖父が軽く笑う。
私が鳴いたというのは、お兄様がドイツ留学から戻った時のちょっとした話し合いの時の事を言いたいのだろう。
もっとも私の場合、『鳳の巫女』という外から見るとよく分からない、もしくは不気味な存在だから、狙うよりも『触らぬ神に祟りなし』的に思われている向きの方が強いと、総研の貪狼司令から教えてもらって、ちょっと凹んだ事がある。
どうやら私は、悪役令嬢どころか、もののけを通り越えて、祟り神にまで昇華していたらしい。もっとも、聞いたのは何年か前だから今は笑みを返すだけで、他に気になるところを聞く事にした。
「吉田茂様は入ってないのね」
「はい。今はロンドンでございますので。仮に東京にいらしたとしても、対象からは外れていたようです」
「外務大臣は対象外って事?」
「青年将校の一部には、英米ではなくドイツと結びソ連に対抗するべきだという意見は確かに御座います。ですが、反共産主義で連携するなら、英米の方が現実的とする見方の方が優勢のようです」
「そこまで馬鹿じゃないって事か。それなのに斎藤実様が優先候補なのは、内大臣だから?」
「左様です。玲子お嬢様の夢と違い、今まで総理どころか大臣にもなっておりませんが、内大臣になった時点で彼らの見るところの君側の奸に当たります」
「それじゃあ、宇垣様が目標な理由は? それに永田様は目標になってないの?」
「青年将校達の神輿であった荒木貞夫大将を、辞任に追いやり名声を落としたのが、宇垣一成だと考えております。また、現時点で裏から陸軍を制御しているのは、永田鉄山らではなく依然として宇垣一成だと見ています。永田鉄山は、小狡いだけの能吏でしかないというのが、彼らの一般的な見方のようです」
時田にしては、少し蔑んだような口調だけど、対抗する相手にそんな評価しか出来ないから、精神論へと傾いたんだろうと私も思う。
お父様な祖父も、少し皮肉げな笑みを浮かべている。
「宇垣さんは、永田らと妥協しあったのが仇となったか」
「その辺りかと。また内務大臣なのも、気に入らない様です」
「警察の総大将でもあるからな。それにしても、宇垣さんも大変だな。首相になってたら、蜂の巣にされてただろうな」
笑えないジョークで、お父様な祖父がカラカラと笑う。
しかし笑いを収めて、少し真面目な表情になる。
「それで、連中が最大規模の勢力になった場合、どれくらいまで襲ってくる?」
「はい。二次目標も襲われる可能性が高いかと。また、玲子お嬢様の夢と同様に、最優先目標はどの様な場合でも確定です。動員できる戦力が少ない場合でも、各所の襲撃人数を減らして襲うと考えられます。ただし、少なすぎる場合、警視庁の制圧は牽制程度になる可能性も御座います」
「確か安藤だったか、そいつを龍也が調略中だったか?」
「俺も一度会って話しましたが、主に西田が接触していますし、永田さんも気にかけています。それに安藤は、性急な行動にも決起にも消極的です。
そこで、2月の終盤から満州辺りに長期出張させようかという案があります。安藤は人望がありますので、欠けると歩兵第3連隊の将兵の多くが決起に参加しない可能性が高まります」
「ここまできたら、決起自体はしてほしいがな。それで、うちが襲われる可能性は?」
「玲子の夢とも合わせて考えると、可能性は低いでしょう。ですが、鳳ホテルもしくは鳳ビルが接収される可能性は、どの条件でも相当高くなります」
「首相官邸のすぐ側だからな。そこで俺達は宴会するんだから、寄ってくるだろ」
「本当にするの?」
「するぞ。せっかくの祭だ、参加しないでどうする?」
私が胡散臭げなジト目で見たのに、お父様な祖父にはドヤ顔で返された。
勿論、言葉通りじゃない。こっちに決起した連中を引き寄せ、正当防衛で反撃するのが目的だ。つまり私たちが集まって宴会するのは、囮の役割という事だ。
まだ詳細は教えてもらってないけど、こっちの重要人物は、深夜のうちに鳳ビルの地下に潜んでしまうのが目的だろう。あの辺りで隠れるなら、一番の場所だ。
あそこの地下の実態は外部には秘密で、今の所限られた関係者以外に知られた形跡はない。何かあると想定されていても、内部構造は知られていない筈だ。
仮に知られていても、民間用のダイナマイト程度では深部に至る分厚い扉は破れない。壁も同様だ。
万が一の事故などの際の抜け道、非常口はあるけど、簡単には見つからないし関係者以外は知らない。
そして地下深くは、水も非常食も発電機も全部あるから、救援が来るまでこもり続けていれば良い。
そもそも、夜は玄関扉は勿論、1階窓はすべて頑丈なシャッターが降りる。最低でも軽機関銃か手榴弾を使わないと、侵入は不可能だ。
しかも中、特に地下の浅いところは、秘密じゃない区画も、柱や壁は異常なほど頑丈に作られている上に、あえて複雑な構造になっている。守る場合には、隠れる場所も多い。普段訪れる私から見ると、ちょっとした迷路や3Dアクションゲームのセットみたいだ。
そして照明をこちらからの操作で落としてしまうと、地下なので昼間だろうと暗闇になる。
普通の戦闘訓練しか受けていない兵士では、右往左往するだけで終わる様に出来ていた。
一方で鳳の本邸は、半ば砦のように作り変えたけど、100名からの兵士に攻め込まれたら、流石に落城必至だ。それでも10名程度なら撃退できるようにしてある。
ただ、お父様的には、重要人物以外には手を出さないと見て、屋敷自体は半ば囮にするつもりらしい。
私としては、私の前世の歴史での山王ホテルの様に決起軍の司令部にされて、鳳ホテルの中が荒らされないかだけが気がかりだった。




