443 「事件の傾向と対策(1)」
1月最後の土曜日の夜。鳳の本邸の奥まった一室に、鳳一族のトップが集まった。
当主の麒一郎、鳳グループを率いる善吉、次の当主と言われる龍也、鳳長子の財産であるフェニックス・ファンドを預かる時田丈夫、そして私だ。
私は、この会に初めて参加する。
また、貪狼司令あたりの鳳の裏事情を知る人達は、この話し合いの後に情報の多くは共有するけど、この集まりはあくまで鳳一族の内々の話。
私の執事のセバスチャン、エドワードも、まだ合格じゃないらしく貪狼司令と同じカテゴリー。
逆に虎三郎は資格はあるけど、昔から当人が参加を拒否している。玄二叔父さんは、こういう話し合いがある事を知っているけど、鳳の中枢からは実質弾かれた人だし、当人も参加資格がない事は十分に自覚している。
それ以外だと、私の夫となる人、つまりハルトさんも、いずれ参加する資格を得るのだろう。また可能性は薄いけど、マイさんの婿養子となった涼太さんも、当人の能力次第ではあり得るみたいだ。
「以前は、曾お爺様とお父様、時田だけだったのよね」
「5年くらい前まではな。だが、震災前は龍次郎がいたし、大戦前くらいの頃は玄一郎様と麟様もいらした」
「本当なら、玲子じゃなくて麒一さんがいるべきなんだけどね。玲子には、本当に済まないと思っている」
お父様な祖父の後を次いで、お兄様が私の先回りをするように言葉を続ける。
けど、なんとなく、こんな事を大人達がしているのは気づいていたし、政財界の諸々に色々と関わってきたと考えている私としては、今更感の方が強い。
むしろ遅いくらいに思うから、一言言いたくもなる。
「あと2年ほどで結婚するので、私の座はハルトさんが継ぐんですか?」
「いや。あいつは、まだしばらく様子見だ。優しい奴だしな。当面は玲子が顔を出せ。結婚したところで、この本館住まいは変わらんしな」
「それじゃあ、夫婦間に秘密を持てと?」
「お前らは少し特殊だが、この場の全員が伴侶に秘密持ちだ。そこは負けろ」
そう言われてしまうと言い返す言葉もない。
「モウッ、言い返せないでしょ。分かりました。それじゃあ、セバスチャンは?」
「場合によっては呼んでも良い。だがあいつ、日本国内の事は少し疎いからな。逆に外のことに疎い者が、この中にもいる。あいつは対外担当で良いんじゃないか?」
「適材適所ね。りょーかい。それで今回のお題は、陸軍青年将校によるクーデター計画でいいの?」
そう言って全員をゆっくり見渡す。するとお父様な祖父が軽く首を横に振る。
「その前段階。共通認識の再確認、というよりお前の夢の再確認からだな」
「一方で、警察、憲兵、鳳の警備部門、皇国新聞、雇っている探偵などから、関係者の動きが活発化している事が報告されている。また数日前から、第1師団の歩兵第1連隊、歩兵第3連隊の駐屯地の中で、何らかの夜間演習が行われているという報告を受けている」
お父様な祖父に続いたお兄様の言葉で、いよいよ事態が差し迫っている事を嫌でも実感させられる。
「夜間演習が始まったのなら、もう待った無しね」
「そう言う事だ。それで、持ってきただろうな」
「夢を書き留めた奴なら、机の上にずっと置いてあるでしょ」
「他は?」
「それで全部よ。て言うか、1つの事件に対してなら、今まで一番多い分量なんだけど。昔、一回は読んでいるでしょ?」
「随分前にな。他に読んだのは、時田と龍也くらいか」
「はい。あまりに詳細なので驚かされ、さらに調べていくと合致する事ばかりで、二度驚かされました」
「龍也様のおっしゃる通りです。ですが、時と共に随分と違ってはきましたな」
「半分は、俺たちが捻じ曲げたようなもんだ。その点では、俺も驚かされたな」
二人の寸評に、お父様な祖父がニヤリと男らしい笑みを浮かべる。お父様な祖父にとっては、国を憂うる青年将校達も視野の狭い悪ガキ程度なんだろう。
私もそう思うけど、そんな輩が軍隊を自分の目的に動かせる立ち位置にいるのは大問題だ。
そしてそんな問題を前に、あまり情報を知らない善吉大叔父さんが机の上の紙束を手に取る。
もはや懐かしさすら感じる、少し幼い文字で『二・二六事件』と書かれている。
その紙束を善吉大叔父さんが読む間、残りの参加者は軽い雑談に興じる。
中心になるのは、お父様な祖父とお兄様だ。同じ陸軍だから、なんだかんだ言ってお父様な祖父も気になるんだろう。
「それにしても、玲子の言う皇道派って言葉は、ついに現れなかったな」
「北一輝らの影響を受けた将校達も、思ったほど少ないですね」
「しかもそいつらは団結しなかった。何故だか分かるか玲子?」
「頭脳とまとめ役がいないから」
「小畑と西田か。神輿は? 真崎は暗殺されちまったぞ」
「まだ荒木大将が残っています」
「ありゃあもうダメだろ。無能を晒し過ぎた。宇垣閣下のいい引き立て役ではあったがな」
「ですが他にいません。西田の掴んだ情報では、階級の高い者ほど彼らから離れる傾向が強くなっています」
「好景気のおかげで軍の近代化が進み、永田らに鞍替えした方が良い役職に就けそうだからだろ。天皇親政とか威勢だけが良い精神論を唱えるくせに、日和見な連中だ」
お父様な祖父の言葉は容赦ない。けど、主に相手をしているお兄様も、その言葉にフッと皮肉げな笑みを浮かべるのみ。
うん。お兄様は、今日もイケメンだ。
「青年将校達が、荒木大将を担ごうとしているのは本当ですか?」
「真崎大将が、あんな事になったからね。しかも彼らは天皇親政を唱えるが、自分達は君側の奸を排除した後は、主張するべき事、伝えるべき事を伝えた後は潔く散ると言っている。自分達は権力を求めないと言い、自分達が行おうとしている事を昭和維新という者もいるらしい。
そんな奴らは、明治の先達達がどれほど苦労して明治政府を作ったのか、知りもしないんだろう。本当に傍迷惑な考え方だ」
珍しくお兄様が感情も露わにしている。
けど、私も全く同意見だ。お父様な祖父も鼻で笑っているし、時田は首を横に軽く二、三度振っていた。
「じゃあ、徹底的に叩き潰す、でいいのね?」
「当然だ。責任という言葉も知らない者達、そいつらを利用する腹黒連中は、ここで徹底的に潰しておかないと、国の行く末が危うくなってしまう」
お兄様のいつになく厳しい言葉に、私も強く頷く。
歴女としては面白いエピソードに過ぎなかったし、青年将校達の考えにも、あの頃は一部共感すらした。
けど、今の私にとっては、日本国内で一番の障害。いや、障害という言葉すら相応しくない。お兄様のいう通り、傍迷惑でしかない。
そんな私達の顔を見つつ、お父様な祖父が面白げに笑う。
「まあ、玲子のおかげで、連中は俺達の掌の上だ。手札も、あらかた見えている。しかも連中の手札は、玲子の示したものよりずっと少ない。動く時さえ分かれば、潰すのは簡単だ」
「それだけの準備はしてきましたからな」
時田はことも無げに相槌を打つけど、多分、いや確実に色々と仕込んできたのは間違いない。既にその一端は、私も知っている。
ただ、懸念もある。
「具体的にはどうするの。軍がでかい面をするようになるのも、どなたかが暗殺されるってのも、出来る限り避けたいんだけど」
「手は幾つも考えてある。連中だけを叩き潰すなら、俺達は殆ど何もする必要もない手は打ってある」
「憲兵任せ? けど、憲兵隊って青年将校のシンパが多いんじゃないの? それに、相手は連隊の大半を動かすかもしれないのよ。手数が足りないんじゃない?」
「なに、憲兵だって命令は聞く。それに、憲兵でなくても出来る簡単な仕事だ。ただ正当防衛以外では、こっちも簡単には手は出せない」
「だから情報渡して見てるだけ?」
「そう言うな。いいか、軍隊ってのは、並んで行軍している時が弱点だ」
「そこを襲うの?」
ニヤリと笑みを浮かべて頷くけど、さらに口を開いた。
「さらにもう一工夫。兵隊どもが駐屯地を出てくる途中に、伏せておいたトラックから探照灯を照射。連中の先頭に1個小隊くらいの小銃兵を並べれば、それでおしまいだ。どうせ善玉気取りだから、将校どもは一番前を歩いているだろ」
「突然探照灯を浴びせる事で不意を打つと同時に、相手の思考力を瞬間的に奪う。そして兵、下士官はこのまま駐屯地に戻れば責は問わず、将校はこの場で拘束すると伝えて相手を分断。
当然、不用意に動けば一斉に発砲すると告げる。探照灯と一緒に機関銃を見えるように配置すれば、恐らく何もできなくなるだろう」
「そして、駐屯地の武器を勝手に持ち出し、完全武装の兵士を勝手に動かし、そして駐屯地の外に出した時点で、将校どもの重罪は確定だ。
生かして捕らえて、あとは適当な理由をつけて騒動に参加しなかったが似たような考えの連中を予備拘束の形でふんじばり、似た考えの高級将校どもを粛清したら、掃除完了だ」
「もっとも、これは策の一つ。連中もそこまでバカじゃないだろう。だから、最も事が上手く穏便に運んだ場合だな」
お父様な祖父とお兄様が交互に言葉を繋いだけど、確かに言葉通りに事が運んだら、連中は何もできずに壊滅できそうに思えてしまう。
「えーっと、相手がトラックで移動していたら?」
「第1師団、特に歩兵第1連隊、歩兵第3連隊には、トラック、自動車は少数しか配備されていない。陸軍の近代化を一気に行う為に、戦車第一師団と改変する師団に最優先で集中的に配備を進める為、他はあえて遅らせている。特に、第一師団は俺達が細工した」
お兄様が悪い笑みだ。確かに永田鉄山以下の陸軍中央の実務職を牛耳る一夕会なら、そんなの朝飯前だろう。
それに何かひねりの効いた言葉を添えようとしたところで、パサリと音がした。善吉大叔父さんが、私が書いた『二・二六事件』を机の上に置いた音だ。
黙っていると思ったら、読み返していたようだ。
駐屯地の中で夜間演習:
史実でも、事件直前の1月後半から頻繁に行われて、警察は警戒を強めていた。
そして警察からの報告を、憲兵隊内の皇道派のシンパが握りつぶしていたらしい。




