439 「1935年のクリスマス」
1935年の年の瀬。今年のクリスマスは平日ど真ん中の水曜日だけど、学生は24日の終業式を終えたら冬休み突入なのであまり関係はない。
けど、大人はそうはいかない。
だから私のこの年のクリスマスは、クリスマスイブは女学校など学園で過ごし、ディナーは学園まで迎えに来てくれるというハルトさんと過ごした。
と言っても、そこまで特別なデートでもないし、『性なる夜』は結婚までお預けが二人の間の了解。そもそもハルトさんとのデートでは、私がハルトさんに散文的な事を諸々教えている場合が多い。大抵はメモすら残せないものだから、暗記で覚えさせていく。
そして、せっかく二人で会うんだから、ちゃんとデートもしたいので、短時間でゴリゴリと教え込む。そんなスパルタなので、何だかハルトさんを体力面以外で鍛えている気分にさせられる。
実際ハルトさんは、メキメキと成長している。
けどまあ、流石にクリスマスイブは二人でだけイチャイチャ過ごした。
何だか、私個人はすっかり乙女ゲーム世界から、離脱というか解脱してしまった心境になる。
そして25日は、朝から慈善事業の教会ミサなどがあった。昼からは虎三郎の屋敷で、虎三郎一家と私などおまけ達が集まってささやかなパーティー。
夜は鳳の本邸で、本邸に住む人達とディナーが待っている。もう、予定でギッシリだ。
けど、それで終わりじゃない。
ディナーの後、鳳の本邸で同世代の子供達と会っていた。明日でも良いけど、イブも当日もみんな予定が合わなかったから、仕方なく夕食後、大人達が酒を飲んでいるのだから自分達もとばかりに集まることになった。
「下手すりゃ来年は、こんな事できなくなるしな」
そう言うのは、幼年学校から戻ってきた龍一くん。もう、ゲームの頃の姿そのもので、脳筋系イケメンになっている。
「女学校はもう1年あるんだけど?」
「玲子なら、女学校程度は卒業の必要もないだろ。それにどうせ、大学とかに論文を送って博士号くらい取るだろ」
「女学校は卒業したいわよ。私を何だと思っているのよ」
「小学生の頃から、父上と対等に話せるほどの天才だって事は思い知らされているよ。俺じゃあ、まだ同じ年の頃の父上にも及ばないのにな」
(何だかすっかり謙虚ね。脳筋って言うより、本当にお兄様っぽいし)
「そんな弱気で、陸士の予科は大丈夫なの?」
「抜かりはない、と言いたいが、今も必死に勉強中だ。首席で文武両道を目指すのは、時間がいくらあっても足りないな」
「首席のまま将校になれば陸軍の中央勤めだし、武の方はそんなに熱心じゃなくても良いんじゃないの? 大抵そうでしょう」
「そうだけど、父上は違う。剣道だけじゃなくて柔術、射撃、馬術、何でも極めている。段数は高いとは言えないが、単に昇段試験を受ける暇もないだけだからな。それに俺は、父上のさらに上を目指したい」
「何だ、玲子相手に珍しく汗臭い会話だな」
割り込んできたのは勝次郎くんだ。
「そう? 私も護身術は教わっているし、毎日の運動や柔軟、鍛錬も欠かしてないわよ。お馬さんにも乗ってるし」
「俺もその程度はしている」
「嗜みだものね」
「護身術が財閥で嗜みなのは、鳳ぐらいだと思うぞ」
「うちは一応武家出身ですから」
私の返しに勝次郎くんが、「うちも一応武家出身だがな」と軽く肩を竦める。
そんな勝次郎くんは、お屋敷同士とは言え斜め向かいに住んでいるので、こうして遊びにきてくれていた。会う機会はかなり減ったので、こうして会えるのは素直に嬉しい。とは言え、今の勝次郎くんのお相手は瑤子ちゃんだ。
「瑤子もそうなのか?」
「ええ、そうよ。何しろ、お父様は軍人ですからね」
複数のお菓子を持って、近づいてきたのは瑤子ちゃん。そして持っていた一つを勝次郎くんに渡す気配りは、瑤子ちゃんらしい。
この二人も、すっかり良い雰囲気になっている。
「瑤子ちゃんや側近達との朝の鍛錬は日課だからね」
「それどころか、小さな頃からラジオ体操してたものね」
「そうなのか?」
「ええ。しかも最初の時に、放送とは違う体操を玲子ちゃんが突然始めたのよ」
「よく覚えているわね。忘れてたわ」
「『夢』に出てくるやつか」
「そんなところ。それで、勝次郎くんところは、みんなで鍛えたりしないのよね」
「ほぼ俺個人がしているだけだな」
「何年か前までは龍一くんと競ってたものね」
「そう言えばそうだったな。あの頃の惰性もあるかもしれないが、若いうちに体を作っておくのは良いと、家の主治医も言っていた」
「そうよね。紅龍先生も、今でも鍛錬は怠らないって言ってたし」
「あの方は、万能の天才だろ」
「父上と文武双方で互角だからな」
勝次郎くんの感心を通り越えた声の論評に、龍一くんがウンウンと深く頷く。自分たちも、そんなオーバースペックなイケメンになりつつある自覚はあまりないらしい。だから、目の合った瑤子ちゃんと軽く笑い合う。
「何だ、まだ龍一と勝次郎は競い合っているのか?」
「そうだな。いつまでも競争相手だとは思っている」
「進む道は違うがな」
少し顔を赤くした玄太郎くんに、二人のイケメン男子が目線でお互いを認め合う。ボーイズ・ラブ目線で見れば、昇天してしまいそうな絵面だ。
しかもメガネイケメンと一緒に、同じく少し顔を赤らめたいつまでも天使な虎士郎くんも一緒だ。
これで部屋の隅に控えている輝男くんも近くに呼べば、腐った女子的には夢の情景だろう。いや、腐ってなくても夢の情景なのは間違いない。
ただ、ちょっと気になる事があった。
「二人とも顔が少し赤くない? 大丈夫?」
「ん? 大丈夫だと思う。さっき玲子達が飲んでいたホットワインを飲んだだけだ。アルコールはほぼ入っていないんだろ?」
「うん。子供用に用意してもらったからね。けど、ゼロじゃないから、お酒に弱いと赤くなるのかも。二人がそうだとは知らなかったわ」
「当たり前だ。まだお酒を飲む年じゃないだろ」
「そうだよねー。まだ、お屠蘇くらいだしね。玲子ちゃんは、晴虎さんとお酒飲むの?」
「ええ、食事の時に軽い食前酒くらいなら。多分だけど、私すごくお酒強いわよ」
(ゲームではウワバミで、やらかしてしまうしね)
「大人だなー。ボクも、年上のお姉さんのお相手を探そうかな」
「虎士郎くんだと、引く手数多ね。今でもモテるでしょう?」
「んー、どうだろう。音楽する人は男の人が多いから」
「女子の音楽は、令嬢の趣味みたいな見方があるからな」
「私達も、日本、西洋問わず、色々習わされているからね」
「好きな習い事は良いけど、他はウンザリよね」
玄太郎くんの論評に、女子二人で顔を見合わせてしまう。二人とも少し習えば何でも人並み以上には出来てしまうけど、好きでしている習い事はお互い少ない。
その点、習い事が少ないか殆どない男子を羨ましく思う事は多い。
そんな私を、玄太郎くんがメガネをクイっとさせて見てくる。
「玲子は習い事をして、仕事も大人以上にこなして、その上学業だろ。ちゃんと休息は取っているか?」
「私は大学行かないから、気楽なものよ」
「行こうと思えば、世界中どこの大学でも余裕だろうに。こっちは受験勉強で、習い事どころじゃないからその点は羨ましいかもな」
「競う相手が勝次郎くんだもんね」
「まったくだな。勝次郎に勝つには、限りなく満点を目指すしかないからな」
「その台詞、そのまま返すぞ。この俺が気が抜けなくなるとは、流石に考えてなかった」
何だか久しぶりに聞く俺様発言。そしてそのまま、競い合う男子同士で話し始める。
けど二人とも、いや龍一くんを含めて3人は、十分チートキャラだ。普通の秀才でも首席合格を目指すなら、こんなところで油を売っている暇はないし、勉強以外している余裕はどこにもない筈だ。
もっとも、この3人でなくても、史実のネームドの中にもこんな人は居たりする。だからチートでもなんでもないのかもしれない。
それにこうして見ている限り、年相応の男の子達だ。
そんな中、唯一フリーな虎士郎くんが、私の目の前へと来てニッコリ天使の微笑みを見せる。
けどもう、私は騙されない。こういう時の虎士郎くんの、何かを強請る表情だ。
「ねえ、玲子ちゃん。今年も何かクリスマスソング歌ってよー」
「歌ってじゃなくて、教えての間違いでしょ」
だからそんな虎士郎くんに、両手を腰に当てて見返す。それでも天使の笑みは崩れない。しかも隣で瑤子ちゃんも、期待する目を私に向けている。
「ハァ。もうストックはないわよ。毎年毎年、幾つ教えたと思っているの?」
「そうだけど、玲子ちゃんならまだまだあるよね」
そう言って、目をキラキラさせている。何年か前の私なら、既に撃沈していた事は間違いない。
それにストックがないのは本当だ。私はジュークボックスじゃない。
「フルコーラスはもう無理」
「それでも良いから〜」
カラオケでよく歌いはしたし、この体の頭脳を使えば、その記憶を呼び起こすのも容易い。けど肝心な方が、中途半端なものばかりしか残っていない。
サザンもユーミンもジョンもマライアもその他沢山、今までに教えてしまっていた。
そして虎士郎くんは、私が付け足した演奏やメロディーの鼻歌まで加えて、ほぼ完全再現してくれていた。勿論、世の中に出たりはしない、私達だけの秘密の歌として。
「じゃあ、メロディーとかサビとか覚えているところだけね」
そう言って、今年のクリスマスソングを歌うのだった。
ラジオ体操:
1928年11月から放送開始。ただし旧ラジオ体操。現在のラジオ体操は3代目で、1951年から。
1932年には、ラジオ体操第2も旧バージョンが開始されている。




