436 「鳳凰院家への訪問」
川崎生田にある鳳学園の広大な敷地は、まだまだ森林が多くを占めている。市の緑地公園も隣接しているので、尚更緑が多く感じる。
大正時代、世界大戦で大儲けした鳳財閥がこの辺り一帯の山林を購入したけど、当時はこんな土地どうするんだと言われたりもした。
そこに鳳の本邸近くの六本木から移転してきた鳳学園、鳳大学、鳳病院、さらに鳳製薬の研究所と工場が建設されたけど、当初は土地の3割程度を使っただけ。しかも学園敷地を中心に、緑も多く残されていた。
ゆくゆくは周辺の田畑も購入して、大きな製薬工場や学園、病院の拡張を考えていたと言われるが、それも大戦景気が終わってご破算。さらに関東大震災による不況も重なって、寂れる寸前まで追いやられた。
何しろ当時の関東平野の中心部は、東京市街以外の大半の場所は都市ではなく、ただの田園地帯。生田のあたりには国鉄と私鉄が通っていたけど、開発はまだまだこれからの場所。
当時はまだ非常に珍しかった救急車まで自前で用意したのに、病院は半ば結核患者のサナトリウム状態。
学園も、ド三流の私学ということもあって、六本木の狭い敷地にあった方がマシだったと言われる始末。それでも学園は、鳳財閥に必要な人材育成センターの役割があるから、全体としての経営と存続は可能だった。
大きな変化が訪れるのは、私が転生してきてアメリカのダウ・インデックス株が跳ね上がり始めてから。
そして1926年くらいから、天才医学者鳳紅龍の名が知れ渡るようになると、学園、大学、病院の知名度も比例して大きく向上。製薬会社は、大きな利益を上げるようになった。
そして1930年、鳳紅龍がノーベル生理学・医学賞を受賞すると、変化は決定的となる。何しろ日本初だ。あの北里柴三郎もなし得なかったことを果たし、帝大を通り越えてしまった。
そして元々学園、大学には財閥の金を注いでいたお陰もあって、学園自体の名も上がった。
さらにこの頃から、財閥の膨張に合わせるように学園、大学、病院、製薬会社の規模を大きく拡大。川崎生田の広大な敷地も大改造が行われた。
また病院は鳳グループの新たな大工場に隣接する町々に作られ、製薬会社も生産拡大で新規工場を作った。
そして1935年、鳳紅龍は合計3度のノーベル生理学・医学賞を受賞して伝説となり、知名度が高まり人も集まった鳳大学は、私学の中でもトップクラスの大学という位置付けに置かれるようになりつつあった。
少なくとも私立大学の医学分野、工業分野ではトップクラスと言える。何しろ、グループの規模拡大の為に、学費を抑えるなどして学生を集めまくった。
学園の方も、鳳財閥専門学校呼ばわりだったものが、もはや名門私学の仲間入りだ。特に女子教育に熱心という事で、そうした方面の人達からの評価が高い。
私の通う女学院も、もはや日本有数の名門校だ。
そんなこんなで、昭和に入って以後の川崎生田の鳳紅家の本拠地は、年々賑やかになっている。
城下町とも言える駅前の市街地も拡大し、学園の門前町も学生街的な賑やかさを随分と見せるようになった。
けど、この日の目的地はそのどこでもない。ある意味、この森林の奥の聖域にあった。
そこは壁か高い鉄の柵で仕切られた一角。その中には警備犬も置かれた地区。紅家の一族と高級幹部が住むエリアだ。田舎の土地だから、鳳の本邸のようにある意味密集する事はなく、軽井沢の別荘地のようによく手入れされた森林のあちらに1軒、こちらに1軒という感じで建っている。
そして車で門番のいるエリア全体の正門をくぐり、その中でも最も格の高いエリアに入った先の目的地は、見るからに北欧風の邸宅。白い壁、群青の切妻、赤い屋根、という特徴を備えていた。
「レーコーっ!」
「キャッ!」
玄関のノックをする前に、小さな影が飛び出してきて私の胸にダイブしてきた。後ろでシズが支えてくれなければ、そのまま最低でも尻餅コースだっただろう。
「アンナちゃん! 久しぶりーっ!」
「ンーっ。ひさしぶりーっ!」
そのまま私は抱きしめると、アンナちゃんが頭をグリグリと私の体に擦り付ける。
そして顔を上げ、ニパーッと天使の微笑み。いや、プラチナブロンドの白人というのもあって、もう天使そのもの。私は可愛いがりしながら、笑みくずれっぱなしだ。
「アラアラ、ごめんなさいね玲子様」
「アンナは、電話があってからずっとその調子だ」
「ご無沙汰しています、紅龍先生、ベルタさん」
少し遅れて、ベルタさんと紅龍先生が玄関先までお出迎えしてくれる。しかも、ベルタさんは4、5歳の小さな男の子と手を繋ぎ、紅龍先生は2、3歳の女の子を抱いている。
私とハグしあっているのが、長女のアンナちゃん、男の子が長男の紅明くん、そして紅龍先生が抱いているのが次女の玲華ちゃん。
そして今の紅龍先生の姓は、『鳳』ではなく『鳳凰院』。つまり紅龍先生の胸に抱かれているプラチナブロンドの髪を持つ幼い女の子こそ、この世界での鳳凰院玲華という事になる。
玲華の名前の玲の字は私にあやかったらしいけど、この名前を聞いた時は心臓の鼓動が一瞬跳ね上がった。
けど、この娘が16歳になるのは1949年。しかも紅龍先生の頭脳とベルタさんの美しさを持った、プラチナブロンドのハーフ美少女。私、というか私の体の主とは、まるで違っている事だろう。
紅龍先生の腕の中ではしゃぐ玲華ちゃんは、将来の悪役令嬢どころか天使でしかない。
ただ、何かの因果なのかと勘ぐってはしまう。
なお、『鳳凰院』の姓は国から紅龍先生が賜った名だ。当然、爵位など諸々のオプションが付いてくる。そして鳳凰院家は、ゲーム『黄昏の一族』と同じくかつて存在した臣籍降下した皇族一族が断絶し、名前だけが記録の上で残っていたもの。
ゲームと違って私の生まれた一族の姓が鳳凰院じゃないから気にもしてなかったけど、こんなところもゲームと同じものが転がっていた。
そしてその名を、前人未到、空前絶後とすら言われる3度のノーベル賞を得た人に、国として報いるべく贈ったわけだ。
もっとも政治の水面下では、大財閥となった鳳伯爵家が紅龍先生を利用しないようにと、国が釘を刺した形になる。
さらには、鳳伯爵家がこれ以上影響力を強めないように、家として紅龍先生を切り離したという理由もある。
何しろ紅龍先生は、陛下のお気に入りのご進講学者。
ここ数年は、季節に一度どころか2ヶ月に1回くらいは宮城に足を運んでいる。マジで、陛下の学者仲間にしてお友達状態だ。
そんな紅龍先生が、陛下に不用意に一言を言えば、下手をすれば政治的な影響力を発揮してしまう。それが鳳家からの言葉となれば、陛下を政治に直接関わらせてしまいかねないと、西園寺公などが考えたらしい。
また一方では、紅龍先生の結婚相手であるベルタさんがスウェーデン、さらにはヨーロッパ全体の上流階級に連なる人なので、紅龍先生を政府や国粋主義な人達としては白人倶楽部に持っていかれたくはない。そんな思惑が透けて見える、政治的な動きでもある。
だから紅龍先生が、名前を賜るのを断り切れるものではなかった。
ただし、住む家に関しては、新居を構えたばかりで、妻子がとても気に入っていると言って、この家に住み続けている。
なお『鳳凰院』の名は1934年に賜り、紅龍先生は鳳凰院紅龍と名を改めた。名前についてくる爵位は、当然公爵。
反対や嫉妬はゼロじゃ無かったけど、1000年以上続く名門公家だろうが、元大大名だろうが、維新志士だろうが、世界で唯一無二のノーベル賞受賞3回には誰も敵わない。
だから臣籍降下した皇族の名を賜り、公爵となるのは当たり前だ。
そして皇族に連なる家名となったので、普通はもらえない勲章や位階もノーベル賞を讃えるという名目で紅龍先生に贈られた。
もはや日本の政治上では、総理大臣どころか元老より権威上では偉いくらいだ。
末は博士か大臣かという言葉があったけど、その頂点のさらに先までも極めてしまった事になる。その発言力は、帝大の学者100人分以上、日本の医学界そのものに匹敵するとすら言われる。
まあ、雑誌タイムの表紙に複数回なったくらいだし、それくらいで丁度良いんだろう。
もっとも、当の本人は少なくともプライベートでは変わり無かった。私としては、凄く嬉しい。
「玲子とのお茶も、結構久しぶりだな」
「そうよね。この冬以来ね」
学園通いだから、午後が暇な時はたまに遊びに行ったり、頼み事で行く事がある。だから、こうして会っても懐かしがるほどじゃない。
けど、紅龍先生が少し遠い目をする。
「もうそんなになるか。月日が経つのは早いな」
「本当に。そう言えば、玲子様と紅龍先生が本当の意味でお知り合いになったのは、10年以上も前なんですってね」
ベルタさんは、家が鳳とは別になって公爵夫人になったのに、今でもプライベートの時は鳳の宗家に敬意を示してくれる。というか、相変わらず女神様か聖女様みたいだ。
「えーっと、私がまだ紅明くんくらいの年ね。……もう11年も前のことなのか」
「でもその出会いが、偉大な発見に繋がったなんて、これはもう運命ね」
ニッコリ笑顔でそんな事言われたら、そうなのかもしれないと錯覚してしまいそうになる。
けど、本当に運命的な偶然だ。そして今日も、その延長で紅龍家を訪問していた。
紅龍先生の家族の人達に会うのも目的だけど、単に遊びに来たわけじゃない。そして大抵は、私がご進講のネタを披露するために訪れるのだけど、今日は違っていた。
だから、昼間は歓談して、子供達と全力で遊んで、夕食もお呼ばれしてからが今日の本題だった。
「さて、子供達はベルタに任せて本題に入ろうか」
「うん。お願いね」
雑誌タイムの表紙:
戦前でも、日本人はかなり表紙に取り上げられている。ただし、敵や悪名に近い形での採用が圧倒的に多い。




