427 「湘南海岸での避暑」
夏休み、熱海から湘南海岸の鵠沼へ。
鵠沼の別荘は夏に時折立ち寄るけど、そろそろ別荘は引き払うべきかと言う話が出てきている。私鉄が通ってからと言うもの、鵠沼は別荘地ではなく郊外住宅地として発展しつつあるからだ。
それに鎌倉を挟んだ反対側の逗子には、立派な別荘がある。ただ逗子の別荘は、善吉大叔父さんの奥さん、私にとって大叔母の佳子さんが殆ど住み着いた状態になっている。
鳳の本邸に善吉大叔父さんが住むようになったけど、本館にはまだ私がいるし、旧館、別館にも他の一族が住んでいるから、居心地が悪いらしい。
また、私は鵠沼の別荘は気に入っている。だから塀を高くするとか警備を強化する程度で、そのまま維持するようにお願いしていた。
私が気に入っているのは、私の体の主の両親、麒一と希子との記憶の残滓があるから。ただその記憶も、年々薄れている。
そして何より、江ノ島を近くで見る事が出来る。こちらは、日本の最悪の破滅を避けるという事を忘れない為だ。だから湘南に来たら、必ず江ノ島を見る事にしている。
そして別の理由で、鵠沼の別荘は主に虎三郎一家には好評だ。何しろ横浜居留地から20キロほどしか離れていないから、車で気軽に往復できてしまう。しかも東京から横浜経由での舗装道路も整備されたので、この一家が転がす高級スポーツカーなら、その気になれば数十分で来られてしまえる。
そしてその高級スポーツカーが生み出す高音が、別荘の辺りに響いていた。
「この景色を製造もとのデューセンバーグの人が見たら、どう思うかしら?」
「喜ぶんじゃない」
車を出迎える私と瑤子ちゃんが、少し離れた場所で品評する。男子どもは、5歳は若返ったかのようなお子様モードで、高級車に群がっている。
ちょうど車が2台、入ってきたからだ。
これで、セダン2台、スポーツカータイプ1台、セダンの防弾仕様が2台。締めてお値段十数万ドル。価値の分かる人が見たら、腰を抜かすかもしれない。
ただ、この車は殆ど手作りで世界中でも数が少ないから、日本では鳳一族しか保有していない超レアカーで、日本での知名度は凄く低い。市中を走っても、ごく限られた車マニアが気付くかどうかだ。
もっとも私が興味があるのは、その乗り手。だからこうして、別荘の玄関で出迎えるべく待っている。男子どもみたいに、車まで行くものではない。
ただ、お嬢様するのも、それなりに面倒臭いってだけの話でもある。
「久しぶり、玲子さん。オーストラリアでは、お疲れ様」
「お久しぶりですハルトさん、それに虎三郎、ジェニファーさん」
「おう、ボーキサイト探しご苦労さん。アルミは色々使い道があるから、楽しみだ」
「トラはいつもそうね。玲子さん、気にしないでね。それにご苦労様でした」
「ありがとうございます。そんな事より中へ」
こうして虎三郎一家のうち、アメリカ留学中の次男の竜さん以外が揃った。他は私と同世代の鳳の子供達。
勝次郎くんが何故かいるけど、他家の別荘なので泊まる予定はない。勝次郎くんは、瑤子ちゃんと過ごすという表向きの理由で、デューセンバーグを見にきただけだ。
こういう子供っぽさはゲームでも見られたけど、もう私が可愛いとか思っちゃダメなんだろう。
なお、勝次郎くんは、夏の間は箱根・芦ノ湖畔にある別邸で過ごしている。それが、わざわざ湘南まで遊びに来ている事になる。
見た目はゲームとほぼ同じ身長になったのに、やっぱり中身はまだまだ子供なところがあって可愛い。
そして男子どもは、虎士郎くん以外はまだ車を見ているので、先に中へと入ってしまう。
「玲子さんは、お盆後半の予定は?」
そんな車に群がる男子どもを見ていると、ハルトさんが隣まで来ていた。
「いえ、特には」
「じゃあ、お盆の後半、軽井沢はどうかな? 二人っきりとはいかなくて、僕たち一家と一緒になるんだけど」
「軽井沢の別荘ですか?」
「うん。今は紅龍さん達が滞在しているけど、後半は空いているから確保してあるんだよ」
「そうなんですね。喜んで。私、軽井沢って行った事ないから、楽しみです」
「それは良かった。でも意外だね」
言葉だけじゃなくて、本当に意外そうな表情。
お前らと紅龍先生達がいつも占領しているからだよ、って言ったらどういう反応を見せるのか、ちょっと試したくなる相変わらずのイケメンだ。
「巡り合わせが悪いらしくて、使いたいと思った時は先に誰かが予約を入れているんです。だから今回のお誘い、凄く嬉しいです」
「そうなんだ。軽井沢は単に暢んびりするだけじゃなくて、ゴルフ、テニス、乗馬もできるし、それに買い物も楽しめるから、何度行っても飽きはこないと思うよ」
「そうなんですね」
(21世紀と同じなんだ。と言っても、古い建物が同じなだけだろうけど)
そんなイチャイチャ会話をしているけど、大きなリビングの各所も似たような情景が各所で広がっている。瑤子ちゃんだけがピンだけど、ジェニーさんと談笑中だ。
虎三郎はどうしたのかと言えば、男子達に心行くまで車の解説をしている。
そしてしばらくすると、満足げな男どもがリビングへと入ってくる。特に虎三郎が満足げだ。私に説明する時とはえらい違いだ。
「満足した?」
「ああ。三菱もいつの日か、あんな車を作ってもらいたいな」
勝次郎くんが、すっかり少年の目だ。いや、15歳だから十分に少年だけど。
「じゃあ今度は、鳳のテスト場で全力走行を体験してみたら。面白いわよ」
「玲子は体験したのか?」
「ええ。面白いから、マイさんかハルトさんにねだって何度か。けど、一般道で高速発揮できる場所がないのが、難点よね。日本にもアウトバーンを作るよう、建白書出しているんだけどなあ」
「確か時速200キロ超えだろ。晴虎さんも凄いですね」
冷や汗気味の勝次郎くんに対して、ハルトさんは涼やかなスマイル。
「運転なら舞が一番だよ。もっとも、舞でも専属テストドライバーには負けるけどね」
「テスト用のデュースがあるんですか?」
「まだSJが1台、テストコースを走っているよ」
「……玲子、鳳はデュースを何台持っているんだ?」
羨ましさ半分、呆れ半分な目が、私を見据えるように見てくる。
「さあ。虎三郎に聞いたら。私の知る限り、新旧合わせて10台だけど」
「……世界にデュースが何台あるのか知っているか?」
「ええ。こないだデューセンバーグ社のレポートは見たわよ。400台以上、500台未満てところね。いくら超高級車でも、生産台数が少なすぎよね。そのせいか、経営も危ないらしいし。だから虎三郎は、出資か融資しろとか言い出すのよ」
「台数はともかく、それは知らなかった。するのか出資か融資?」
その言葉には、ハルトさんも興味深げだ。
けど私の考え、というか鳳の考えは決まっている。
「しない。無駄遣いすぎだもの。虎三郎が、フォード様にお手紙書いただけ。けど、フォードも高級車ならリンカーンのブランドがあるし、大量生産が売りのフォードとデューセンバーグじゃあ、相性悪すぎでしょう」
「アメリカと関わりの深い鳳がしないのなら、三菱では全くダメだろうな。俺があれを買えるようになるまで、なんとか保って欲しいな」
「そのうち三菱で作れば? 三菱なら技術はあるでしょう。虎三郎も、レース用だけど半ば趣味でワークスまで抱えて作っているし」
「陸軍からは、乗用車の試作依頼は来ている。だが三菱には、虎三郎氏のような技術出身の経営者は、少なくとも自動車や車両方面にはいない。ましてや一族内では尚更だ」
「それもそうか。けど鳳も、蒼家の方は善吉大叔父さんと虎三郎以外、社長級の一族はいないわよ」
勝次郎くんと話すと、どうしても軽い話題から逸れがちになる。だからだろう、ハルトさんが声色明るめにした。
「それより勝次郎君は、ここには今日だけ? 良ければ、お盆までにもう一度来てくれたら、一緒に走らないかい?」
「構わないんですか?!」
「勿論。運転は舞の方が上手いけど、乗るなら男同士の方が気兼ねせずに済むだろ」
「じゃあハルトさんを1日貸してあげるわ」
「あ、ああ、ありがとう」
私には少しぎこちない笑顔だったけど、まあ男同士で仲良くイチャイチャしてくればいい。
それに、多分だけど二人で話し合いたいんだろうと思えた。
箱根・芦ノ湖畔にある別邸:
現在の山の上ホテルのルーツ。
1911年、第四代三菱総帥の岩崎小弥太が別邸を造営。
軽井沢:
明治時代に、外国人達が見つけて避暑地としたのが始まり。第一次世界大戦の好景気の頃から、日本人向けの別荘地として発展。この時期に、ほぼ現代に至る原型が形成される。
デューセンバーグ:
オーナーが破産して1937年に倒産。
アメリカの1920年代を伝える車となる。




