415 「夏の旅行前」
今年の鳳学園全体の1学期の終業式は7月19日だった。
20日が土曜だから、この時代の普通の『半ドン』の習慣で20日でも構わないけど、鳳学園全体で見ると土曜日が半ドンではない場合があるから、他より1日早くなる。
これも私が夏休みにオーストラリアに行く、小さな理由の一つでもあった。
(みんなとの1学期はこれで最後なのか。まだJK1年目なのになあ)
終業式の朝、学園に到着して瑤子ちゃん、側近達と一緒に女学校へと向かう道。
鳳学園全体はかなり広い敷地にあるから、意外に歩きがいがある。敷地の多くが緑地公園のように整備されているから、たいていの季節は歩いても飽きない。
そんな道を、セーラー服に身を包んだ女学生達が歩いている。みんな夏のセーラー服で、上着の白が陽の光を浴びて眩しく感じる。
鳳の女学校は、創建が古いけど制服は昔から気合を入れていた。だから、セーラー服導入もほぼ最初だったし、夏冬それに合服と3つある。けど一方で、特にこの日からとは決まっていないから、半袖の夏服ではなく長袖の合服をあえて着ている娘もいる。
かく言う私も、多少でもお嬢様感を出すべく夏を合服で通している。とはいえ、7月、9月の前半の暑さを表に出さないようにするのは、それなりに苦労させられる。
けど、瑤子ちゃんも同じ格好で涼しい顔なので、1年年上、実際は21世紀の酷暑を体験してきた身としては、愚痴を言う事もできない。それに、私に挨拶するのは側近くらいだから、澄ました顔で通せばいい。
けど、例外もいる。
「ごきげんよう、玲子様」
「ごきげんよう、姫乃さん」
去年の秋にお茶会をしてからと言うもの、話しかけられる事が増えた。さすが、物怖じしない娘だ。女学校全体の級長の集まりでも、瑤子ちゃんと話す事が増えたと聞いた。
けど、乙女ゲームと違い、姫乃ちゃんから中学にいる攻略対象にアプローチをかけたという話は聞かない。
私の方に対しては、敵視される事もなく、妙に懐かれるなどの有りがちパターンもない。だけど、姫乃ちゃんは明るく物怖じしない性格だから、側近達以外だと一番話している相手になっていた。普通に学友、クラスメートって感じだ。
「もう1学期が終わりだなんて、月日が経つのは早いですね」
(このセリフ、ゲームでも聞いたなあ。攻略対象に対してだけど。それを悪役令嬢に言っているなんて、違和感ありまくり)
「本当に。ついこないだまで、梅雨だと言っていたのに、もう夏休みですものね」
「ええ、本当に。ところで玲子様は、夏休みはどう過ごされるのですか?」
「仕事も兼ねて、オーストラリアに行く予定です」
「随分と遠い場所まで。財閥のお勤めご苦労様です。玲子様はいつもご立派ですね。私も、1日でも早くお役に立ちとう御座います」
「その為に、今は勉学に励んでくださいね」
「ハイッ!」
「とはいえ、休む事も大切ですよ。明日からは夏休みですし」
(それに日本で長い休みなんて取れるのは、今も昔も学生の間だけだしねー)
「そうですね。……ですが玲子様は、その夏休みもお仕事されるのですよね」
「仕事と言っても、殆どは移動時間。その移動中は出来る事も殆どありませんから、休んでいるようなものです。だから仕事も兼ねてと思っています」
「それでもご立派です。私も休みだからと、気を抜かないようにします」
「ほどほどにね。受験を控えているからと言っても、緩急を忘れないように。体もですが、心が疲れてしまいますから」
「はい、いつも有益なご助言ありがとう御座います」
その後も終業式を行う蒸し暑い講堂に入るまで、姫乃ちゃんとの軽快なトークが続いた。
そして講堂で終業式だけど、紅家の学園理事長の祥二郎大叔父さんは、話も面白くない人だけど、それなりに教育熱心な人で式典は中学より小学校を重視する。あとは日時の違う大学予科か大学の式典にも出るけど、女学校に顔を出す事はしない。
私など一族の者が通っていても、媚を売らない姿勢は立派だと思う。
終業式の後は、各教室での教師からの話と通知表をいただいて、1学期も無事終了。
明日からの長旅の準備はもう終わっているから、今日これからはのんびりと過ごし、明日の朝早くに羽田を発つから今日は早めに休めばいい。
「それで、月見里先輩は誘わなかったの?」
「誘うわけにはいかないでしょう。それに大学予科の受験を控えた夏よ」
いつもの帰り際、駐車場脇の待合で中学の男子達を待つ間、瑤子ちゃんと駄弁る。6月にマイさんが結婚して私の運転手からは外れたので、通学中は待合では瑤子ちゃん、車内ではお芳ちゃん達との雑談が普通になった。
「そっか。お芳ちゃん達も、連れて行かないのよね」
「あの子達も、集中的に勉強してもらわないとね」
「お芳ちゃんは不要でしょう。でも、たまには玲子ちゃんの目の届かないところで羽根を伸ばすのも良いかもね」
「それはそうかもだけど、ちょっと酷くない?」
「酷くない酷くない。玲子ちゃんって、自分で思っているよりずっと影響力強いから。側近の子は慣れてはいるだろうけど、気をつけてあげなきゃだよ」
「う、うん。……瑤子ちゃんも?」
「私が玲子ちゃんにって事なら、あるわけないでしょ。お姉ちゃんも同然だし。私の場合は、私と級友の方ね。私ですらそうなんだから、玲子ちゃんはもっとだと思うよ。でも月見里先輩は、玲子ちゃんに普通に接せるんだから大物よね。ちょっと虎士郎くんに似てるかも」
(ゲームの設定上、誰にでも声をかけられるキャラじゃないと話にならないってのはあるけど、確かに少し似ているかも。それにしても、瑤子ちゃんは相変わらず周りをよく見てるなあ)
「そういう事か。私の場合、面倒臭いから寄り付かせないようにしているのもあるんだけど、周りの子には気をつけるね。いつもありがと」
「どういたしまして。それで、オーストラリア旅行って結局誰が行くの?」
「旅行じゃなくて半分仕事ね。えーっと、私達の世代は幼年学校で来られない龍一くん以外ね。後、護衛担当の側近。大人はセバスチャンが仕事でどうしても無理だから、エドワードが私の執事として。ついでだからって、サラさんも行くわ」
「晴虎さんは?」
「他と比べて休みの多い鳳ホールディングスといえど、日本の銀行の重役が三週間も時間取れるわけないでしょう。一応頑張ってはみたんだけど」
「それはご愁傷様。マイさん達は行くのよね」
「ええ。マイさんは私の秘書で、それに総研の人も必要だしね」
「時田さんは? 玲子ちゃんの筆頭執事に戻ったんでしょう」
「一緒に行く予定だったんだけど、時田が預かっているフェニックス・ファンドの方がこの夏忙しくなりそうだから中止」
「じゃあ交渉とかは玲子ちゃんがするの?」
「交渉ごとは鳳商事の担当。私は何かある場所を探して回るのが今回の目的だから、現地で交渉をしたとしても予備的なものね」
「それで半分旅行なのね。でも南半球って、季節が逆なんでしょう。服装とか面倒そうね」
「緯度は赤道を挟んで内南洋くらいで熱帯か亜熱帯だから、冬でも暑いそうよ」
「飛行機、じゃなくて飛行艇は?」
「空の上だと、赤道直下でも涼しいくらいよ。それに現地に着けば、冷房完備で娯楽も十分用意した船が待っているわよ。観光地は、グレートバリアリーフくらいしか期待できないだろうけどね」
「十分十分。内南洋も行った事ないし、そもそも海外旅行は初めてだもの。すごく楽しみ!」
「だから何もないって。正直、みんな行くとは思わなかった」
「日本の外に行ける機会を、そうそう逃せないわよ。玲子ちゃんと違って、満州や上海にも行った事ないし。家族に良い土産話もできそう」
「空の旅自体、まだ誰もしてないんだっけ?」
「お父様が、お仕事で飛行機はあるって言ってたわ」
「虎三郎の家の人は、1度はあるみたい。それと、セバスチャンは仕事で使っていたわね。早く太平洋空路が欲しいとか、贅沢抜かしてたけど」
「まだ無理なの?」
「アメリカの飛行機会社が、多分今年くらいに西海岸からフィリピンの空路を開く筈よ。けどこれも大型の飛行艇。明日乗るやつと似た性能だって聞いたから、中継地さえ確保できるなら出来なくはないわね」
「なるほどね。遠くに行くのは、まだまだ船の旅なのね」
「そんな感じ。あ、虎士郎くんよ」
この夏の旅は、取り敢えず賑やかにはなりそうだ。




