403 「黒歴史?」
『黄昏の一族』
少し分厚めの紙に万年筆で書かれた題名を見て、私は凍りついた。
心拍数が一気に跳ね上がって、鼓動が高まるのを感じた。手が震えるほどではなかったけど、大きな心の衝撃を受けた。
だから表題を見ても、少しの間は手に取る事も出来ない。
けど、この金庫の中のものは、部屋の外に持ち出し禁止。しかも扉の側では、時田とシズが控えている。そして私は、二人に見えるようにして、中のものを見ないといけない。
幸い、今のこの部屋の主の善吉さんは、仕事で鳳ビルにいる。早くても夕食までは戻らない。そして今は、春休み中。私が十分に中のものを読む時間がある。
そんな事を繰り返して心を少し落ち着けて、ゆっくりと『黄昏の一族』と書かれた紐で綴じた紙束を手に取る。
紙は西洋紙。つまり私的には普通の紙。和紙では万年筆で書くことは難しいだろう。
(麟様は、曾お爺様が聞いた話だと、未来から魂だけ転生したって事だけど……)
そんな事を思い返しつつ、内容を読み進めていく。
分量はかなりあり、短編小説程度。1枚1枚に意外にみっしりと書き込まれている。
そして内容そのものだけど、主に大正時代中頃のお話。幕末や明治の事も多少書いてあるけど、軽く触れる程度。要するに、鳳麟が生きた時代なのだろう。
もしかしたら私と同じ21世紀からの転生なのかもと思ったけど、それならもっと未来の事を知ってる筈だから、21世紀を知る私にとってはむしろ当たり前の記述。
21世紀どころか20世紀すら記述はない。そういう感覚や意識がないのだろう。
文書の体裁などは、幕末生まれにしてはモダンというかハイカラ。明治、大正の文豪っぽい。というか、明らかに影響を受けた類の文章。しかも、与太話とお父様な祖父が言ったように、子供向けのおとぎ話。
この時代に合わせた文体や表現なのだろうけど、私と違って21世紀の香りはしてこない。少なくともこれを読む限り、麟様が21世紀から転生してきたってことはなさそうだ。
(けど、ある意味、この時代のラノベ?)
ただ、話は大正時代の半ばまで。麟様が21世紀の人なら、さらに未来の予言をしている筈だ。また、転生前も一族の人だったのなら、私の事、もしくは次の巫女の事だって知っていてもおかしくない。
原敬暗殺から関東大震災の間くらいから、幕末へと転生したと考えるべきだろう。それに麟様が亡くなられたのも、1922年だ。
そして1920年には体の主は生まれているけど、当人が言った通り関東大震災以後に何かしらの『力』を得たのであって、生まれながらには無かったんだろう。
ついでに言えば、誰かの体に憑依的な状態という話もない。
それはともかく、内容だけど、確かに『闇の巫女』と『光の巫女』が出てくる。
ただ、表題が『黄昏の一族』だけど、少なくとも私が前世でプレイした乙女ゲームとは内容が違っている。そもそも恋愛ものの話じゃない。『闇の巫女』も、『夢見の巫女』や悪役令嬢が闇落ちしたわけでもない。
主な舞台設定は、大正浪漫の時代の半ば。一番良い頃。『闇の巫女』と『光の巫女』は、共に一族の誰かという設定。
筋書き自体は、『闇の巫女』が一族に大きな災をもたらすので、『光の巫女』がそれを見つけて一族の若い者たちと『闇の巫女』を倒すという内容だ。
それよりも、『闇の巫女』と『光の巫女』の関係だ。最初は凄く仲が良くて徐々に敵対するけど結局憎みあえないというのが、どうにも麟様の願望が滲み出ている気がする。女学生が書きそうな内容だ。
それはともかく、内容としては一応伝奇ものになるだろう。そしてこの点だけが、ゲームと似ている。
(これって百合小説? じゃなくて、倒される場合のエンドか……)
雰囲気が少し似てはいるけど、どこか他人事に思えてしまう。そして純粋な感想は、私の前世のリアル十代後半の頃を思い出して、違う意味で大ダメージを受けた。
(て言うか、普通なら『黒歴史』ノートの類よね。それを後世に残すとか、先代どんだけメンタル強いのよ。私だったら絶対無理。あっ、私も交通事故で突然死んだ筈だけど、遺品処分とかで変なもの発掘されて笑われたりしてないかなあ……。止め止め。考えても仕方ない。今を考えよう)
そう今はこの内容の考察だ。そして『闇の巫女』が日本にも災をもたらす、とされているのは引っかかった。
(意味もなく、こんなものを書いて残さないわよね。やっぱり何かの啓示や暗示かな。大正時代は関東大震災までは日本にとって良い時代だけど、『闇の巫女』が居たらダメって事? 悪い事、災といえば大戦不況くらい? 関東大震災の時点で、麟様はいないしなあ。これだけだと単なる与太話だけど、他を読めば何かあるかも)
分からないから、とにかく情報のインプットを進める事にした。とにかく全部。文章量としては大したことはないから、読むのにそれほど時間はかからない。『黄昏の一族』が一番長く、全体の半分近い文章量になるだろう。
そして内容の大半は、既に概略か全体を話してもらっている事ばかりだった。
一族の起こり、成り立ち、歩み、そして本当の意味での黒歴史、というか闇の歴史。共通点は、鳳一族の大人なら知っておいた方が良いけど、決して外で話してはいけないという事。
(『黄昏の一族』だけが、そういう意味では異質よね。予言でも夢でもない、単なる与太話。麟様の茶目っ気やユーモアなのだと、一族の人達が思う程度の内容。そしてみんな一度は何かしらのメッセージがあるのかと考えたけど、結局何もなし。せいぜい、私が二代目として登場しただけ。けど、私の体の主のループでは、光と闇の話を一族の人達が持ち出している……)
「ねえ時田、時田はこの内容読んでいるのよね」
「はい、左様にございます。成人以上の者に仕える執事、それに家令は目を通して御座います」
「と言う事は、今は時田と芳賀だけか」
「はい。そして今回玲子お嬢様が成人されましたので、セバスチャンにも見る権利が与えられました」
「エドワードはダメなのね」
「そうですな。普通の執事や秘書では。ですが、沙羅様との関係によっては、見る事も出来ましょう」
「あー、養子縁組して鳳に入れば見られるのか。じゃあ、涼太さんも?」
「そうなりますな。他には、紅家の成人も希望者は見ることができます」
「そういえば、紅龍先生も見ていたっぽいわね。あとは、玄太郎くんと龍一くんが、今年中に見られるようになるのね。それで、これを読んだ時田の感想は?」
そう言って『黄昏の一族』を手にとって見せる。
「お気になりますか?」
「巫女が出てくるお話だからね。内容は拍子抜けだったけど」
「確かに。ただ、私が一つ気になった事が御座いました」
「へー、何々?」
「巫女が登場するのに、麟様ご自身ではない点です」
「『光の巫女』がそうだと思ったけど、時田的には違うのね」
「はい。他は巫女の力が『災いをもたらす』と『災いをもたらす者を見つけて退ける』という以上では、曖昧にしか書かれていない点でしょうか」
「単に思いつかなかったんじゃないの」
「かもしれませんな」
時田の返答には、少し含みがある。
だから少し思考を進める。
「……何か伏せる必要があったかもしれないって考えているのね」
「ですが、何も御座いませんでした。ご当主様のおっしゃる通り、与太話であると私も考えております」
「先代がご存命の間は、巫女は一人だったものね。今は?」
なるべくさりげなく聞いたけど、少しだけ目を細める。
「玲子お嬢様は、どこかにもう一人いるかもしれないとお考えなのですかな?」
「いたら良いなとは思うわね」
「良いのですか?」
少し驚き気味な時田の表情が面白い。
「だって、麟様と同じく、私は未来の夢を見るわけでしょう。同じように未来の夢を見る人がもう一人いたら、可能性がもう一つ見えて比較検証とか出来るかもしれないじゃない」
「……確かに。ですがそうなると、些か混乱しそうですな」
「そう? 一番良いのを選んで、そこに向えるじゃない。その方が、私は物心両面で気楽で良いわ」
「ハハハッ、おっしゃる通りですな。確かに二者が対立関係や利益と不利益をもたらすのではない、という考えもできますな。これは、考えてもみませんでした」
「もっとも、他の誰かが歴史を先回りして捻じ曲げているって事はなさそうだし、私以外はいないのでしょうね」
「そうですな。ですが今のお話で、私は今までの固定観念や思い込みを改めさせられました。このような機会を提示する事が、目的の一つなのかもしれません」
「議論させる為の仕掛けって事?」
「はい。流石は麟様です」
時田が、かなり感心してしまっている。
それを見つつ、時田は私の高祖母を実際見知っている事を思い出す。
「麟様って茶目っ気のある人だったの?」
「はい。いつも心の余裕を忘れない方でした。一方の玄一郎様は、お厳しいところも御座いましたので、ちょうど良い塩梅だと感じたものです」
厳しいと言いつつも、時田は少し懐かしそうだ。そしてその顔を見つつ、時田との話もここまでだと感じる。
『夢見の巫女』の話す未来の予言はともかく、当事者達にとっての『闇』と『光』は荒唐無稽な作り話以上ではないのだ。
けれども、一つ疑問が起きる。
なぜ私の体の主の世界の人達は、体の主を日本から追放する時に、『闇の巫女』と『光の巫女』の話を持ち出したのだろうかと。
(とはいえ、答えが書いてなかった以上、今考えても仕方ないか)




