401 「北満州油田事件の顛末(2)」
睡眠もそこそこに翌朝を迎えるも、得られた情報はお兄様が陸軍省で徹夜したって事だけ。
けれども事件自体は、その後も長く尾を引く事になった。それを私達は、日常を過ごしつつ結果を聞く事になる。
事件名は「北満州油田事件」とそのまま。
事件内容は、事実をほぼそのまま。関東軍の北満州油田を狙った謀略として発表。
これを各新聞は、関東軍の一部による独断専行と暴走と厳しく書き立てる。幸い襲撃された日本人に死傷者はないが、日本人が日本の利権を攻撃した事になるので、擁護論は表面上はなかった。「陛下の赤子」というお題目も、そこらじゅうの新聞で見かけた。書いてないのは、皇国新聞くらいだ。
その一方で皇国新聞では、関東軍の旧態依然とした組織の問題提起と、日本の大きな利権の防衛体制が不十分なのが事件が起きた原因だとして、このままで良いのかと世論を煽っていた。
私としては、各新聞が擁護論を唱えなかった事にホッとした。けど、総研の分析だと、現場に日本人がいなければ、もう少し緩かったんじゃないかという事だ。貪狼司令は、私達も現場に居合わせたと公表すればどうだっただろうか、楽しげに話してくれた。
ただ、擁護論に近い論調はゼロじゃない。
一部では、満州の日本利権を広める好機、満州を今度こそ独立して傀儡化する好機と考える人は少なくない。けど、世論は謀略の為とはいえ日本の利権を攻撃した関東軍に厳しかったから、動きには出られなかった。
なお、鳳系列の皇国新聞は、ニュース映画も動員して、事実を正確に中立的に伝える事に努めさせた。これは今回の事件に関係なく、数年前から行ってきている事で、大衆扇動の抑制、他の新聞社への牽制を狙っていた。ただし今回は、関東軍の一部軽率すぎる行動は、ソ連に対して付け入る隙を与えると警鐘を鳴らしてもいる。
なお結局、事件当事者については出光さんが表に出る形になり、私とマイさんの名前が出ることは無かった。
そして関係者の処罰とその後の措置だけど、関東軍司令官の南次郎大将が、すぐにも部下の独断専行と麾下の兵士に死傷者を出した事を理由として、関東軍司令官を辞任すると表明。さらに、陸軍からも退くことを陸軍中央にも諮らずに表明したので、陸軍中央が慌てる事になった。
関係者の処分が決まるまでと止めに入ったわけだけど、それでは陛下に申し訳が立たないと言われてしまうと、止めようがなかった。
ただ、南次郎大将が終始謙虚で低姿勢なのは私達が当事者になったからだと、お父様な祖父が苦笑まじりに言っていた。
つまりは、陛下、陸軍内での諸々、世間体、その他一切合切より、鳳一族の心理を優先してくれた、という事になる。
だから、仮にこのまま南さんが軍を辞めたら、鳳が相応の再就職先を用意する事になるだろう。
まあ、そんな胸の内はともかく、南次郎大将の世間からの評価はむしろ高くなった。部下の行動に目が届かなかったのは確かに落ち度だけど、潔さが評価されたわけだ。
また陸軍大臣の林銑十郎は、意外に素早く陛下にドゲザモードを展開。陸軍の総意として、海軍の二の舞の上層部の大粛清は避けるべく、総力を挙げたドゲザモードで現場の独断専行を許した事、そうした余地が陸軍内にあった事、その他諸々を陛下に謝罪。
そうされると陛下も、拳を振り上げる事も出来ず、また陸軍が素直なので悪感情は少なく済んだみたいだ。そんな話を、事件後しばらくしてから紅龍先生から聞いた。
一方で関東軍だけど、南次郎大将まですぐに抜け、河本大作少将、板垣征四郎少将、土肥原賢二少将と、全員が辞めるか軍を除籍すると、関東軍が一時的であれ指揮官不在になってしまう。
そこで土肥原、河本は、逮捕拘束。南次郎大将は、後任が決まるまで処分保留。無関係の板垣は、河本の役職の兼任を加えた上でそのまま残留とされた。
そしてその下の人たちだけど、陸軍としても関東軍、特に奉天特務機関にメスを入れざるを得なかった。
河本の方は単なる独断で済ませられるけど、土肥原が命令したにせよ一人では何も出来ないし、当然のように関わった者が複数いた。
この為、中央から派遣された憲兵隊の捜査を受けるという、前代未聞の事態へと発展。憲兵の調査は、事情聴取という面で関東軍司令部や関係部署にも広く及び、関東軍の権威は失墜する事になる。
陸軍中央としては、南さんが全責任を負う肚を決めてくれたので、関東軍を人身御供にして陸軍中央を守る動きに出た形になる。
それでも一応、林銑十郎以下陸軍省のお偉方は、非公式の場で辞任する意向を見せた。そして、なんとか減俸程度で済ませる動きを作ろうとした。永田さん達にとって、林銑十郎は扱いやすい人だったからだ。
けれども、その程度で収まる事件ではなく、林銑十郎陸軍大臣、陸軍次官が引責辞任と相成った。教育総監、参謀本部も、お偉方は減俸処分を喰らった。
大臣の後任には、宇垣閥の阿部信行。荒木貞夫と同期で、林銑十郎と同期の渡辺錠太郎と陸軍内でつばぜり合いがあったらしいけど、大失態をやらかした永田さんらが譲歩せざるを得なかった。
また、陸軍大臣と関東軍だけに責任を負わせるわけにもいかないので、全ての陸軍のトップは減俸などの処分を受けた。
さらには、中央からの制御が効きにくいと以前から言われていた、関東軍の改革にも手をつける事にもなった。
しかし、野党、立憲民政党などから出た内閣への責任論だが、総辞職や選挙をするには流石に無理があった。
それ以外の事としては、大手新聞に煽られた形で満州の防衛に国民が不安を持った事から、満州に駐留する兵力を満州事変後の3個師団体制から4個師団に増強する事になる。連動して、戦車、航空機の増強も決まった。
この影響で、首謀者達、それに家族には、大して悪感情は向けられずに済むという副産物があったそうだ。
また、関東軍の今回の暴走は、ソ連の脅威があるが故という常識論が、多少なりとも当事者への風当たりを弱くしたらしかった。
一方、当然のようにソ連からの非難や抗議など反発があったけど、ソ連は1934年頃から極東ソ連軍を日本軍に何も言わずに少しずつ、しかも着実に増強していたので、表面上以外では無視された。
関東軍の増強が決まった1935年夏頃だと、日本側が朝鮮軍と追加の1個師団を足して6個師団、12万名なのに対して、最大で25万名と予測された。以前が10万程度だから、単純比較で2倍半の増加だ。
しかも戦車、航空機の差は、以前から3倍の差だったものが4倍から5倍の差に広がっていた。ソ連が満州北部の鉄道売却の頃の取り決めなど全く守っていないのは、物資や兵力の移動から明らかだった。
その上、極東方面軍だけでなくザバイカル方面軍を足せば、ソ連軍は数の上では圧倒的優位にあった。
関東軍が焦り、一部であっても暴走した心境は、全く分からないでもない状態だったのだ。
だから今回の一件は、国民が満州防衛に関心を向け、1個師団であっても満州に増強出来たのだから、悪い事ばかりじゃないと陸軍内では言われたと、お兄様が言っていた。
もっとも、満州への兵力増強で陸軍は、廃止した4個師団の復帰や各師団の機械化の促進、戦車を中心にした師団規模の部隊新設の声を強めるようになる。
転んでもただでは起きないってやつだ。
一応は、好景気やGDPの増加で予算は増えてはいるから、戦車の増産、部隊の機械化は進んではいるけど、ソ連に対抗できていないというのが理由だそうだ。
そしてそんな背景があるから、陸軍の一部では今回の件は結果的に陸軍にとって追い風になるので、当事者の罪は軽くても良いのではないかという声がある。
一方では、あくまで結果的に満州の軍事的劣勢が白日のもとに晒されただけと考えられたので、関係ないという論も強かった。
何より、そもそも論として、関東軍が国が権利の半分保有する油田を攻撃したのだから、罰は当然という考えが強かった。
そうして当事者達が軍を去ると、世間はその人達の事は忘れてしまう。軍法会議は結構短期間で進むけど、結果が発表される頃には人々の大半は「そういえば」程度に思い出した程度だった。
そして判決は、河本大作、土肥原賢二共に軍籍剥奪の上で無期禁錮。お兄様が最初に言っていた線で落ち着いた。
軍を勝手に用いた、もしくはそれを許可したのも勿論罪を問われたけど、その結果兵士が十数名死傷し、相手側にも複数の負傷者が出た事で、合わせて罪が重くされたという事だった。
それでも死刑(銃殺)ではないだけ、恩情だったと考えられた。
また、二人以外で事件に関わった者も、軍籍剥奪、禁錮15年を筆頭にかなり重い処罰が下されている。その中に、私の知っているネームドは見当たらなかった。
「この処分って、重いの? 軽いの?」
「どちらとも言えんな。土肥原は銃殺でも良いくらいだが、今までの功績を考えてのお沙汰ってとこだな」
事件結果の報告を見つつ、居間でお父様な祖父に何となく問いかける。
「まあ、それでも無期だから軽くはないわよね」
「そうだな。龍也が最初に言っていたように、特赦、恩赦を認めずだからか。この点を見れば、厳罰の方だろうな。なにせもう50以上だ。模範的で20年か30年で刑期が減刑されたとしても、その前にあの世行きだろ」
そう言われると、流石に少し可哀想になる。けど、すぐにその考えを振り払った。
「そんな何年も先の事は良いわ。要は、今回の処分が重いと軍人達が思うんだったら、特に文句もないし」
「……来年起きるかもしれん事件か」
「もう来年かどうかすら分からないし、起きないかもしれないけどね」
「そうだな。聞いた夢の話とは、随分違うところに来ちまったからな。今回の件も、夢にはないんだろ」
「全然。そもそも日本が、北満州油田見つけてないし」
「それもそうか。それに土肥原も、こんな目には合わないんだよな」
「うん」
短くそう答えたけど、その末路が頭を過ぎったのでそれ以上は言わなかった。
この世界でも日本がアメリカに負けたら、似た結末なのかとも思った。何しろ、どちらの歴史でも満州の裏で暗躍し続けたのは同じなのだ。
だから、違う話題で言葉をはぐらかせた。
「個人の事はこれで終わりだし、あとは関東軍の改革がうまく進む事を祈っているわ」
阿部信行:
阿部 信行 (あべ のぶゆき)。陸軍大将。陸軍を予備役編入後、内閣総理大臣(第36代)などを歴任。
戦後、A級戦犯容疑で逮捕されるが、極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷直前になって突如起訴予定者のリストから外されたといわれる。
史実では、陸軍大臣にはなっていない。この世界では、宇垣一成が力を維持している影響。
史実では1939年9月に首相になる。ただし僅か4ヶ月の内閣。




