400 「北満州油田事件の顛末(1)」
日本に戻ってくると、すでに日本の中央は大騒ぎになっていた。
けれども、事件の詳細などはまだ十分知れ渡っていないし、そもそも私達の事は箝口令状態だから、ブン屋に追いかけられると言う事はなかった。もちろん、まだ事件が新聞の一面を飾るという事もない。
ただしマイさんは、万が一の為しばらく鳳の本邸で過ごす事になった。虎三郎の屋敷よりも、広く安全で外から遮断されているからだ。
「玲子は、よく物騒な事件と遭遇するな。それも巫女の力なのかと、ちょっと勘ぐりたくなるよ」
夕方遅くに鳳の本邸に入り、遅めの夕食後に詳細を説明し終えた直後の、お父様な祖父のため息交じりの感想がそれだった。
出光さん達は、戻るとすぐに鳳ビルに入り、総研や商事、鳳石油などの幹部を集めて会議漬けになった。だから一族への説明は、私とマイさんの役目だ。
そして鳳の本邸には、既に出した手紙が届いていた事もあってか、財閥ではなく一族としての立場の大人達が集まれるだけ集まっていた。財閥の方に席がある善吉大叔父さん達は、グループ内での対応に追われている。
一方、本来なら陸軍も大忙しな状態だろうけど、当事者の私達から話を聞く方が早いと、お兄様がこちらに顔を出していた。
また、今年で15歳という事で、私と同世代の玄太郎くんも、お芳ちゃんと一緒に末席に座っている。本来なら龍一くんもだけど、残念ながら幼年学校だ。
他にこの場にいるのは、時田と家令の芳賀くらいだ。セバスチャン達も商事の方で忙しくしている。
そしてお父様な祖父は、みんなが集まる前に概要を話してあるから昼行灯なコメントになったけど、お兄様がメンタル的に頭を抱えていた。
それを横目で見つつ、お父様な祖父にこっちの状況を確認する。
「日本の中央には、話はどれくらい伝わっているの?」
「陸軍省は、龍也を見て分かる通り大混乱だ。ただ、正式な報告自体はそこで止まっている。だが、満州自治政府、満鉄調査部に玲子達が一報を入れているから、そこ経由で政府中央には何か起きたって話が上がっている」
「じゃあ政府の方は、ソ連が謀略を仕掛けたと思っている?」
「いや、満州自治政府、満鉄調査部共に、そんな情報は掴んでないから、関東軍の特務を疑った報告をしているようだ。あと、宇垣さんと吉田茂からは、こっちに情報確認の話もきた。俺が先に聞いた分の話は、時田らが既にそれぞれに伝えている」
「……お父様、意外に平静ね。もっと怒っていると思ってた」
「お前らが無事だったからな。それに、南さんと土肥原がお前らに言った言葉は信じているよ」
「それじゃあ穏便に済ませるの?」
「それとこれとは話が別だ。そもそも、軍人の独断専行は絶対に駄目だと口すっぱくお告げをしているのは、玲子、お前だろう。それ以前に、独断専行が最悪な事くらい俺でも理解できる。しかも今回は、将官がやらかした。だから、首謀者、加担者は厳罰を与えてもらう」
「それは無論です。それで、話はこれで全部でいいのかな?」
短時間で精神的に復活したお兄様が私の方を見る。
「はい。これ以上は、私も知りません」
「分かった。では俺は、陸軍省に戻ります」
「お兄様、どうなると思いますか?」
「……まだ何とも言えないが、警備兵に日本人がおらず日本人に負傷者もおらず、それに玲子と舞を伏せるとしても、出光さん達まで伏せられない。そうなると、陛下の赤子に銃を向けた形で、事実を公表せざるを得ないだろう。
一方で功績のあるお二方だ。陸軍内で温情をという声は当然出るだろう。それに将官というのも問題だ。将官が銃殺ともなれば、陸軍将校の心理面が心配だな。
俺としては、軍籍剥奪の上、特赦、恩赦を認めない無期禁固あたりを狙いたい所だね。ここまですれば、銃殺ではなくとも十分に厳罰になる筈だ」
「銃殺だろ。まあ、家族の面倒は多少は見てやるが」
お兄様に対して、お父様な祖父は目が怖い。やっぱり、怒っていた。それにお兄様が、溜息で応える。
「ご当主からその言葉を聞けて少し安心しました。ただ俺は、鳳の一族なので復讐と取られたりしてはという配慮で、表立っては何も出来ませんよ」
「しなくていい。それにだ、鳳も陛下の赤子を手にかけた事になる。吹っかけてきたのはむこうだが、喧嘩両成敗で構わんと伝えておいてくれ。宇垣さんと吉田、それに貴族院の顔見知りにも、その辺の言葉を伝えておく。あいつらを庇いはせんがな」
「分かりました。それでは」
そう言ってお父様な祖父の言葉に強めに頷き、部屋を出て行った。
それを目で見送ると、そのままお父様な祖父へと向ける。けど、答えたのは時田だった。
「油田か満州のどこかから、追加の情報ってきてる?」
「多少は。馬将軍が黒竜江の軍を一部動員して、周辺部の警戒を強化すると共に、事件現場を調査。日本兵の死体を数体発見しております」
「まだ回収していなかったのか」
「油田の警備隊の報告が正確なら、襲った連中は部隊の3分の1に加えて、小隊長、指揮官まで失っております。負傷者も多い事でしょう。戦時でもないと、動く能力を失ったも同然かと」
「けど新京の関東軍が、数十人って事はないでしょう」
「左様にて。ですが大抵は、まとまって都市部近郊の兵営に駐屯しております。動いたのは、任務当番中の警備中隊の一部。ですが、周辺の全部隊に対して、関東軍司令官の名で動くなという厳重命令が出ております。それに新京には、関東軍の中央から調査隊が出ておりますが、今のところは新京での活動しかございません。
油田の警備隊には、満州自治政府経由で現状維持が要請されているだけでございます」
「お兄様も、その辺りはご存知なかったし、うちとしてはどうするの?」
その質問には、今度はお父様な祖父が答えた。
「満州の方は、南から何か連絡があるだろ。それ以外は政府、陸軍と歩調を合わせて、他の新聞と違って本当の事だけ書かせる」
「ここ数年の皇国新聞は、事実を中立的に書いて扇情的な事を書かないので定評があるもんね」
「今回はそれだけじゃないが、まあそういう評価も重要だし、利用しないとな」
「うちは他と違って瓦版屋じゃないんだから、それで良いじゃない。何のための売り上げ無視よ」
「まあ、もう外部向けの警備兵や用心棒の役目もないしな。って、話逸れてるぞ」
「もう聞きたい事も、話す事もないわよ。みんなは何かある?」
それまで聞き役に徹していた人達に視線を向けて回る。
そうするとお芳ちゃんから、小さな挙手。
「鳳としては、軍人の独断専行の厳罰。この原則で良いんだよね」
「良いというより絶対条件ね。バカな軍人を抑えつけるには、それが一番だから」
「うん。それじゃあ、今は陸軍と政府がどう動くか、待つしかないんじゃない?」
「だな。と言うわけで、一旦休憩だ。玲子と舞は、風呂でも入ってしばらくゆっくりしてろ。緊張しっぱなしだっただろ」
と言うお父様な祖父の言葉で、一旦お開きとなった。とはいえ、お風呂に入って乳液つけてアロマを焚いてぐっすりおやすみ、とはいかない。主に気持ち的に。
だからマイさんと一緒に手早くお風呂に入ってから、最低限の部屋着に着替えて会議場に使っていた部屋に戻る。
部屋には人は少なく、玄太郎くんだけが何かの資料に目を通しているだけだった。
「みんなは?」
「食堂で夜食を食べている」
「玄太郎くんは?」
「……待っててやった。これ、一緒に食べよう。食べたいから作らせたくせに、滅多に食べられないんだろ」
そう言って机の上のお盆を指差す。そこには3つの紙カップが鎮座していた。
「おっ、カップラーメン。玄太郎くん分かっているじゃない。夜食といえばこれよね」
「言うと思った。舞さんもどうぞ」
「ありがとう、玄太郎君」
そしてすでに用意されていたお湯を注いで3分待って、豪華な部屋で3人揃ってカップラーメンに舌鼓を打つ。
シズの少し批判のこもった視線を受け、背徳感と心の満足感も味わいつつ、黙ってカップラーメンを堪能する。他の二人も、似た感じだ。
「よくカップラーメン手に入ったわね」
ズズズッと残ったスープをすすりつつ、お下品に会話を再開する。
「僕は玲子ほど放課後に縛りはないからな。学友と買い物、買い食いだってするぞ」
「いいなー。マイさんもそうだった?」
「玄太郎君ほどじゃないけどね。でも、私の頃の鳳学園の周りはお店が殆どなかったから、買い食いは難しかったわね。むしろ、横浜の家の周りでの方が、色々買い物とかしてたわ」
「それも羨ましいです。私なんか、事前の安全確認とかしないとダメだから、銀座にすら滅多に行かせてもらえないんですよー」
「そこは本当に同情するわね」
「同感だ。……それにしても、二人とも平気なんだな。いや、ですね」
「丁寧語じゃなくて良いわよ。他の大人もいないし」
苦笑しつつのマイさんが、残りのスープを一気に煽る。そんな姿すら絵になるのは卑怯だ。
「はい。でも、大丈夫なんですか?」
良いと言われたのに丁寧語になるところが、何となく玄太郎くんらしい。
「もう慣れた。それに今回の戦闘は、少し離れていたし」
「離れていたと言っても、一番近い時は100メートルかそこらだったんじゃない? 十メートルくらい先で銃弾が当たる音がしたわよ」
「そんな近くで?!」
「だから遠く。2年前なんて、ほぼ目の前で警備隊の人が機関銃ぶっ放していたわよ」
「それは前に聞いたけど、今回の相手は陸軍だったんだろ」
「うちの警備隊が優秀なお陰で、この通り私達は五体満足。傷一つないわよ」
「無事なのはホッとするけど、ちょっと複雑だな。龍一が渋い顔をしそうだ」
「それは言えてる。それで、今のうちに言いたい事でもあるんじゃない?」
「お見通しか」と小さく苦笑してから、真面目な表情になる。
「これからも危ない所に行く事はあるのか?」
「大陸は、呼ばれでもしない限りもう行かないかな。あ、けど、夏にはオーストラリアに行くかも」
「オーストラリア? 何しに?」
「地下資源探し。今回と同じ。それで、危ない所には行くなって言ってくれるの?」
「そう言いたいのは山々だけど、行く必要があるから行くんだろ。僕が止められるような事じゃない。でも、次の機会があれば同行したい。もう15だし、玲子が何をしているのか、鳳の次を背負う者として見ておきたい」
そう言い切って、真剣な眼差しってやつを向けてくる。
眼鏡の向こうのイケメンな目が、少し眩しい。それにゲームでの何かを決意したシーンに雰囲気がそっくりだった。
そしてそんな目をされたら、私は断れない。
「私は構わないわよ。けど、お父様や玄二叔父さんは、自分で説得してね」
「勿論だ。ありがとう、玲子」
ぺこりと60度くらい頭を下げる。
それを私は静かに見返していたけど、隣で小さなため息。
「若いって良いわね。凄く羨ましい」
しみじみと言われてしまった。そんなマイさんに、私は思わず前世の気持ちで返してしまう。
「いやいや、マイさんまだ23でしょ。全然若いじゃないですか」
「今年で干支はまる二周よ。それに今年結婚だし、もう二人ほど若くはないわよ」
大変な事件の後始末が動いているというのに、私達にとっては結末以外は既に済んだ事件に近いためか、少し気抜けするようなやり取りだった。
そしてその夜は、特に動きも見られなかった。




