399 「事件後の感想」
奉天での宿泊は、万が一襲撃されないかを警戒していたけど、映画やドラマのように追い詰められた人達が何らかの理由で私達を襲うなどという事はなかった。
もっとも、そんな不謹慎な事を少しでも思ったのは私だけで、八神のおっちゃんですら真剣に夜の間じゅう、軍の動きを監視しつつ警戒してくれていた。
警護の方も、シズ達から始まって、鳳の人間、関東軍、川島さんが寄越した満州の人達までがいて、かえって混乱するくらいだった。
私達も、すぐに移動できるような姿のままその夜を過ごした。
「本当は川島さんに会いたかったけど、それどころじゃなくなったなあ」
「そうよね。それに私、2年前の一件で荒事は慣れたつもりだったけど、余計な事をしないで黙っているのがやっとだったわ」
私にも自覚があるので苦笑しつつ、シズの方へと顔ごと向ける。
「慣れるものじゃないとは思いますけどね。それでシズ、明日の予定は?」
「ハイ。朝一番の列車で、遼東半島の付け根の大石橋駅まで向かいます。そこからは車を手配しており、遼河油田へ。沖に飛行艇が待機しておりますので、そのまま乗り込んで明日の夕方には羽田に戻ります」
「おーっ、1日で帰れるのか。やっぱり、飛行機は便利ね。川西さんにはもっと開発してもらわないと」
「玲子ちゃん前向きね。でも、それくらいの方が良いのよね」
「はい。切り替えは大切だと思います。けど、当初の予定がガタガタです。本当は、今日くらいに川島さんに挨拶して、下関辺りまで飛行艇で戻って、そこから船で瀬戸内海各地の工場の様子を見てって思っていたのに」
「そうだったわね。国内視察はまた今度ね。川島様には、手紙を渡せば失礼にはならないでしょう」
「うん。それじゃあ今から書きますか。諸々用意して」
「既にお二人分ご用意しております」
シズがかざした机の上には、すでに諸々準備済みだった。
「私の分までありがとう。でも、本来なら私がしないとダメなのよね。二重にありがとう」
「いえ、今の舞お嬢様は、鳳の者です。お気になさらないで下さいまし」
そう言ってシズは、いつも通り音のない綺麗なお辞儀を見せる。
そこから川島さんへのお手紙を書きつつも、マイさんとの何となく会話が続く。
「でもあの襲撃、本当のところは、何が目的だったのかしらね」
「言葉通り、満州の石油利権を実質的に牛耳る鳳を脅すつもり、くらいだったんだと思う。それに万が一失敗した場合も、現地の警備兵に日本人が殆どいないって知っていれば、日本人を襲ったわけじゃないって言い訳できるでしょう。
多分今回は、その線で収める気で素直に南さんの前に出てきたのかも。その線なら、国民から陛下の赤子に手をかけたとかで、家族とかへの非難もマシになるだろうし」
「なるほどね。でも、私達が調査に同行するとは、考えもしてなかった? 私達って監視されていたわよね。現に、油田に私達が入ってから騒動が起きたわけだし」
「私達の殺害が目的だったと? 何の為に? 仮に私達、というか私が殺されたら、お父様、徹底的に復讐しますよ。それこそ根切りレベルで」
「ねぎり?」
「関係者は一族全員、遠い縁者に至るまで皆殺し」
「……そこまでする?」
マイさんが私の言葉に意外に驚いていない。
もう大人だから、鳳一族の事で虎三郎から話を聞いているからだろう。そしてこんな話は、鳳の同世代の子供達とは出来ないので、今の私にとっては貴重な話し相手だ。
「昔と違って世間体は気にするようになったでしょうけど、反面、力も手に入れましたからね。それで済めば軽い方だと思います」
「そうかもね。今回なんて、満州の傀儡独立の急進派を根絶やしにしそうよね」
「その軽い事はするとは思います」
「色々なところに見せるためね」
「うちって、鎌倉武士みたいなところがありますからね」
そう言うとマイさんが苦笑する。私も、苦笑しつつの言葉だった。
「確か、武士は舐められたら終わり、だったっけ」
「武士の本懐とは、舐められたら殺す。だったと思います」
聞き覚えのある言葉を聞いたので、思わず前世にネットの海で見た絵が蘇る。この時代でも同じとか、鎌倉武士の評価って変わってないとさらに苦笑してしまう。
「余程の事がないと、殺しはしないでしょうけどね。でも、鳳の上に立つ人って、普段から舐められないように自身を研鑽するってのはあるかも」
「マイさんでも?」
「でも、はないでしょう」
可愛くそう言って、ちらりとこちらを見て苦笑する。
「でも、自意識半分込みでも、この見た目でしょう。下手な姿を見せるわけにはいかないって思うわよ」
「少しでもダメなところを見せたら、舐めた言葉を投げ付けてきますよね」
「本当にね。大抵は、その人が勝手に思い込んでいる事とか願望とか投影しているだけなのに、何でそれに私が応えてやらないといけないんだって、余計に腹が立つわ」
かなりの実感が篭った言葉だ。美人というだけでなく、ハーフと言うのも大きい要素なんだろう。
「涼太さんを選んだのも、その辺りが?」
「うん。ちょっと変な人だけど、色眼鏡や先入観がない人ね」
「だから貪狼司令にも気に入られたんだろうなあ」
「そうなの?」
「総研は、情報を集めて客観的に分析するところですからね。中枢ともなると、大変みたいです。もっとも、貪狼司令が毒舌や悪口言うのも、当人にとってはちょっとしたガス抜きみたいです」
「あー、なんか分かるわ」
しみじみとそんな事を口にする。
マイさんの場合、酒豪すぎてお酒に逃げるのも無理だから、こっそり愚痴ったりしているのかもしれない。
そう思ったところで、別のことを思いつく。
「あの、話変わりますけど、ハルトさんもお酒強いんですか?」
「ん? ええ、強いわよ。私は母譲りというかそれ以上だけど、私達は全員強いわね。サラも最近飲み始めて、飲み過ぎたら眠るタイプなのは羨ましいけど、飲める量は相当だったもの」
「ハルトさんも、相当なんですか?」
「ええ、大人になってお酒を付き合うなら、覚悟しておいた方がいいわね」
ニコリといい笑顔。ちょっと脅しが入っているけど、基本的に陽性の笑顔だから安心はできる。
けどその笑顔が、少し変化する。
「それで晴虎兄さんとは、どこまで関係が進んだの?」
「……一応、シズとリズもいるんですけど」
「いいじゃない、女同士だし。シズやリズにも今更でしょ。それに今の私も玲子ちゃんのお付きだし、尚更把握しておかないとね」
お酒も入ってないのに楽しげな声だ。私も逆ならノリノリかもしれないけど、あいにく逆だし、悲しいかな話せるほどの事もまだない。だからペンを置いて、軽く溜息をつく。
「まだ何もないですよ。催しの時に会って話すだけですし」
「車で二人きりの時もあったでしょう。キスもなし?」
「はい」
「あの甲斐性なしめ。いや、意気地なしね」
腕を組んで「フンッ」と軽く息を吐く。
絵に描いたような、ヘタレ兄貴を想う妹の姿だ。だからこそ、私のお相手なので、フォローの一つもしておこうと思わせてくれる。
「私が鳳の長子だし、何よりまだ女学生だから気を使っているだけですよ」
「別に良いじゃない。公認だし、確定だし、むしろお手つきでも良いくらいよ」
「また、そんな事言って。それじゃあ、マイさん達はどうなんですか? いつも学生同士みたいに見えるんですけど」
「そう見える? お互い、学生気分が抜けてないのかも。でも私達、もうする事はしているわよ。もちろん、気をつけてはいるけどね」
少し顔を赤らめつつだけど、あっさりと言われてしまった。まあ、この美少女相手に何もしてなかったら、私が涼太さんをヘタレだと糾弾しているところだ。
けど、そろそろまじめな話に戻さないと、と思ったら、先に戻ったのはマイさんだった。
「あんな事件があったのに、こんな話をしているなんて、自分で思っているより肝が太くなっているのね」
「私もです。以前はちょっとした事でも怯えていたんですけどね」
「以前か。これからは、物騒な事件が増えるのかしらね」
「私達、と言うか私の事件遭遇率がちょっと変なだけだし、日本本土にいれば大丈夫だと思います」
「そうなら良いわね」
一応はそう宥めはしたけど、今回の一件とその後の波紋を考えると、色々と歴史の歯車が動き、波紋を広げるだろうと言う不安は私自身が拭い去れなかった。
武士の本懐とは、舐められたら殺す:
漫画『バンデット』(作:河部真道)に登場するセリフ。
ネット上でネタ画像にされている。




