379 「第二次ロンドン軍縮会議予備交渉(1)」
「取り敢えず、予備交渉は成功かあ」
「はい。ですが問題も多く残っており、本交渉は荒れると予測されます」
「荒れてでも条約が結ばれて、そこに日本がいるのなら何でも良いわ」
「まったくですな。ですが、そうは考えない者も少なくありません」
「航空隊を大きくすれば良いじゃない。制限ゼロなんだし」
「伝統墨守という奴が邪魔をしそうですな。草葉の陰で、東郷元帥が嘆いておられる事でしょう」
「それくらいなら良いけど、頑迷固陋でない事を祈るわ」
師走に入ってすぐの頃、鳳ビルの地下で貪狼司令から報告を聞く。お題は、『第二次ロンドン海軍軍縮会議』の予備交渉。この夏頃から英米の間で根回しの会議が始まり、各国間の話し合いを経て11月に予備交渉が本格化。
なんとか予備交渉はまとまり、1年後に本会議が開催される運びとなった。勿論だけど、本会議に日本も参加する。
私の前世の歴史では、この予備交渉で日本は離脱して海軍軍縮条約から離脱し、1937年から軍拡を開始した筈だ。でないと、巨大な戦艦『大和』は建造できない。
けど、この世界の日本は、基本となる外交状況が違う。
満州を半ばウヤムヤで手に入れて主にアメリカから不評を買っているけど、国連にも属しているし、満州以外の大陸情勢には列強協調の姿勢で臨んでいる。だから、海軍軍備を抑えられている事に不満はあるけど、英米と仲違いするほどじゃない。
それでも海軍の内心を見れば、その大半が不満タラタラ。海軍以外にも、右寄りな人、国粋主義者、全体主義者など文句を言い立てる者も多い。ただし造船メーカーは民間船建造で忙しいので、余程海軍との繋がりが深いところ以外は、軍縮条約に反対していない。
そして何より、国民が軍縮体制維持は仕方ないと考え、英米に反発もしていないから、海軍も動くに動けない。大手新聞も、軍艦より景気と謳っていた。
これらの動きに対して私は、鳳が抱える皇国新聞や雑誌などで、アメリカの情報を様々な面、方法で紹介し、軍縮条約は国力に大きく勝る英米を逆に押さえつけるものだ、という論陣を強く張らせている。
ただ、それだけだと色々と睨まれてしまうから、これからの軍備は空に有りとも言わせてある。
川西飛行機には、旅客用だけど大きな飛行艇を作ってもらっている。
そして私個人としては、海軍が沢山軍艦を作らない方が良い。空母が無ければ、今なら勝てるかもとアメリカに殴りかかろうとしないだろうし、ハワイを奇襲攻撃もしない可能性が高まる。
あれは絶対に阻止しないといけない。
あの攻撃は、仮に宣戦布告が間に合ったとしても、殴るぞと言って振り向いた直後の相手に殴りかかったようなもの。間に合ったとしても、ブチギレ案件。宣戦布告が遅れたのは、事態を少し悪化させただけだ。
そして私は、絶対にアメリカをブギチレさせてはいけないと、歴史で知っている。
それにどこと戦うにしても、まだ日本は経済を拡大する段階で、軍備を拡大する段階じゃない。戦艦『大和』などが誕生しないのは残念だけど、それは感情面であって合理面では無くても構わないと思っている。
「ちなみに、お嬢の夢の中の海軍ってどんなの?」
私と貪狼司令ばかり話していたけど、部屋にはそれなりの人数がいて、それぞれ仕事をしている。
隠すほどの話じゃないからだ。側には、お芳ちゃん以外にマイさんと今日の当番のリズがいる。貪狼司令の近くのデスクには、副官扱いになったマイさんの婚約者の涼太さんがいた。
「二つあるけど、どっちが聞きたい?」
「二つもあるのね。時代による違い?」
「うん。そんな感じです」
書類整理していたマイさんも、頭を上げて私を見る。
まだ具体的な事を言ってないのに、半ば言い当てられてしまった。お芳ちゃんも、同じ回答に至っている目をしている。
(他の人は少し離れているし、話してもいいか)
「日本は軍縮会議から脱退して、1937年から軍拡に転じるんです。そして真っ先に、アメリカが建造できない巨大戦艦を建造します」
「アメリカに建造出来ない船なんてあるのかしら?」
「マイさん。パナマ運河。あれを迂回したら、凄く効率が悪い」
「なるほど。でもそれって、今の戦艦より随分大きいんじゃあ? 日本はそんな巨大な戦艦を建造するの?」
「うん。そして作った頃には戦艦の時代じゃなくなって、大した活躍も出来ずに沈められちゃうんですけどね」
「諸行無常ね。もう一つは?」
「戦争に負けた後に、反省をてんこ盛りにした軍備を整備します」
「ほう、具体的には?」
貪狼司令が強い興味を向けてきた。と言っても私は、自衛隊の事は大して詳しくはない。前世の記憶を掘り起こしつつ、キーワードを探す。
(イージス艦とかミサイル防衛とか説明しても仕方ないし、私も良く知らなかったしなあ……)
「そうねえ、潜水艦を徹底的に抑え込む海軍ね」
「先の大戦の英国海軍のように?」
「うん。金も人も足りないから、そこに特化するのよ。あとは、機雷除去が得意だったかな」
「では、相手が潜水艦以外を前に出してきた場合は? 航空隊で対処ですかな?」
「自力で多少は何とかするけど、基本は同盟国にお任せ。その夢の中での日本の軍隊は、防ぐ事、持ちこたえる事が一番の目的になっているから」
「……防衛を主眼に置いた戦力の整備、といったところですかな。その夢の中の日本の外交的立ち位置が、見えてくる軍備ですな」
「まさにその通り。まあ、それは未来の話だし、多分違う未来になるだろうから、現実に戻りましょう」
「はい。では、人も増えましたので、おさらいから」
そう言って貪狼司令が、いつもの移動式黒板に書かれたものを指しつつ、手短におさらいしていう。
この年の2月にイギリスは、今までの反省を踏まえて事前に各国の条件を擦り合わせようとした。
イギリスが動いたのは、ドイツ、イタリアなど不穏な動きをする国が出てきた事が影響していた。またイギリスにとっては、満州を軍事的に奪ったに等しい日本も、ある程度警戒すべき国になっていた。
一方のアメリカは、とにかく日本をワシントン体制と言える枠内に抑え込む事を重要視していた。そうでないと、条約で無防備なフィリピンの防衛がおぼつかない為だ。
そうして6月に英米の間で予備交渉が行われたけど、物別れに終わった。
イギリスは欧州情勢に応じて、巡洋艦戦力を増やしたいと考えていたけど、それだと日本の戦力も相対的に増やせてしまえるので、アメリカは受け入れられなかった。
何せ今のアメリカは、まだロンドン会議で定められた軍備を全然満たせていない。しかも不景気のどん底で、国民は軍備拡張に冷淡だった。
その影響で、夏に予定していた日英間の予備交渉とその後の全体での本交渉が秋に延期されてしまう。
一方の日本は、英米の物別れを確認して、さらにイギリス側に付く事を決める。何しろアメリカは、日本を抑え付ける事しか考えていないので、正直交渉にならないと、この世界の日本政府ですら考えていた。
外相の吉田茂も、英国攻略を最優先する事にした。
そんな日本の最低限の基本条件は、ワシントン、ロンドン体制の堅持。
主力艦6割、他は合計7割を維持する事。可能なら、それ以上を得る事。ただし、アメリカが主張している20%のさらなる削減のような事はなし。質的制限には賛成。イギリスの主張する、潜水艦廃止には反対。
表向きは以上だけど、海軍の一部を中心とした反対派を押さえる手段として、別の一手も用意していた。
その一手が、『参加各国による相互不可侵条約の締結』だ。
ただし、最初からこのカードは切らない。日本としては、当面はソ連の脅威拡大を訴えつつ、アメリカの高圧的態度へ対抗する。
そして当面の手段として、今一番軍拡したいイギリスの肩を全面的に持つ。イギリスが巡洋艦であれ拡張するなら、日本も相対的に拡張できるので、反対派を押さえる手段にできる。
ただ、1トンでも日本の海軍拡張を抑え込みたいアメリカの反発は必至。
そして日本がゴネていると見せる手段、ブラフとして、日本の一部に従来の量的制限をやめて日英米の軍備平等化を求める声があるという話をばら撒く。その内容も、実際の軍備ではなく、制限されているという体面を傷つけられているという論法だ。
そして、日本がゴネていると知れば、一番切羽詰まっているイギリスが日本に肩入れする可能性が高まるからだ。
そうして日英間の予備交渉において、日本側はイギリスの巡洋艦戦力拡大を認めた。イギリスは潜水艦の全廃を引き下げ、平時から潜水艦の運行海域に制限を設ける事に変更。
また質的制限について、共同歩調を取る事も確認された。
そして何より、お互いが相互不可侵条約締結に前向きである事が確認された。
そしてアメリカにはまだ伝えないが、場合によっては現在の量的制限に代えて、紳士協定による海軍力の制限と質的制限のみとする事も案として互いに考慮する事となった。
第二次ロンドン軍縮会議予備交渉:
史実でも同じ時期に行われている。代表は山本五十六。
日本はこの予備交渉の段階で離脱。
伝統墨守、頑迷固陋:
現代の自衛隊の特徴を揶揄する時にも用いられる四字熟語。
陸は「用意周到・動脈硬化」
海は「伝統墨守・唯我独尊」
空は「勇猛果敢・支離滅裂」
一致団結や頑迷固陋が使われる場合も。
この時代の海軍は、日露戦争頃の影響が心理面で強く残っている。
相互不可侵条約:
史実でも、イギリスが日本を交渉に引き込む手として考えていた。




