376 「婚約発表」
1934年もあと2ヶ月を切った。
11月の日本は、アメリカ大リーグ選抜チームが来日、特に「野球の神様」ベーブ・ルースの話題で持ちきりだった。
その盛り上がりは、三年前にルー・ゲーリッグらアメリカ大リーグ選抜チームが来日した時の比では無かった。
何しろ、「野球の神様」がやって来たのだ。
彼らは日本各地、12箇所で全日本チームとの間に16回の試合を行い、銀座通りでは盛大な訪日歓迎パレードが行われた。
私も、普通なら人混み禁止なのを、無理を言って神宮球場には足を運んだ。そして、久しぶりの野球観戦を楽しんだ。けれど、野球を楽しんだという以上の事はなく、鳳も特には関わらなかった。
グループの一部では、鳳も球団を持ってはどうかという意見というか願望に近い言葉もあったけど、お父様な祖父は関心なし。善吉大叔父さんは、宣伝効果とかにしか興味を示さず。
そして私は、日本のスポーツの歴史を大きく変えてしまう気は無かったから、関心がないと装った。
そして鳳グループの主業種を見ると、質実剛健な会社が主力だから持っても効果は低いと判断された。
だから少し協賛金を出す程度でおしまいだ。
世の中の方は、ベーブ・ルース来日で野球人気が盛り上がり、今年の末あたりから、21世紀にも存続している巨人、阪神など7球団が誕生していく。そして1936年2月5日に、プロ野球リーグが誕生する。
そんな世の中が野球一色で騒いでいる中、鳳一族では鳳虎三郎の長女の鳳舞の婚約が決められた。
相手は、鳳総合研究所職員の安曇野涼太。血統も閨閥も何もない、ごく普通の日本の青年がお相手だ。
そしてこの時代、皇族や余程の有名人でもないと婚約をわざわざ発表したりしないので、セレモニーどころか通知すらされない。鳳一族内、鳳グループの幹部に地味に通知がされただけだった。
大げさな事をするのは、半年後の私の時になるだろう。
けど、何もしないわけじゃない。
「鳳舞さん、並びに安曇野涼太くん、婚約おめでとう!」
鳳伯爵家当主鳳麒一郎の音頭取りで、出席者の温かい拍手が部屋中を満たす。
そして女性の名前を先に挙げたように、鳳一族にとって意味のあるささやかなセレモニーだった。
出席者は、鳳の本邸に住んでいる一族主流の大人達、虎三郎一家、それに紅家からも主だった人が来ていた。子供は10代以上で、小さな子達はお留守番か別室で控えている。
あと一族以外は、一族に仕える使用人の幹部だけ。
勿論、安曇野家の親族の方々。といっても、ご両親だけ。しかも終始ガチガチで、ちょっと可哀想だった。
それらを合わせると30人を超える数なので、大きな部屋も手狭に見える。こうして見ると、鳳一族も大所帯だと実感させられる。しかもこれで、紅家の全員じゃないし、小さな子供達も出席していない。合わせれば40人を超える。
そして新たに一人迎え入れるわけだけど、この婚約が決まった話し合いの後で、私は一つの事に気づいた。
お父様な祖父と時田がそう仕向けたかもしれないけど、今回の一連の姻戚を結ぶ話は、鳳一族内での一種の大転換だ。
一族の長子が当主の麒一郎と私だけになったので、その補完が大きな目的。虎三郎家の長男の晴虎さんを私の婿養子にする事で、鳳主家を実質的に虎三郎家に接ぎ木してしまうつもりなのだ。
本来なら玄二叔父さんの家が一番だけど、次の長子はなるべく早く欲しいので選択肢が虎三郎家になった。しかも、虎三郎家は、ここ数年で御誂え向きの条件が揃っている。
そう考えると、今回の姻戚話に一族の大人達から反対が無かったのも合点がいく。
マイさんの相手の涼太さんは、私から見て善吉大叔父さんと同じ立場。竜さんとサラさんはアメリカの一族との縁を結ぶ方向だけど、アメリカには鳳一族の一番の直接的な財産がある。財閥としてはともかく、一族として重視するのは正しい。そして晴虎さんが、長子である私の婿養子になる事で結びつきが強まる。
また、一族宗家の次男筋の瑤子ちゃんは、日本有数の大財閥との関係を結ぶ。けど、こちらは主筋ではないから、関係としてはむしろ一段落ちる形になる。それでいて、遠すぎもしていない。
個々人の人間関係には気を使ってはくれたけど、利害と打算の面で見ると、かなり露骨だ。それでも目の前の二人は幸せそうだから、「まあ、いいか」と思う。
そして、マイさんと涼太さんの挨拶が終わると、場所を庭へと移す。身内だけのお祝いだけど、せっかく集まるんだし飯と酒ってノリだ。ただ、屋内でするには人数が多すぎるから、以前は園遊会をしていた庭の中でも芝生を敷き詰めたエリアへと移動しただけだ。
「改めて、この度はご婚約おめでとうございます」
「おめでとう、舞」
私とハルトさんの前に、順番に改めて挨拶回りしていた今日の主役の二人がやって来た。
「ありがとう、玲子ちゃん、晴虎兄さん」
「ありがとうございます。玲子様、晴虎様」
涼太さんがまだ緊張気味だ。それにハルトさんが笑顔を向ける。
「婚約したんだし、様付けは止めよう。それに数年後だけど、僕らは義理の兄弟になるんだしね、涼太」
「そうですね、晴虎さん。……ん?」
「どうかしたの涼太?」
「うん。晴虎さんが玲子さんに婿入りした後は、どういう関係になるのかと思って」
「確かに。僕達、入婿同士だよね」
そう答えてとハルトさんが陽気に笑うけど、確かに一瞬考えさせられてしまう複雑さだ。
「えーっと、血縁上マイさんは私の伯従母になるけど、涼太さんがハルトさんの義理の伯従父?」
「玲子ちゃんとは世代が違うから、色々複雑ね。でも、面白い」
「舞、面白いじゃないだろ。まあ、気にしないで。僕は気にしないから」
「あ、はい。それじゃあ、お言葉に甘えて、公式な席以外では気にしないようにします」
「うん。お互い、それが一番だろうね」
「ハルト兄ー、何が一番なのー?」
そこにサラさんがエドワードを連れきた。これで、アメリカにいる竜さん以外、虎三郎兄弟が揃った。
エドワードは、まだサラさん的にお試し期間中だから、控え目に軽く会釈するだけだ。
「このまま関係が進んだら、僕が涼太くんの義理の甥になるけど、それまでは気にしないでおこうって話」
「何が一番かどうかより、そっちの方が気になるわね」
「ちょっと複雑な感じがするわよね」
「うん、私達も他人事で済まないしね」
「なんだ沙羅、もう決めたのか?」
「ううん。エドワードとは、私が大学出るまでは明確に決めないでおこうって、さっきも話してたところよ。ねえ」
「はい。そもそもが私の未熟が原因ですので、ゆっくりと関係を深められたらと考えています」
「エドワードって、万事こんな調子なの。仕事でもこうなの?」
困惑という程じゃないけど、何でもできるイケメンエリートって話もしてあるから、違い過ぎると思っても不思議はない。仕事での彼を知っている私も、かなり強めにそう思う。
「仕事は何でもできてしまうからか自信家よね、マイさん」
「そうね。でも、ちょっと安心したかも」
「ねえ、エドワード」
「はい、お嬢様」
「仕事はともかく、私達の気持ちは裏切らないでちょうだいね」
「主と我が家名に誓って」
そう言って、胸に手を当てて小さめに頷く。
イケメンだからめっちゃ似合うけど、表情と態度は本物だと思いたい。
「うん。ありがとう」
心なしかみんなも安堵が見える。そうして全員を軽く見て、これが将来の家族や一族の一員になるのかと思った。そしてさらに、もう一つ。
「ねえ、エドワード」
「はい、お嬢様」
「あなたはサラさんを迎えたいの、それとも鳳に来たいの? よく考えたら、基本的な事を聞いてなかったと思ってね」
「言われてみれば。どっち?」
サラさんは、自分の事なのに面白げに私に続く。
そして聞かれた当人は、一瞬あっけに取られていた。演技じゃなければ、何も考えてなかった顔だ。
(大丈夫か、この恋愛脳?)
「えーっと、あなたはともかく一族とかのご意向は?」
「……それも特には。私自身は、沙羅さんと一緒になれるなら、特にこだわりはありません」
「「沙羅は?」」
続いて、長女と長男が次女にハモって問う。
その次女はケロッとしたものだ。
「どっちでも良いわよ。ていうかさ、嫁ぐものだと思ってたけど、二人みたいに婿養子って手もあるのね。考えてなかったわ」
全員がその答えに軽く困惑させられるけど、エドワードが一番ダメージ受けている。けど、ここは男が決めるもんだろう、と気を取り直す。
「お父様と虎三郎は、普通にサラさんが嫁ぐものと思っているだろうから、なるべく近いうちにその辺りも決めておいて、エドワード」
「は、はい。分かりました」
そう、殊勝にお辞儀をするエドワードだった。
ベーブ・ルース:
「野球の神様」。1934年に米大リーグ選抜チームとして来日。
7球団が誕生:
・東京巨人軍・大阪タイガース・名古屋軍・東京セネタース
・阪急軍・大東京軍・名古屋金鯱軍




