359 「1934年、政治の季節の頃の陸軍(1)」
6月下旬、例年より遅い梅雨入りをした。つまりそれだけ涼しいという事だ。これでは、夏の気温上昇による逆転はないだろうと、世の中も見始めていた。
そしてそんな中、政友会は選挙に動き出す。
一時は不作の予感を前に尻込みしていたけど、どうも都市部、二次産業、三次産業は前の大戦以来と言われる好景気で絶好調だから、収穫時期の前に選挙に打って出て勝ってしまおうという目論見らしい。
一方の農民からの批判への対処は、分厚い凶作対策によって支持を得る方向らしい。私の膨大な献金の話を、半ば利用されてしまった形になる。
けれども、犬養内閣は選挙に勝つ為より分厚い支援策を講じるだろうから、「まあ、いいか」くらいには思う。それでも、全く黙っているわけもなく、徹底した対策をしないと政友会を支持しないと文句をつけている。
なお、1934年夏の時点での内閣総理大臣の犬養毅は、1855年、安政2年生まれの79歳。いまだ元気なお爺ちゃんだ。高橋是清はさらに1歳年上だけど、老いを見せない優れた財政運営をしている。
そして私としては、選挙になるのならば、出来ればこの年のうちに高橋是清を引退させてあげたかった。そうすれば、馬鹿どもに襲われる可能性も下がると思いたいからだ。
ただ、『二・二六事件』では、内大臣を退いた後の牧野伸顕が襲われているから、油断は全く出来ない。クーデター軍が高橋是清を殺害した一番の理由が、高橋是清が大物すぎる政治家なので、今後の邪魔になると見た筈だからだ。
西園寺公望、牧野伸顕らが狙われたのも、君側の奸とか連中にとってのもっともらしい理由を掲げているけど、要は邪魔だったからだ。
目の澄んだどうしようもない者にとっては、本当に君側の奸に見えるのかもしれないけれど、全体を見れば理由は明らかだ。視野の狭い信念があろうとも、思想をキメていても、首謀者達は陸軍将校というインテリだ。
だから大物政治家という点では、今世界の方が危ない人物は多い。原敬、加藤高明はその筆頭になるだろう。政治家としての存在感は、高橋是清以上だ。それに、犬養毅も同様だ。体調のため政治家を引退した濱口雄幸、田中義一は微妙だけど、連中は『正義の味方』だから体の衰えた相手は恐らく狙わないだろう。
けどそれは、取り敢えず少し先の可能性。
日本はまだ政党政治が維持されているし、国際環境も悪くはない。
「陸軍内が?」
「ああ、そうだよ。今回の選挙で、雲行きが大きく変わりそうな気配だ」
そう答えた私のお兄様の龍也叔父様だけど、歯切れが少し悪い。いつものキレもない。
「変わりそうなのは、やはり一夕会ですか?」
「ああ。陸軍全体として、国家総力戦体制の構築、政府との関係強化しつつの方向に進みつつあった。でも、歩みが遅いという者は少なからずいる。それに、理想論や精神論を前面に出す者もね」
「では、そういう人達が分裂していくのでしょうか?」
「どちらかというと、排除だね。永田さん達も今まで説得や説明を根気強くしていたけど、さすがに面倒見きれなくなったようだ」
そう言うお兄様には、少しお疲れ顔だ。お兄様の事だから、説得や説明を積極的にしてきたんだろう。
(ついに『皇道派』と『統制派』への分裂か。まあ、史実と比べたらよく保った方だろうなあ)
「それで、一夕会は?」
「一部の者が軍の実務職の要職を勝手に動かしたので、それを改める。合わせて一夕会自体は解散。陸軍全体で進むことになる」
「それだけ聞くと良い方向に思えますが」
「どちらかと言うと、良い方向だと俺も思う。だが、流れから外れてしまう者を少なからず出してしまった。痛恨事だよ」
珍しく苦笑で締める。
だから私は即座に言葉を重ねた。
「いいえ。話を聞かない方が悪いんです」
「それなら俺も悪いよ。俺も、あいつらの話は聞けなかった」
「聞けないと聞かないには、大きな差があります。って、こんな事を私達が言い合っても仕方ないですね」
「ああ、全くだね。ありがとう、玲子」
「はい。愚痴ならいつでも言って下さい。それで、愚痴以外の方は?」
「そうだな、全体の方針に反発する者、急進的な行動に走りそうな者の何人かは、少なくとも帝都近辺からの移動という方向だ」
「それじゃあ第一師団は、満州ですか?」
『二・二六事件』の一件は、お父様な祖父、お兄様、時田、セバスチャン、貪狼司令には、既に覚えている限り話してある。だからそう聞いても、お兄様は軽く考える仕草を見せるだけだ。
「急進的な者は第一師団に多いとはいえ、夢の話を実際に反映させるのは無理筋すぎる。一部の者を、陸軍の拡充に合わせる形で満州に送る予定だ」
「戦車隊を増やしていたんでしたっけ?」
「ああ。最近の予算が増えたのと、新型導入の影響でね。去年と今年、さらに来年に2個大隊ずつ増やす。それに、念願の諸兵科連合部隊の設立も行われる。人も必要だから、ちょうど良い口実になるよ」
戦車隊自体は、大正時代の末頃には創設されたらしいけど、『八九式戦車』と言う国産戦車の量産配備がようやく進んできたので、それを受けての増設だ。
ソ連が毎年1000両単位で生産するのに焦ったのと、近年の予算増額の影響だ。
ただ、ソ連が1000両に対して、日本の戦車隊は本年度予算で編成する分を含めてたったの6つ。大隊1つ当たり40台程度らしいから、端数含めて精々二百数十台。
加えて偵察部隊が、重装甲車という建前で実質的な軽戦車を保有しているけど、こちらは量産開始が2年前からのせいか、配備が全然進んでいない。
けど、ここ数年の予算拡大で、戦車の生産数の増加が見込まれている。
そして、新たに生産されるのは新型を予定。私が去年の夏に見た鳳と小松で作った試作戦車が正式導入され、これを生産するらしい。
『試製快速重装甲車』『試製快速戦車』『試製快速重戦車』の3つのうち、『試製快速重戦車』は「無敵」らしく、陸軍関係者が違う意味で頭を抱えたそうだ。
『八九式戦車』では、正面からだとどの距離でも砲弾が通じず、しかも遠距離から一方的に撃破されるだけだった。動きも違いすぎて、「ただの的」だったと言う。
そして3種類とも、速度では既存の全ての車両を圧倒。『試製快速戦車』の火力は旧来と同じだけど、速度と防御力が違いすぎた。
『試製快速重装甲車』は、速度はもちろんだけど載せている機関銃が既存の『九二式重装甲車』の機関銃と威力が違いすぎて、こちらも旧来の車両は話にならず。
ただし当初から懸念されていた問題がある。お値段の高さだ。値段で受け入れられるのは、現状では『試製快速戦車』だけ。それでも『試製快速重装甲車』の方も、性能が高いし将来の発展余裕がある為、長く使うと言う前提で採用されるらしい。
『試製快速重戦車』は、性能も破格ならお値段も破格なので、試験用に3台生産しただけで陸軍は本年度は根をあげた。
『試製快速重装甲車』ですら、旧来のものと比べると大きさと性能に比例して倍のお値段。重さが倍で速度も5割り増しだから当然だろう。
けど、『試製快速重装甲車』を運用する偵察部隊の軍人さん達が絶賛してしまい、こちらは導入が即決したらしい。どうせ数が揃わないなら、破格の高性能の車両の方が良いと言うわけらしい。だから、早々に『九四式』の名を冠するそうだ。
問題は、『試製快速戦車』『試製快速重戦車』。
導入したいけど、これだと現状の予算では数が確保できない。しかも、従来の戦車を生産している三菱などで、この2種類の生産は技術的に当面無理。半ば利権の問題へと移行していった。
けど陸軍としては、予算が増えているからと新型導入に舵を切る。ただし重戦車の方は、政治的配慮もあって違うアプローチになった。
『試製快速重戦車』は、取り敢えず『試製九四式重戦車』と命名される。けど同じものは使わず、既に鳳が設計していた新型を新たに試作させ、改めて試験すると言う半ば先延ばし戦術。
重さも値段もさらに上がるけど、順調に行けば『九五式重戦車』となるだろうとの事。
もう片方も、どうせならお高い方をさらに試作。新型砲と砲塔を使った試作車両を作る事になっている。
そして来年度から『九五式中戦車』として導入するが、メンツや利権の問題があるので36年までは従来型も平行生産。
その後、技術習得を終えた三菱でも生産すると言う形で落着された。
何にせよ、鳳としては正直あんまり商売にならない戦車生産は半ばどうでも良いので、他のトラックや重機で譲歩させた。
そうして増やされる戦車部隊に、『226』メンバーの一部は、次代を担う者という栄転の形で飛ばされるわけである。
これでは文句も言えないだろう。
ただ、現時点での下っ端はそれで良いだろうけど、上はどうなるんだろうと次の疑問が頭をもたげる。
戦車隊:
史実の日本陸軍での戦車隊の創設は、2個大隊が1925年。33年、34年に1個。他は37年以後。
初期の頃は大隊編成。その後、連隊編成に改変。支那事変勃発あたりから急増していく。
戦車大隊は3個中隊、戦車連隊は4個中隊による編成が基本。
また1934年4月には、戦車を中心とした様々な兵力を混合編成した、『独立混成第1旅団」という機甲部隊の実験部隊を編成している。




