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悪役令嬢の十五年戦争  ~転生先は戦前の日本?! このままじゃあ破滅フラグを回避しても駄目じゃない!!~  作者: 扶桑かつみ
物語本編

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249 「西田の会?」

(さしずめ『西田の会』ね)


 鳳ホテルの中くらいの宴会場での立食パーティー。食事がビュッフェ、もといバイキング形式である事と合わせて、鳳形式などとも言われ始めていると言う。

 何しろ日本の宴会と言えば、料亭で座布団に一人用のお膳に料理を盛ると言うのが定番だ。園遊会でも、歓談するのが目的で食べる為のものじゃない。


 今回の場合は、立食前提の小さなテーブルを各所に配置してあるから、食べながら飲み、飲みながら食べられる形式だ。

 私からすれば普通の立食パーティーだけど、モダンだと他のホテル、洋風旅館、それに洋食居酒屋の一部なんかでも取り入れられ始めている。


 そこでの私の役目は、帰国した西田に花束を渡す事。だから少しおめかししてある。

 そうしてしばらくは目立たない場所で、メイド達を盾にして会場に佇んでおく。すぐに帰っては、将校達に引越しを手伝ってもらったお兄様のメンツも立たない。


 そんなパーティー会場内には、4、50人くらいの男どもが楽しげに騒いでいる。

 主賓はフランスからの留学から帰国したばかりの西田税。陸軍大学も優秀だったと言うし、持ち前の人誑ひとたらしなところを買われて、今後も海外武官が良いのではと言われているらしい。

 軍人の外交官と言える立場だし、西田にはお似合いだろう。て言うか、こいつは極力日本にいない方が日本の為になりそうだから、ドイツとか別の意味で危険な国以外の武官は私的には激しく推したい。


 まあ、西田の今後はともかく、まだお忍びで来られると聞いていた殿下、西田の陸士同期の秩父宮雍仁親王殿下のお姿はなかった。都合が付かなかったとの事で、使者の人が殿下直筆の手紙を持ってきていた。

 この殿下、私の前世の記憶では、足柄さんも参加したイギリスのジョージ6世戴冠式に出席したりする人だ。そしてそれ以上に、陸軍の危ない青年将校との交流を持った人だ。


 ただし同期の西田が軍人のままだから、逆に交流は薄いと見ることもできる。それに確か、記録には戴冠式の時にドイツにも立ち寄ってヒトラーと会い、信頼できないと言っていた筈だ。それなのにドイツとの同盟は積極的だったりと、今ひとつこの方の価値判断基準が分からない。

 けど、来ていないのなら、今日は気にしても仕方ない。


 他に見かけないと言えば、西田と同期の士魂部隊の隊長さんになる人くらいだろうか。

 居るのは、基本的に西田の代からその下の連中だ。お兄様の代は基本無害だし、ちょっとだけいる2つ上までの先輩も似たようもの。


(だいたい上は上、下は下で固まって、西田とお兄様がそれぞれ輪の中心ってところか)


 そんな感じで、青年将校ウォッチをしていると、チラホラと歴女知識に引っかかる人が出てくる。

 あっちで談笑している輪の中にいるのは、西田の1期下の八原博通。沖縄戦で奮闘した参謀になる人だ。陸士では、お兄様と面識もあった筈。


(辻ーんはいないけど、あの人の同期ってバロン西なのよね。お兄様とは騎兵同士、華族同士で少し交流があるって言ってたけど、西田だと2つ下だから陸士でも関われるし、しかも騎兵なのになんで交流ないの?

 ……ん? んんっ?! ゲッ! 安藤輝三! しかも隣は磯部浅一! 『二・二六』の人だ! さすが西田。相変わらずの危険物発見装置っぷり!)


 さらに探すも、2人の1期上の村中孝次の姿は見当たらない。都合がつかないか、任地が帝都近辺じゃないんだろう。同期で主犯格の栗原安秀もいない。


(多分、どっちも西田と年が離れすぎているから、西田の留学で交流が無かったのかな。野中四郎がいないのは、まあ当然か。なんにせよ、西田がお兄様の背中を懸命に追い続けてくれたおかげね。ありがとう、お兄様!)


 西田とお兄様が主賓という事だから、青年将校ウォッチングに来て大正解だった。まだ、私の前世の歴史上で事を起こす人の具体的な名前は誰にも教えていない事があるから、こう言う機会は貴重だ。

 けど、そろそろ今日見つけた辺りの人の事は、お父様な祖父には伝える頃だろう。


(けど、あの人達ってここに来ている以上、今のところは『昭和維新だーっ』ってわけじゃないわよね。何しろ西田がお兄様の総力戦論に傾倒しているから、基本的に革命より漸進による総力戦体制の構築論者になるだろうし。けど、一番危ない栗原はいないのか。敵情視察くらいの気持ちなのかな……分からん)

 

 そんな風に色々と一人で考えを巡らせていると、西田が接近して来た。隣には同期の服部もいる。それともう2人いる。どっちも、顔は私の歴女知識にはヒットしない。少なくとも危険人物じゃないんだろう。


「伯爵令嬢、この度は出席して下さり、誠に感謝申し上げます」


「頭をお上げください。こちらこそ、叔父の引越しを手伝って頂き、改めてお礼申し上げます」


 そんな感じでしばらく社交辞令と挨拶が続く。

 私の知らない二人は、「34期の三羽烏」の残り二人。服部卓四郎が一番の出世頭かもしれないけど、少なくとも陸士の頃は同格の西浦進と堀場一雄。

 どっちも名前を聞いてもあまりピンとは来ない。ただ西浦進は、今の時点でお兄様と同じく陸軍省軍務局にいるので、名前は聞いた事があった。

 その陸軍省軍務局は、軍事課長を永田鉄山がしている。だから同僚的な関係という事になる。


 そして両者ともに、お兄様の新しい論文に感化されたのだそうだ。そして、お兄様の帰国祝いの際の私の『やらかし』を聞いていたから、こうして話す機会を待っていたらしい。

 けど、その件ではお兄様と話は合わせてあり、お兄様が論文に書かなかった事を私が話した、と言う事になっている。

 それでも、あの論文を理解しているだけでも凄いと西田には絶賛され、服部卓四郎には私的に痛いところばかり突いてくる質問責めにあった。

 けど、それもようやく越えて、そろそろ次の話し相手にお互い変わろうかと言う頃合いだった。


「そう言えば伯爵令嬢は、1929年の師走頃に欧州旅行でフランスにも立ち寄られていたとか?」


「はい。アメリカから始まり、世界をぐるりと回った折に立ち寄りました」


「そのお話は、欧州にいる間に鳳先輩から伺っておりました。私も時間が取れれば、現地でお会い出来たのですが、今日はその分も埋め合わせさせて頂きたく思っていたのです」


「ありがとうございます。ですけれど、今日は西田様が主賓なのですから、たっぷりとお話を聞くのはまたの機会に致しませんか?」


「は、ハハッ。確かにその通りですね。これは失礼を」


「いえ、とんでもありません。ですが何もお聞きしないのも、もったいのうございますね。今のフランスの世相はどうでしたか? 私が立ち寄った頃は、まだアメリカの恐慌は及んでいなくて平穏だったのですけれど」


「……そうですね。日本同様に酷い不景気です。それ以外は、大きく変わらないかと。あと世相といえば、私が居る間に大統領が変わったくらいでしょうか。ただ、あそこの世相や世論、それに政治はよく分かりませんでしたね」


「西田様でもですか?」


「はい。ごく簡単に言えば、右と左、右みたいな左、左みたいな右と勢力が分裂していて、何かをしたくても何も出来ない。出来たとしても中途半端。しかも簡単に世論が変わるので、引っ張られて政策も変わってしまう。意見が一致するのは、ドイツが再び力を得ようと動いた場合だけ、と言った感じです」


「そうなのですね」


 その後、しばらく会話して別れたけど、西田のフランスに対する困惑は変わらなかった。

 フランスといえば欧州の左派のメッカだし、世界中から色んな人が集まる場所だから、西田なら妙な人脈を構築してきたり、妙な思想をキメてしまわないかと思っていたけど、そんな事はなかったらしい。


 私の印象では、政治的な考えはむしろ留学前より薄くなっていた。多分だけど、何が正しいのか分からなくなっているような気がする。

 新たに危険人物は引き寄せていたけど、当人から受ける印象はお兄様や服部達同様の普通のエリート軍人の色が濃くなっている。

 私としては、西田にはこのままエリート軍人街道を進んで、他の事にかまけている余裕が無くなってくれれば万々歳だ。



 そしてその後、もう少し長居して何人かの青年将校と当たり障りない会話を交わしてから、早めにパーティー会場を後にした。

 その間、殿下がいらっしゃる事もなく、パーティー中に聞いたように急遽都合が付かなくなったので、短い一筆を代理の者に持たせただけだったそうだ。

 これは、西田の長めのフランス留学で、殿下との関係が薄らいだと見るべきか微妙なところだろう。


八原 博通 (やはら ひろみち):

作中の言葉通り沖縄戦で活躍。ただし、賛否両論あり。

アメリカの力を正確に見抜く事の出来る人ではある。



バロン西:

西竹一 (にし たけいち)。1932年のロサンゼルスオリンピックの最後の花、馬術障害で金メダルを取った人。硫黄島での奮闘でも有名。



『二・二六』の人だ!:

とりあえず主犯格の顔見せ。詳細は、多分その後触れるでしょう。



西浦 進 (にしうら すすむ):

戦中は東条英機の秘書をし、戦後は『戦史叢書』の編纂を進めた。


堀場 一雄 (ほりば かずお)は、あまり歴史に名を残す経歴は認められず。

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― 新着の感想 ―
[一言] 2.26のひともここで知ってることを伝えられたら 心象違うんじゃないかなぁ お互い顔と名前知ってて同じ飯食べてて そこでテロ出来るのはそんなおらんやろ
[一言] フランスって、一生懸命マジノ線作っときながら空振りした無様な国というイメージ。
[良い点] このころのフランスはなあ。 擁護しようがないというか。第一次世界大戦の若者不足と大恐慌の打撃による怨嗟を政治にぶつけるせいで、全く何も決められないというか。 お花畑なことを言って、それがだ…
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