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089 老人と完璧な人形


 ベッドの上には老人が寝ていた。


 しわだらけの顔をこちらに向けて、まるで遠くを見るように微笑んだ。


「調子はどうだ、ヨツヤ」


 ミナヅキが聞く。


「ああ……今日はそう悪くないよ」


 声はか細い。けれど優しげで、俺は枯れた木から作られたバイオリンを想像してしまった。そんなものが存在するのかは知らないが。


「面白い客がいるぞ、聞いてるか?」


「榎本くんだろ? 久しぶり」


「あ、ああ」


 俺はなんと言ったら良いのか分からず曖昧な返事しかできなかった。


 ヨツヤのことはなんとなく思い出した、たしか教室でも目立たない生徒でいつも隅っこのほうの席で本を読んでいたはずだ。


 ことさら仲が良かったわけでもない。


 だけど同じ教室で授業を受けていたのだ、俺たちは。その同級生がヨボヨボの老人の姿になって今にも死にそうにベッドに寝ている。それは俺にとってかなりショックな光景だった。


 ――人はいつか、必ず死ぬ。


 そんな単純な事実を突きつけられただけだというのに。


「まだ若そうだね……あの頃のまんまに見えるよ」


「お前、こっちの世界に来てどれくらいだ?」


「えーっと、たぶん半年くらい」


「そうかい……本当にあの頃と変わらないんだね」


 ヨツヤの乾いた目に、少しだけ涙がたまった。


「もうこっちに来て長いのか?」


 俺は聞く。


「だいたい70年さ……異世界にいた期間の方が、あっちにいた期間よりも長い」


「俺もだな」と、ミナヅキ。「だいたいそうなれば、こっちに骨を埋める覚悟もできる」


「最初はずっと帰りたかったんだけどね……榎本くんはどうだい? あっちの世界に帰りたいだろう。でも住めば都とも言うから、あきらめてこっちの生活に慣れると良いよ」


 それはたぶん、異世界を何十年も生きてきた男として、優しさから出た言葉なのだろう。老婆心というやつだ。


 でも俺は帰りたいだなんて思わない。あんな世界クソだった。俺はこちらの世界が良いんだ。


「ちょっと体を見よう。服、まくれるか?」


 ミナヅキは持ってきていたカバンから聴診器をだす。この世界にもそんなもんあるのか、と俺は思う。


「ああ、できるよ」


 ヨツヤが服をまくりあげた瞬間、俺はぎょっとして目をそらしてしまった。


 本当に骨と皮しかない肉体なのだ。肌はところどころ変色しており、それはシミなのかそれとも何か得体の知れない病巣なのか判断がつかない。


 目をそらすと、人形と目があった。この部屋にも人形は置かれているのだ。というよりも、ベッドと人形くらいしか置かれていない。


 当然だけどテレビもゲームもない。寂しい部屋だ。


「ふむ、ふむ……うん、よし分かった。もういいよ」


「どう?」


「……ああ、大丈夫だよ。悪くなってはいない」


「そうかい。ありがとう」


「この前治した足はどうだ?」


「うん、痛くはない。でも動かないんだ……」


「そうか。治癒魔法は上手くいったはずだから、直に動くようになるかもしれん」


「だと良いけれど」


「ま、たぶん動かんがな」


 俺はいたたまれなくなって目を伏せた。


 この人は近いうちに死ぬのだ。直感的に分かる。そしてきっと、ヨツヤの体もそれを知っているのだろう。体が死ぬ準備を始めている。


「榎本くんには悪いことをしたなあ……」ヨツヤ老人は服を戻しながらまるで独り言のように言う。


「すまなかった」


 こんな老人に謝られても困る。


「いや、別にヨツヤは悪くないよ」


「イジメられてたもんなぁ……いまにして思えばどうしてあんなことをしてたんだろうか、彼らは。

歳をとると若い頃の考えなんて分からなくなるよ……どうしてみんな仲良くできなかったんだろうか」


「ガキにはガキの世界があるってことだ」


「そうそう」


 ミナヅキの言葉に同意する。


 たぶん学生の関係なんて大人からしたら分からないんだ。教師だってあんなに近くで生徒を見ているのに俺のイジメにはノータッチだった。


 面倒だから静観をきめこんでいたのか、それとも本当に理解できていなかったのか。俺がイジメられてどれだけ辛かったかなんて誰も分かってくれなかった。


「本当にすまない……」


「そんなに謝らなくても」


 でもたぶん、ヨツヤだって罪悪感を持ってたんだな。


 よしよし、許してやるよ。本当はその当時助けてほしかったけど、もし逆の立場だったら俺だって同じだったもんな。


「そういえば榎本くんはどうしてここへ? 人形がほしいのかい?」


「あ、いや」


「こいつは冒険者なんだ」


「冒険者……ああ、つまり依頼を受けてくれたのか。榎本くんが」


「そういうこと」


 俺はこれみよがしに背中に担いだ剣を揺らす。


「頼もしいね」


「どんな依頼なんだ?」とミナヅキ。


「この家にやってくる幻創種の男を倒す」


「ああ、それでさっき幻創種がどうとか聞いてきたのか。難儀な依頼だな」


「できそうかな?」


「昨日やった感じだと、まあ無理そう。そもそも剣があたらないんだ」


「そうか……やつは最初に会ったとき、自分は闇の眷属だと言っていたんだ」


 げほ、げほ、とヨツヤ老人が咳をする。


「大丈夫か?」


 俺は思わず背中をさすってやる。硬い骨の感触がした。


「ああ……ありがとう。榎本くんは優しいね」


「いや、それより闇の眷属って? そもそもどうしてあの男はヨツヤの魂を狙っているんだ?」


「僕は……やつと契約したんだ」


「契約?」


「そう、最高の人形を作るために。やつに魂を売った……」


 話が見えた。


「悪魔との契約か、バカバカしい」


 ミナヅキがため息をつく。


 そうだ、ヨツヤ老人は悪魔と契約したのだ。古今東西、悪魔との契約の代償はその魂と相場が決まっている。あの有名なファウストのように……。


「自業自得なのは分かっているんだ。でも死を間際にして僕は怖くなった。……榎本くん、どうか僕を助けてくれないか?」


「できるだけやってみるけど……」


 それにしても悪魔とは。


 たしかにエルフが幻創種ならば悪魔も幻創種だろうか。


 まったく、とんでもない敵だぜ。


「それで、最高の人形とやらはできたのか?」


「あ、たしかにそれ気になる」


 ヨツヤ老人薄く笑った。


「キミたちはもう見ているはずだよ」


「最高の人形を?」そもそも最高の人形ってなに?


「ああ。隣の部屋にメイドがいるだろ? あれは人間じゃない。僕の作った人形さ」


 その言葉で俺たちは同時に驚いた。


「まさか」「あのメイドが?」


 ヨツヤ老人はくつくつと笑った。


 たしかにあれはすごい、もはや人形には見えない。


 なんにせよ、これであらかたの謎はとけたわけだ。


 幻創種がヨツヤ老人の魂を欲しがる理由も、この老人にあんな可愛らしいメイドさんがいる理由も。


 あと謎があるとすれば。


 あの悪魔をどう倒すか、というものだった。


「けれど、あの子にはまだ一つだけ欠点があるんだ……」


 ヨツヤ老人はそうつぶやいた。


「そうなのか? 俺にはそう見えんがな」


「うんうん、完璧な人間というかメイドさんに見えるよ」


「あの子には足りないものがある……だがそんなはずがないんだ。私はあの子を完璧に作ったのだから。だから、あの子がそれを手に入れるまで私は死ねないんだよ」


 ヨツヤ老人は静かに目を閉じた。


 どうやら眠ったようだった。


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