086 幻想種
ご主人様のヨツヤサツキは、高名な人形師です。
メイドさんは俺たちに、最初にそう説明した。
――ヨツヤサツキ?
その名前の不思議な響きに俺は違和感を覚える。なんだか聞いたことがある気がした。けれどそれがどこで聞いたものかは思い出せない。
それとも、その名前がどこか日本語に似ていたからデジャブを感じてしまったのだろうか。
「今年で79歳、60年以上は人形を作り続けおり、その作られた人形は世界中に売られております。ルオの皇帝にも献上されたことがあるほどです」
「だから報酬のお金をいろいろな国のもので払えるの?」
「そのとおりです」
世界中で人気の人形ねえ……たしかにかなり作りの良いものに見える。この家に置いてあるということはつまり売れなかったもので、ということは出来の悪いものなのだろうか? それにしたって全部、生きているかのようにすら見えるのだが。
「たしかに素敵な人形よね、私もひとつ欲しいくらい」
「ありがとうございます。今回の依頼が成功したあかつきには、私からご主人様にお願いしてみましょうか?」
「それは嬉しいわ。ね、シンク」
「うーん? う、うん」
いえ、嬉しくないです。
だって怖いもん。こんな人形を家に置きたくねえよ。とはいえそんなことメイドさんの前で面と向かって言えるわけもなく。
あはは、得意技である愛想笑い。
「話がそれました。お二人に頼みたいことはご主人様の命を狙う敵を排除することです。やって、もらえますでしょうか?」
「いちおうそのために来たつもりよ、私たち」
「そうそう。それで、敵って?」
そこがけっこう大事なところ。
みたところこんな普通のお家に敵なんて入ってくるようには思えない。この人形たちはけっこう価値はありそうだから泥棒とかだろうか?
「『それ』に名前はありません」
シャネルの眉が片方だけ釣り上がった。
「ねえ、それってもしかして?」
メイドさんはコクリ、と頷く。
あー、このパターンね。と俺は思う。
けっこうあるんだよね、こっちの異世界じゃ常識みたいになってることのせいで俺だけ話に置いていかれること。
「なあ、2人だけで納得してないでくれよ」
「つまり、『それ』を倒してほしいと……そういうことなのです」
シャネルが席を立つ。
「帰るわよ、シンク」
「え?」
だから話についていけてないんだって!
「ま、まってください!」
メイドさんは慌てた声をだす。しかしその表情はあまり変わっていない。
「どおりで依頼の内容が不明瞭なわけだわ。いくら私たちが命知らずの冒険者って言ってもね、まさか『幻創種』を相手にするわけないでしょ」
「『幻創種』?」
……やべえ、すげえ好き。そういうの。
「も、もちろん報酬ははずみます」
「命あっての物種よ」
「どうしようもないんです、ですから冒険者の方ならばと頼んだんです」
「他の人が来るのを待ちなさい」
「じつは……お2人でもう4度目なんです」
はあ……とシャネルがため息を付いた。
「これか、ギルドであんまり勧められなかった理由は。そりゃあ誰だって説明を聞いたら尻尾を巻いて逃げるわよ。ギルドもギルドよ、依頼書に書かれてないからって教えてくれれば良いんだわ」
「……やはり、受けてもらえませんか?」
「当たり前でしょ」
シャネルはまさににべもない。
メイドさんはうつむいている。長いまつげが涙を堪えるように揺れている。それを見ていると、俺は可哀想に思えてしかたがない。
女に弱い男、榎本シンク。
「お手数を、おかけしました。どうぞお帰りください」
メイドさんは席を立ち、家の扉を開けた。
シャネルが出ていこうとする――。
「まあ、待てよ」
俺は椅子に腰掛けたまま、ちょっと格好つけて言う。
「あ、悪いクセがでた」
シャネルが言う。
「あんまり慌てるなって、座れよシャネル」
「……まったくもう。ミラノちゃんのときもそうよ、シンクは可愛い女の子に甘いのよ」
と言いながらも、シャネルはそれ以上の文句は言わないで席に戻ってきた。
メイドさんはわけがわからないというようにこちらを見ている。
「とりあえずどうぞ、話の続きを」
「依頼を受けていいただけるんですか?」
微笑みで返す。
ちょっと卑怯な作戦。ヤバそうだったら受けるとは言ってないって言い張って逃げよう。うむ、我ながら最低だ。
メイドさんは席に戻る。そして俺たちをじっとカメレオンのように見つめた。注意して見れば目に光沢がないのが分かる。見つめられると妙な感覚になる。
……恋か?
違うな。
「説明は手短にね」
シャネルが退屈そうに言う。
彼女としてはもうこの依頼は受ける気はないようだ。
はい、とメイドさんは従順に頷いた。
「ご主人様は若い頃に一度、幻創種である『それ』と契約を交わしたそうなのです」
「ちょっとまって」俺はたまらず口をはさむ。「幻創種ってなにさ?」
「あらシンク、幻創種知らないの?」
「自慢じゃないが知らない」
「あのね、幻創種って約400年前くらいに突然現れた種族よ。いわく、神が創り出した新しい種族だとか」
「へえー」
新しい種族?
わけが分からない。
亜人とかとは違うのか?
「シンクの大好きなエルフも幻創種よ」
「どおりで!」
幻想……そりゃあ俺の眼の前にあらわれてくれないわけだぜ。思い返せばあっちの世界にいたときも二次元の女の子がモニターの中から出てきてくれることはなかった。
つまりは、
二次元女の子=エルフ。
うむ、そういうわけだな。
「シンク、バカなこと考えてるでしょ?」
「なぜ分かった」
「分かるわよ、それくらい女の勘で」
そうなのか……女の勘って怖いな。
「幻創種は私たちとはまったく違う法則で生きている者たちよ。そりゃあ生き物だからその気になれば殺したりもできるでしょうけど……」
「強いのか?」
「普通はね。エルフだってそうよ、やつらは温厚な種族だから人間といさかうことはないけれど、それでも嫌われてることは確かよ」
「ふんふむ」
「そもそも幻創種っておかしいのよ。400年くらい前に突然現れたくせに、自分たちは人類よりももっと昔からこの世界にいたって思い込んでるの。でも歴史のどこにもそんな記述はないわ、あいつらは400年前に突然現れた」
「いきなり来た他人が自分の家の庭で暴れてるような感じだな」
「良い例えね。そんなことされて喜ぶ人間なんていないでしょ、だから幻創種は嫌われているの。とくにエルフだけどね。だから私たちは幻創種のことを嫌悪感をこめて『それ』って言ったりするの」
「え、じゃあもしかして敵ってエルフか!?」
ちょっと期待。
「あ、すいません。違います」
メイドさんが申し訳なさそうに答える。
「そっか……」
「『それ』は一見してただの男です。しかしその中身は……化物です」
「そのさ、幻創種と普通の人間って違いあるの?」
エルフだったら耳見ればいっぱつだけど。あ、でも半人の可能性もあるのか。
「分かると思います。人間とはそもそも雰囲気が段違いですから」
「そうなの?」
「ええ。私も何度か幻創種は見たことがあるけど、やっぱり全然違うわよ。中には人間みたいな形をしていないものいるしね。ドラゴンなんかがそうよ」
「ああ、ドラゴン」
一度見たことがあるぞ。
あれが幻創種か……。たしかにありゃあいまの俺でもきついよな。そういえばドラゴン退治のときに山頂近くで1つ目の巨人、サイクロプスと戦ったな。あのときはいろいろ精神的にぐちゃぐちゃで必殺技ぶっぱして倒したけど……。
「なあ、サイクロプスっているじゃないか」
「いるわね、見たことないけど」
「あれって?」
「あれも幻創種」
「そうなのか」
「どうしたの?」
「いや、倒したから」
「倒した!? いつよそれ」
「いや、ドラゴンのいた山でさ。シャネルとちょっとの間別れたじゃん? あの時」
シャネルは呆れたように眉間にシワをよせている。
一方のメイドさんは小さく拍手を送ってくれた。
「素晴らしいですね。幻創種を単独で倒せる人間なんてそうそういませんよ」
「そうなのか?」
褒められた。嬉しい。ちょっと得意になる。
「シンク、あんまり危ないことはしないでね」
「ごめん」
「でも本当にすごいわね。頭撫でてあげましょうか?」
「いまはいい」
恥ずかしいだろ、他の人がいる前で。
「あの、でしたら今回の依頼も受けていただけますか?」
できる? と、シャネルが俺に目で聞いてくる。
ここで「できる」と言うのは簡単だが、実際に正体の分からない敵と戦うのは俺たちなのだ。
「できるかは分からんよ」
正直に答える。
サイクロプスは倒せてもドラゴンは単独で倒せる気がしない。俺の実力なんてその程度だ。それでもかなり強いほうなのだと思っているのだが。
メイドさんはそれで良いですというように頷いた。
「それで、その敵ってどこにいるの?」
「あの、毎日毎晩、来るんです。この家に」
「ここに?」と、シャネルは首をかしげる。「街の中に幻想種だなんて。気の弱い人が聞けば卒倒するわね」
「毎晩、毎晩、『それ』はやってきます。そこの戸口に立って聞くんです。命は尽きましたか? って。それが私……オソロシクテ」
オソロシクテ。
その発音の不思議な響きに、俺はやはりこの人は外国人なのだろうと思い込んだ。
「中には入ってこないの?」
「はい。こちらが扉を開けない限りは」
「なんだか吸血鬼みたいだな」
「ヴァンパイア?」
「あれもそんな伝承があるだろ? 家には招き入れないと入れないとか」
この異世界に吸血鬼がいるのかは知らないが。
「でも家に入ってこないなら、そのまま放置しても良いんじゃないの?」
「それではダメなんです」
「なぜ?」
「『それ』がねらっているのは……ご主人様の魂なのですか」
魂。
命ではなく、魂だ。
なんだか話が怪しくなってきた。
「っていうとつまり?」と、俺は聞く。
「ご主人様の死後の魂を、やつは奪っていくつもりなのです」
隣の部屋から咳をする音が聞こえた。
その咳はいまにも死にそうな人間だけがする、非常に危ういものだった。




