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774 シャネルへのプロポーズ


 パリィの街は今日も騒がしい。


 ここに帰ってくると、俺はまるで実家に帰ってきたような安心感を覚えた。


 そうか、もうここが俺の住処なのだ。


 元居た世界はあくまで元居た世界で、こちらは異世界ではなく俺のいるべき世界なのだ。


 いつの間にかそういう認識になっていた。


 俺は自分の屋敷に帰る。


 門を開けると、シャネルが待ち兼ねていたかのように飛び出してきた。


「シンク!」


 駆けてくるシャネル。


 俺の目の前で止まって、深呼吸。


 少しだけ息が切れていた。


「ただいま」と、俺は言った。


 シャネルは息を整えると、顔をあげて、済ましたようにその綺麗な銀髪をかきあげる。


「おかえりなさい」


 本当は喜んでいるくせに、いかにもなんでもありませんよという顔をしている。


 そんなシャネルがたまらなく愛おしく見えて、俺はいますぐにでも抱きしめたかった。


 けれどシャネルはそんな俺の考えを察したのか「さっさと入りましょうよ」ときびすを返してしまう。


 ふわふわとした服の装飾が揺れている。まるで俺について来いと行っているようだ。ついてきたら良いことが待ってるわよ、とも。


 いまだ慣れない屋敷の中。


 2人でこの広大な屋敷を管理することは難しいので、数人のお手伝いさんをやとっている。そのどれもが高齢の女性であり、全員シャネルが面接して採用されていた。


「それにしても、ふらっと出て行ったと思ったら大変なことをしてたみたいね」


 長い廊下を歩きながら、シャネルは言う。


 ときおり振り返り、俺が付いてきていることを確認している。そんなに不安だったのだろうか、俺がいない間は。


「大変なことって?」


「ドラゴン退治」


 俺は驚いた。


「え、なんで知ってるの?」


「なんでって、新聞に載ってたわよ」


 マジか。


 俺はお忍びで行ったつもりだったのだが。まあ、こういう情報はけっこう伝わるのが早いからな。とくにドレンスの中心であるパリィには人だけではなく情報も集まってくるのだ。


「どうして私も連れて行ってくれなかったのよ」


 ちょっと拗ねたような声を出すシャネル。


「ごめん、でも理由があったんだよ」


「ふんっ。私が足手まといになるとでも思って?」


「そういうつもりじゃないけど」


 困ったな、こんなふうにツンツンされていたら渡すものも渡せないぞ。


 シャネルはどこへ行くのかと思えば、俺の部屋の扉を開ける。


 いちおうこの屋敷の中にはシャネルの部屋と俺の部屋がべつべつで存在している。とはいえ、シャネルはたいてい俺の部屋にいる。寝る時だってだ。なんでも狭い部屋の方が落ち着くのだとか。


 本当かどうかは分からない。


「まあ、いいわ。せっかくだから冒険譚の一つでも聞かせてちょうだい。可愛い女の子でもいたのかしら? ずいぶんと長旅だったようだけど」


「違うって」


「あら、そう」


 どうやらシャネルさん、嫉妬しているらしい。


 あー、もう。


 こういう仕草も可愛いな。


 俺はニヤニヤと頬が緩むのを隠せずにいる。


「なによ、笑っちゃって。失礼ね」


「ごめんって」


「私のこと、嫌いになっちゃった? 私と一緒にいるのって息苦しい?」


 不安そうにシャネルは上目遣いだ。その宝石のような目が少しだけ曇っている。俺はシャネルにそういう顔をしてほしくない。


 だから。


「あのさ、プレゼントがあるんだ」


「ふうん」


 なにかしら、とシャネルが興味深そうな顔をする。


「花なんだけど」


「花ねえ。点数稼ぎに慌てて買ってきたわけ?」


「そういうんじゃないって。これなんだ」


俺が渡した金属の花を見て、シャネルは目を丸くした。


「これって……?」


「あのさ、そのなんだ?」


 緊張する。


 おいおい、ランティスくんがやっているときは笑いながら聞き耳をたててたじゃないか。


 どうして自分の番になるとできない?


「その、聞いてほしいんだ」


「ええ、なにかしら」


「そのさ、これ。指輪の材料なんだ」


「知ってるわ、ええ」


「だからその、あのさ。その……なんだ?」


 俺はソワソワしている。


 シャネルもモジモジしている。


 なんとも言えない沈黙。


 それを破るのは俺の役目だ。


「シャネル、その。たぶん一生に一回しか言わないセリフだし、もちろん初めて言うセリフだから変だったらごめん」


「ええ」


「結婚してくれ、俺と」


 そう言って、俺は金属の花をシャネルに渡す。


 これをとってくれることが、肯定のしるしである。


 シャネルは少しだけ焦らすように俺を見てから、そして愛おしげに花弁を細い指で撫でた。


 と、おもった瞬間。


 ひょいと、花を俺の手から取り上げる。


「お受けします」


 俺は思わず喜びの声をあげて、シャネルを抱きしめる。


 そして彼女を持ち上げて、くるくるとその場で回転する。


「ありがとう、ありがとう! シャネル!」


「ちょ、ちょっと!」


「大好きだ!」


「私もよ、だから下ろして! ねえ、目が回るわ!」


 その言葉の通り、俺は目を回してしまう。


 そしてベッドに倒れ込む。シャネルを上にして、だ。


「もうっ……喜びすぎよ」


「嬉しいときは嬉しい!」


「意味が分からないわ。まったく」


 シャネルが俺の体に自分の体を預けてくれる。


 俺はシャネルの唇を奪う。


「んっ……ちゅっ」


 シャネルはそれに答えてくれた。


「シャネル、愛してる」


「そんな言葉、いらないわ」


「そうなのか?」


「ええ。だって知ってるもの。愛の世界に言葉なんていらないのよ」


 なるほど、金言である。


 俺はシャネルの教えの通り、そのまま無言で彼女のことを愛した。


 唇を、体を、心を重ね合わせた。


 結婚というものが怖かった。


 俺のような人間が誰かの人生を背負うことができるのかと不安だった。


 けれどよく考えてみれば俺が一人でシャネルの人生を背負うのではない。シャネルが俺を背負い、俺がシャネルを背負う。これから俺たちは支え合っていくのだ。


 そしてそれは今までしていたことと同じで。


 なんだ、シャネルとの結婚になんの不安もないじゃないか。


 結婚は人生の墓場なんて言葉があるけれど、こんな墓場なら入ってみたい。


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