766 山での会話
山に入ってからこっち、人どころかモンスターの姿も見ることはなかった。
「この分なら簡単に山頂までは行けそうだな」
俺はそう言って、振り返る。
するとランティスはずいぶんと離れた位置にいた。
またか、と足を止める。
「はあ、はあ……ご、ごめん。でもエノモトくん、ちょっと速いかも」
「気をつけるよ」
べつに健脚に自信があるわけではなかった。引きこもりだった頃に比べれば天と地ほどの差だろうけど、他の人と比べて体力があるとも思わなかった。
けれどこうしていれば分かるが、俺はけっこう何でもできるのだ。
もっともそれを自慢するつもりもないのだが。
朝から登り始めて、すでに陽はてっぺんを超えている。正しい時間は分からないが、うかうかしていると暗くなるだろう。
もっとも、一日で山頂まで行けるとは思ってない。
途中で一泊する予定だったのだ。
「この前来たときは、上の方に雪があったけど。いまはどうなんだ?」
「たぶん大丈夫だと思いますよ。本格的な冬は来ていませんし」
「なら良いけどな」
雪は嫌いだ。というか寒いのが嫌い。
できれば降ってほしくない。
俺は肩で息をしているランティスのバックパックを持ってやることにする。
べつに俺は2人分持ったところで平気だ。
「ありがとう」
「どういたしまして。もう少し歩こうぜ、できれば山頂付近まで行っておきたいんだ」
山頂の標高に慣れておきたい。
いくら俺でも、いきなり高度の山の上で暴れたら、高山病とか色々大変なことになりそうだから。
「頑張ってみる」
「おう、ただ急がなくてもいいから。ゆっくり行こうぜ」
俺はランティスの歩幅に合わせるように歩く。
男2人で黙りこくって歩いているのもなんなので、雑談をふってみる。
「なあ、あんたさ。危険だって言われてる山に登る理由って、やっぱりあのビアンテっていう幼馴染のためか?」
ランティスの顔がさっと赤くなる。
分かりやすい。
「いや……まあ、その……」
「プロポーズか?」
自分で言っておいて、なんとおぞましい言葉かと思った。
俺だって立場は同じなのだから。
「そっちは?」と、ランティスが反撃するように言ってくる。「まさかドラゴンを退治に来たなんて言わないでしょ?」
「そのまさかさ」と、うそぶいてみた。
「誰かの依頼? それとも自分のプロポーズ? 教えてよ、僕たちいちおう仲間じゃないか」
仲間、と来たか。
「嫌いな言葉じゃないな」
「そうなの?」
「俺も本当のことを言うから、あんたも言えよ」
「わ、分かった」
「あのな、俺もそう。プロポーズだ。付き合ってどれくらいになるかな――」
あれ、そもそも俺とシャネルって正式に付き合うとかそういう告白イベントあったか?
「――まあ、なんだ。とにかく長いこと一緒にいたんだ」
「へえ、それでとうとう?」
「そう、とうとう。あんまり覚悟というか、実感とかはないんだけどな。それでそっちは?」
「僕の方はビアンテに……でも、その、ビアンテは目が見えないからさ」
「うん」
「だからその、プロポーズもそうなんだけどさ。まずは手術を受けてほしいんだ。けど本人が怖がってるから……」
「結婚してやるから、手術を受けてくれってか?」
「そうじゃなくて……いや、間違ってないかもしれないんだけど。とにかくその、僕が結婚するから勇気を出してほしいって。スピアー兄さんじゃなくて……僕がついてるからって」
「スピアーか」
俺はぽつりとその名前をつぶやく。
「スピアーっていうのは、ビアンテの兄さんの名前なんだよ。僕たちと同じ冒険者でさ」
「ああ、知ってるよ。ビアンテから話を聞いたし、それに」
「それに?」
「知り合いだ」
ええっ、とランティスは飛び上がって驚いた。
「あああ、あの! そのことをビアンテには?」
「言ってないよ」
「そうか……良かった」
この様子だと、ランティスはスピアーが死んだことを知っているのかもしれない。
「スピアーはいいやつだった。どこの馬の骨とのしれない俺にも優しくしてくれた」
「うん、優しい人だった。僕はそんな兄さんに憧れてたんだ」
ランティスの足取りが、少しだけ力強くなった。
前へ前へと進んでいく。
「あんまり無理するなよ」
「分かってる、ありがとうエノモトくん」
そういえば、と俺は思い出した。
俺がスピアーと一緒にパーティーを組んだのも、こういう山登りで。それにドラゴンを退治しにいっていたのだ。
そこまで考えて、嫌な予感のようなものがした。
スピアーはあの山の中で死んだ。
俺は隣を歩くランティスを見る。
まさか、彼も死ぬのか?
いいや、そんなことはさせない。
「どうかした?」とランティスがこちらを見る。
「いいや、なんでもない。平坦な場所があったら一回休もう。もうそこでテントを張っても良い」
「そうだね」
ゆっくり話す必要があると思った。
スピアーのことについて。
俺は歩きながら、どこまで話して良いものかと考える。
できることなら、包み隠さず。彼の最期のときまでを語って聞かせたいと思っていた。




