761 道具屋にて
それからしばらく、俺はランティスのことが気になっていた。
けれどワインが進めばそんなことはどうでもよくなった。
俺は一晩中、ワインを飲み続けたと思う。そのうちに部屋に戻ったらしいが記憶はなかった。
「……キモチワル」
翌朝。
ダメだった、完璧に二日酔いだ。
あれかな、久しぶりにシャネルがいないで1人で飲んだから浮かれすぎたのかな。
どうやらすでに昼前くらいだった。
俺はカタツムリでもここまでノンビリしないという動きで部屋から出た。
ギルドと併設された居酒屋にはすでに客がいるようだった。俺は二日酔いのせいでアルコールの臭いをかぐのも嫌だったし、なんなら見るだけで吐きそうになった。
いったいぜんたい、どうしてあんな物をありがたがって飲んでいる人間がいるんだ? 頭がおかしいのではないだろうか?
「昨晩はずいぶんと飲まれていたようですね」
カウンターの方へ行くと、受付の小男が苦笑するように声をかけてきた。
俺は誤魔化すように笑う。
「しょうじき記憶はほとんど残ってませんけど。俺、なんか変なことしてませんでした?」
「いいえ、見ている方の気が滅入りそうになるくらい、隅っこで黙々と飲んでいただけですよ」
なら良かった。
この世でもっとも恐ろしいもの。
それは記憶が無くなるまで飲んだ翌日の朝だ。
たいてい財布やらなにやらを無くしているし、下手したら衣服にゲロがついている。それに自分が何をしたのか全く覚えていないから、もしかしたらとんでもない事をしでかしたかもしれないのだ。
これまでの人生、アルコールを飲んで成功したことは一度もない。けれど失敗したことは星の数ほどある。もう飲むのやめたほうが良いな、うん。
「それで、これからゴザンス山へ?」
「あ、いや……今日は休憩。もとい準備に時間をあてようと思ってます。この街に冒険者用のアイテムを売ってる場所ってありますか?」
「ええ、それでしたら当ギルドを出て、右の方へ行けば。サニーという男がやっている店がありますよ」
「じゃあそこに行ってみます」
というわけで外に出て右の方へ歩いていく。
今日は天気がそれなりに良いので、酔い醒ましの散歩にはもってこいだ。
例のごとく看板を見てもそこに書いてある文字は読めない。なので立ち並ぶ店の中を覗きながら、どこが道具屋かと探す。
それらしき店を見つけて中に入った。
――カランカラン。
入り口の扉には鈴がついていて、俺が扉を開けると音がした。
「いらっしゃい」
店員は俺の半分ほどくらしか身長のない小男だった。
はて、どこかで見たような気がする。
「えっと、ここはサニーさんの店ですか?」
「そうですよ、そちらは冒険者の方で?」
「はい」
「ギルドで紹介されたんですか?」
「そうなんですけど……」
俺はまじまじと店主を見て、やっと気づいた。
ああ、この人はギルドの受付さんに瓜二つなのだ。
「私の顔になにかついてますか?」
「あ、いや……。あの、失礼ですがギルドで受付されていたのは?」
「あれは私の兄です」
なるほどなぁ。
ちょっと苦笑い。
どうやらこの兄弟を上手いこと儲けさせることになりそうだ。
「それでお客さん、今日はなにをお探しで?」
「えっと、明日にでもゴザンス山に登ろうと思うんです。だから登山用の丈夫な靴とか、あとはロープとかもあれば良いかな。簡単な保存食みたいなものあると良いかも……」
「ゴザンス山に……悪いことは言いません。やめておきなさい」
「ドラゴンが出るから?」
「そうです。それでもどうしてもというのでしたら、こちらがオススメです」
そう言って店主はなにかガラスの瓶を出してきた。
ポーションのたぐいかと思ったが、違いそうだ。
透明な液体が入っている。
「これは?」
「人間の臭いを消すための薬です。これを体にふりかけておけば、モンスターに見つかることはなくなりますよ」
「へえ」
無臭の液体だ。
もちろんその透明な液体は瓶の中に入っているので、普通の人間なら臭いがするかどうかも分からないだろう。けれど俺の場合は違う。俺の敏感な鼻ならば、瓶詰めの中の液体の臭いだって判別できるのだ。
「これ……本当に薬ですか?」
店主はじっと俺の目を見た。
小柄な体にはある種、不釣り合いにすら思えるほど大きな目だ。
無言で見つめ合うと店主はプイッ目をそらした。
「ああ、すいません。これは水でした。間違えました」
「そうですか」
はてさて、本当に間違えたのか。それともゴミを売りつけるつもりだったのか。前者だと信じたいけど。
「そういえばあの薬は先日、売ってしまったんでした。ああ、でもこちらなんてかオススメですよ。飲むだけでいつもより素早く動ける薬――」
たぶんこれも水だな。
「遠慮しておきます。自分で見ますから」
「そうですか」
あまり信用のできなさそうな店主だ。
こうなってくると宿の方も怪しく思えてくるのだが……。
けれどこの店、面白そうなものがいくつもある。
張っている間は周りから見えなくなるテントやら、自分が歩いてきた道の方だけを示してくれるコンパス。それに無限に伸び続けるロープ。
とくに最後の無限に伸び続けるロープというのが気に入った。
だってありえないでしょ、無限なんて。
いかにもな誇大広告だ。
「これ、いくらです?」
「えっと――」
示された金額を聞いて、俺は意外と安いなと思った。
豪華な食事を二食分といったところ。
「買うか……いや、しかし」
明らかに怪しい。見えている地雷を踏むというのもどうなのだ?
いや、でももし無限に伸び続けるというのなら、使い方もそれこそ無限大で。
俺はどうしようかと頭を悩ませた。
「いまなら安くしておきますよ」
「へえ」
「それにこれもつけておきます。真水ですので、飲料水に使えますよ」
「それ……さっきの臭いが消える薬ですよね?」
「おまけにつけます」
心が動いている。
しかしここは冷静になるべきだと思うのだが。
カランコロン。
鈴の音がした。
見れば店の中にお客さんが入ってきた。それはランティスだった。
あちらも俺の存在に気づいたのか、驚いたような顔をする。
「どうも」と俺の方から声をかけた。
「あの、冒険者の……えっと?」
そういえば名前を名乗ってなかったなと思った。
「エノモトって言う」
「エノモトくん、そっか。そっちも買い物ですか?」
「まあね。ゴザンス山に登るために準備しようと思って」
これ見よがしに言ってみる。
ランティスはすがるような目を俺に向けた。
何か言いたいのなら言えば良いのに。けれどそれができずに、所在なさげにそこらへんの物を手にとって眺めた。
俺はべつに他人をイジメて喜ぶ趣味なんてない。
むしろ、困っている人がいれば助けたくなる方だ。
たぶん根本的にお人好しなんだろうな。
「あんた、もしなんなら一緒に行くか?」
「え、でも昨日は嫌だって……」
「ああ、言った。けど、あんたがどうしてゴザンス山に登りたいのか、その理由次第では手伝ってやっても良いって――そういう事さ」
ランティスは少しだけ迷ったようだ。
けれど結局は諦めたらしい。あるいは俺と一緒じゃないとゴザンス山には登れないと思ったのだろう。分かりました、と頷いた。




