760 ランティス
言い争いをしているのはまだ若い男たちだった。
騒いでいるのは全員酔っぱらっている。他人の迷惑なんて考えてない。しょうがないよなこんな昼間からアルコールを飲んでいるようなやつらだ。
「店員さん、俺、てきとうにワイン」
近くにいる芋っぽい女性に話しかける。
エプロンをつけているのでたぶん店員さんだろう。
「あい」と、その店員さんはやる気のなさそうな声で返事をする。
赤か白かも聞かずに、店員さんは奥に行く。
俺はてきとうな席――つまりは言い争いをしている人たちが見やすい席を陣取って、様子をうかがった。
「だからさ、ゴザンス山を安全に登るためのルートがあるんだよ!」
「もう何回も聞いたよ、その話は」
「それならランティス、お前が1人で登れば良いじゃねえか」
ランティスと呼ばれた彼は、悔しそうに唇を噛む。
たぶん冒険者なのだろうが、あまりそういうふうには見えない。
メガネをかけた痩せた男だった。
むしろ学者のようにも見える。
「僕だけじゃ行けないんです!」
「そしたら俺たちがいても行けねえだろ。いやだぜ、あそこにはいまドラゴンがいるんだ。それなのにのこのこ登山なんてしようものなら、お陀仏だぜ」
「そうそう」
ふむ。
どうやら殴り合いの喧嘩にはならなさそうな感じかな。
話をしているのは知り合いみたいだし。
察するにランティスという人はゴザンス山に登りたいらしい。それで、ドラゴンに会わない登山ルートを知っていると主張しているのだ。
「腰抜け……」
「ああっ?」
「おい、ランティス。いまなんて言った!」
「え、いや……その」
「腰抜けって、そういったのか? ええ?」
ランティスは自分で言っておいて、たぶん思わず言ってしまったのだろう。顔を青くしている。
「ふざけたこと言ってんじゃねえ! ドラゴンがいるんだ、お前は怖さを分かってねえ!」
「いいや、怖いとか怖くないとか、そういう話ですらねえ!」
ランティスは周りから集中砲火を受けている。
けれど、引くつもりはないようだ。
なんであの人はそんなにゴザンス山に登りたいのだろうか?
その理由が分からない。
「はい……お客さん」
店員さんがワインを持ってきた。
「ありがとうございます」
いかにも田舎娘という感じの女の人だった。半目気味なのはやる気のせいか、それとも単純に眠たいのか、はたまたそういう顔なのか。
「なんか食べます?」
「えっと、じゃあ適当に軽いものを」
「適当に……ね」
言い方が悪かったのか、店員の女の人は少しだけ不機嫌そうな顔になった。
でも俺だって困るんだ、いきなり何が食べたいとか聞かれても、まともな返事なんてできるわけないじゃないか。
俺は持ってきてもらったワインをちびちび飲んで、気まずさを紛らわせた。
「ランティス、いいか。ドラゴンってのはそれはそれは恐ろしいモンスターなんだぞ。あの勇者だってドラゴンに殺されたって話じゃねえか」
「ああ、そうだ。俺たち素人がどうにかなる敵じゃねえんだよ」
「だから、そのドラゴンに気づかれない道があるんです。でもそっちだって弱いモンスターはでるかもしれない。そしたら俺だけじゃ無理なんですよ。頼みますから、一緒に登ってほしいんです」
「やだね、危険はおかしたくねえ」
「そんなに仲間がほしいならギルドにクエストを出せばいいじゃねえか。もっとも、少しでもまともな頭がありゃあ、いまのゴザンス山に登ろうなんて考えないだろうがな」
「ちげえねえ!」
言われたランティスは悔しそうだ。
「もういい!」
なにも言い返せないのだろう。これで話は終わりだとばかりに男たちに追い返されて、ランティスはとぼとぼとこちらに歩いてくる。
俺が見ていることに気づいたのだろう、目が合った。
じっと、ランティスはこちらを見る。
メガネがキラリと光った。
面倒くさいことになりそうだ、と思った。
――からまれるだろうか?
『何を見てんだよ!』
ってな具合で。
ありえないだろう。
ランティスは俺の座っていたテーブル席に自分も腰を下ろすと、切羽詰まったような顔をして「どうも」と挨拶してきた。
「やあ」と俺も返事をする。
「冒険者の人?」
「まあ」
「いま来てもクエストの依頼なんて何もないでしょう?」
しょうじきどんなクエストが残っているのか見てもいないので、適当に話を合わせるしかない。
「ろくなのは残ってないね」
相手が男ならば人見知りはするもののある程度は普通に話をすることができた。
近くでまじまじと観察をしてみれば、ランティスはだいたい俺と同じくらいの歳に見えた。
少しだけあっちが年上かな? とも思ったのだが、経験上、少し年上というのは同い年くらいなのだ。人間、自分はいつまでも若いと思いこんでしまうものだ。
「そっちのランクは?」
ランティスはニコニコと笑いながら聞いてくる。
初対面の人間にこんなことを普通聞くだろうか?
間合いのはかり方が極端な人なのか、あるいは俺のことをバカにしているのか……。
俺はランティスの人となりが分からず、いぶかしい目をしてしまう。
「あ、いや。ごめん。いきなり不躾でしたか?」
「いいや、べつに」
ただ、いきなり距離をつめてくるような人は苦手だというだけだ。
「俺はランティスって言います。冒険者ランクは『E』だです
はて、冒険者のランクの最低はなんだったか。『F』だった気もするが……ということは、ランティスはドベから一つ上か。
「いちおう俺の方が上だな」
俺は『Sランク』だし。アルファベットでいえばEよりかなり後なんだけどね。
「本当! ならさ、お願いがあるんだ――」
「お願いねえ……」
「うん、僕と一緒にゴザンス山に登ってくれませんか?」
俺はテーブルの上にあるワインを飲んだ。
そして「あんたも飲むかい?」と、グラスを差し出す。
「あ、いや……僕は飲めないんです」
「そうか、飲めないのか」
これで俺はこのランティスへの好感度を下げた。
べつに飲めないのは良い。無理やり飲ませるようなアルハラをするつもりもない。けれど嘘でもいいから、口をつける素振りをしてくれれば良かったのに。
「あの、それで僕と一緒に……」
「うん? ゴザンス山? いや、悪いが俺は遠慮しておくよ」
もちろん俺も用事があるのはその山なのだが。けれど案内が必要なほどの山ではない。登山ルートは整備されており、ときおりモンスターは出るものの俺の敵ではない。一度登ったことがあるからよく知っているのだ。
もっともドラゴン退治とかいう面倒事を頼まれているのだが。
ランティスはドラゴンに見つからないルートがあると言っていたが、俺の場合は逆なのだ。片手間でもいいので、そのドラゴンをなんとかしなければいけない。
「そうですか……」
「あんたはどうしてドラゴンのいる山に行きたいんだ?」
「……いや、知らない人に言うことじゃないので」
その知らない人に危険な山へ一緒に行くことを誘ったのはどこのどいつか。
俺はため息をつく。
理由次第では俺が護衛になっても良かったのだが。
ランティスは諦めたのか、とぼとぼとギルドを出ていった。その姿は少しだけ寂しく見えた。




