753 本物の張天白
撃ち出された魔弾を、ケツアゴの男は見事に回避してみせた。
「うおおっ!」
なんたる反応の良さか。
まさか避けられるとは思っていなかったティンバイだが、次の動作はすでに始まっている。
予備のモーゼルをもう一丁取り出し、それを相手に向けた。両手に持ったモーゼルを乱射する。そのどちらもがキラキラと輝く魔弾を放っている。
だが、ケツアゴの男はその魔弾を針の穴を通すような繊細さで避けると、そのまま一目散に逃げていく。
「チッ」
思わず舌打ちをしてしまう。
この屋敷の中では地の利はあちらにある、できることならばここで仕留めておきたかった。
「逃げ足の早いやつだ」
「どうするの、ヅォさん」
「決まってる、追いかけるんだよ。シャオシー、お前もついてこい」
「う、うん」
屋敷の中を走り回る。馬賊どもはほとんどが外に出て馬を捕まえようとしているのだろう、どこにも見当たらない。
そして、この屋敷の主人もだ。
このままもたもたしていれば、外の暴れ馬も鎮圧されてしまう。そうなればさすがのティンバイでも多勢に無勢だ。
焦りから、少々勇み足になった。
曲がり角をろくに確認もせずに曲がる。
次の瞬間だ。
なにかがティンバイの目前をかすめた。
バンッ! と、音がして壁に小さな穴が開く。その穴からパラパラと壁だったものが崩れているのが見えた。
――撃たれた。
とっさにティンバイは後ろをついてきているシャオシーを突き飛ばした。
そして自分も身をかがめて廊下の先を見る。
長い廊下だった。そのはるか向こうにケツアゴの男が見える。
腐っても一つの馬賊団の長だ、なかなかの腕前をしている。しかし当たらなければなんの意味もない。
ティンバイは両手にモーゼルを持ったまま、身をかがめて駆け出した。
少しでも相手から狙われる面積を減らそうという作戦だ。
ケツアゴの男は向かってくるティンバイを迎撃しようと、余裕の表情でモーゼルを撃つ。
しかし、ティンバイには当たらない。
撃たれた瞬間に、身をかわしているのだ。ジグザグと走りながら、狙いをつけにくくさせることも忘れない。
最初こそ余裕だったケツアゴの男も、ティンバイが近づくにつれて、顔色が悪くなる。みるみる青くなっていく顔は、なかなか見ものだったが。ティンバイは投げ銭をくれてやるようにモーゼルを撃つ。
男が倒れるように身をかわした。
まさかと思ったが、また避けられたのだ。
「くそっ! なんなだ、お前は!」
依然としてまだケツアゴの男とは距離があった。
プライドなどまったくないのか、ケツアゴの男はまた逃げる。ティンバイはそれを追おうとして、しかしその前に後ろを振り返る。
シャオシーがひっくり返っていた。
「大丈夫だったか?」
「う、うん。オイラ、体が頑丈なのだけは取り柄なんだよ」
「そうか」
「それにしてもあいつ、なんでヅォさんの縦断を避けられるんだ?」
「分からねえな。完璧に当たるっていうタイミングで撃ってるはずなんだが。あれは……もしかしたら俺様が撃つ前に避けてるのかもしれねえな」
「そんなことできるの!?」
「ああ、俺様の義兄弟もたしか同じようなことができた。いわゆる達人技だ。相手の行動の瞬間に、そのオコリを見て相手の攻撃の当たらない場所に動いている……これは骨が折れそうだぜ」
とはいえ、あのケツアゴの男がそれほどの武術の達人には見えなかったが。
なにかしら、天賦の才能――つまるところスキルを持っているのかもしれない。
「どうしよう、弾が当たらないんじゃあ勝ち目がないよ」
「はんっ、バカ言っちゃいけねえ。俺様を誰だと思っている」
「張天白だろ? もう聞き飽きたよ、その冗談」
ティンバイはすがめた目でシャオシーを見た。
少しだけ、呆れている。
「なんだお前、まだ俺様のこと偽物だと思ってるのかよ」
「べつにオイラはヅォさんが本物でも偽物でも良いよ。オイラのこと助けてくれるんだから」
「バカやろう、せっかく助けてもらえるんなら本物の方が良いだろ。つまり俺様は本物の張作良天白ってわけだ」
とにかく行くぞ、とティンバイは逃げたケツアゴの男を追う。
今度は先程のようなヘマはしない。曲がり角のたびにその先に意識を向けて待ち伏せがないか探る。
しかし相手はいない。
そうこうしているうちん、屋敷を一周してしまった。この屋敷は『ロの字型』をしており、長い廊下をあるき続ければ元いた場所に戻ることになるのだ。
「どこにもいなかったか」
見失ってしまったようだ。
「ごめん、ヅォさん。オイラが足手まといになったから」
「べつに構わねえさ。それよりもこの屋敷の主人を――」
その瞬間、ティンバイの背後で扉が開く音がした。
ティンバイはすかさず振り返る。
一瞬、目があった。
ケツアゴの男だ。部屋に隠れて背後をとれるタイミングを狙っていたのだろう。
こすいやつだぜ、とティンバイは怒りを込めて手を振り上げる。それと同時にモーゼルを撃った。
相手もほとんど同じタイミングでモーゼルを撃つ。
結果として、互いの弾は双方に当たらなかった。
ティンバイの魔弾を男はよけたし、男の銃弾はまるでそうなることが必然であるようにティンバイを避けるような軌道でとんだ。
こうなることは、ティンバイは予想していた。
しかし男は違う。
まさかこの至近距離で自分が弾をはずすとは思っていなかったのだろう。
「なっ!」
その驚きの声を発する間、男の体は硬直していた。
そこへすかさずティンバイは手をのばす。男の服の襟元をつかんだ。
「つかまえたぜ」
ケツアゴの男を投げ飛ばす。こうすれば避けるだのなんだの、そんなものは関係ない。
巨体が宙を舞う。背中から一気に地面に落ちる。
そしてティンバイはダメ押しとばかりに男の肩をモーゼルで撃ち抜いた。
決着はあっけなかった。
これ以上、男の方も抵抗する気はないようだった。
ティンバイは倒れている男を蔑むように見つめた。
「手間をかけさせやがって」
「ク、クソッ! お前はなんなんだ!」
男は撃たれた肩を手で抑えたまま、ティンバイを睨む。
「俺様がなにか、だと?」
「こんなことしてただで済むと思っていうるのか! 俺たちはあの張天白の部下だぞ!」
その言葉を聞き終わらないうちに、ティンバイはもう一度モーゼルで男の肩を撃つ。先程撃った場所と寸分違わず同じ位置を。今度は手で抑えているぶん、男の手の甲にも穴が開いた。
「あいにくとお前を俺様の部下にした覚えはねえ」
「な、なんだと――」
男はなにかに気づいたようだ。
「そ、その欠けた耳はまさか……」
「今さら気づいたのか、お前さん、モグリだな」
「あんた、張天白か!」
男の目が、憧れと恐怖をないまぜにしたような複雑なものになる。
しかしティンバイの表情は、どこまでも冷たく。まさしく人殺しのそれだった。




