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751 石門の先へ


 石門の前には見張りの男がたった1人だけ。


 ティンバイはまるでそこらへんを散歩しているような足取りでその男の前に立った。


「いっ――」


 男が目を見開く。


 人間、いきなりのことにはまともな対応ができないものだ。本当なら声の一つでも出して仲間を呼ぶべきだっただろう。


 あるいはそうでなくても、目の前に現れた人間が敵がどうかの確認をとるべきだった。


 もっとも、そのどちらをしていたとしても、男の運命は決まっていたのだが。


「あばよ」


 と、ティンバイはつぶやきモーゼルを抜いた。


 なんのためらいもなく引き金をひいた。


 音はしなかった。


 ティンバイの魔弾は特別性だ。その気になれば音すらも出さずに魔力だけで撃ち出すこともできる。しかし威力は据え置き。


 光だって、いつものド派手な花火のようなものではなく蛍火のように小さいものだ。


 脳天を撃ち抜かれた見張りの男は、自分に何がおこったのか理解できなかっただろう。それくらい一瞬の出来事だったのだ。


「こ、殺しちゃったの?」とシャオシーが不安そうに聞いてくる。


「ああ、そうだ」


「そっか……」


 シャオシーは死体に手を合わせて、少しだけ申し訳無さそうな顔をした。


 もしかしたら人の死を見て復讐などやめにしたいと言い出すかもしれないと思ったが、どうやらその心配はなさそうだ。


 シャオシーはティンバイに期待するような目を向ける。


「すごいね、いまの」


「だろう、魔弾だ」


「魔弾だって? あはは、ヅォさんは冗談ばっかりだ」


 魔弾といえばもちろん『魔弾の張』こと張天白を想像するだろう。


 普通に考えれば、その魔弾を使ってみせた彼こそが張天白だと分かるのだが。どうしても、こんな田舎の村に張天白がいるとは思えないシャオシーは、ティンバイの冗談、あるいは一発芸のようなものだと思ったのだろう。


「ヅォさん、これなら本当に張天白を名乗れるよ」なんて言ってくる。


「そうかいそうかい、それなら帰ったら劇団にでも入るかな。なんせ張天白物の舞台は大人気だからな」


 美形のティンバイだ、本当に舞台に立ったとしても映える風格はもっている。


「中に入れるかな」


「べつに鍵はかかってねえようだな、開けるぞ」


 石門は重たかった。本当なら二人がかりで開けるようなものだろう。しかしティンバイはそれを平気な顔をして開けた。一見、線は細いように見えてその中にはぎっしりと筋肉のつまった体だ。厚着の服を脱いでしまえば、誰もが感嘆のため息を吐くほどの肉体をしている。


 石門を開けると、森林が広がっている。


 荒野の中に森林がある、というのはけったいな話だ。だからこそ、裕福な孫家ソンケがこの場所を自らの屋敷にしたのかもしれない。つまりこの屋敷の場合、先に森があったわけだ。


 地面は不思議と湿っていた。


「地下水、か……?」


 いや、いまはそんなことどうでもいい。


「ヅォさん、なんかここ、不気味だよ」


 おそらくこの鬱蒼と茂る森、昼と夜では様子が大違いなのだろう。


「なに、怖がるな。ただの木だ。それよりどこから敵が出てくるか分からねえぞ、意識を張り詰めていけ」


「う、うん」


「それとモーゼルは手に持つな、しまっておけ」


「どうして?」


「慌てて撃ってもろくなことにはならねえ、それなら、そいつを撃つのは最後の最後、お前さんの復讐を果たすそのときだけにしておきな」


 そこまでの露払いは俺がやってやる、とティンバイはシャオシーの頭に手を乗せた。


 2人は夜の木々の間を歩いていく。しばらくすると屋敷が見えてきた。


 いかにもな豪邸である。


 基本的にルオでは地方財閥というものが力を持っている。金で馬賊を集めて、それを兵隊にしてミニマムの国家のようなものを作り上げることすらある。広義ではティンバイもそうしてのし上がってきた口だ。


 こういった地方財閥に共通することだが、とにかく大豪邸に住みたがるのだ。


「すっげえ家だよ。ヅォさん、どこから入る?」


「それよりまず、馬小屋はどこだ?」


「馬小屋?」


 どうしてそんなことが気になるの、とシャオシーは首を傾げた。


「なあに、ちょっと騒ぎを起こすだけよ。本当のところいえば火でも放てば楽なんだがな、それじゃあ中にいる人間を助けられねえ可能性がある」


「騒ぎを起こして……つまりそれに便乗して中に入るってこと?」


「ああ、そうだ。シャオシー、お前は察しが良いな」


「えへへ」


 褒められたシャオシーは嬉しそうだ。


 こっちだよ、とティンバイを馬小屋の方へと案内する。


 馬賊の商売道具たる馬たちは、むしろ屋敷の入り口よりも厳重に警戒されているようだった。馬小屋の前には馬賊が4人、待機している。


 とはいえ、そいつらは真面目に見張りをしているわけではない。酒盛りをしながら、ぐだぐだとダベっているだけだ。


「お前はここに隠れてな」


「う、うん。でもヅォさん、気をつけてね」


「はんっ、俺様を誰だと思ってやがる」


 思わず言ってしまったティンバイだが、シャオシーは首を横に振る。


「誰だって、だよ。危ない目にあいにいくんだから。気をつけて欲しいって思う」


 ティンバイはその言葉に、胸がいっぱいになる思いがした。


 いままで、戦いに行く前にこんなことを言われたことがあっただろうか?


 誰もがティンバイが勝つことが当然だと、死地に送り出した。もちろんティンバイだって期待に答えた。そうやって彼はここまでの立身出世を果たしてきたのだから。


 戦いを恐れたことなど、これまで一度もない。


 けれど、こうして優しい言葉をかけてもらって少しだけ思った。


 ――ああ、こういうことを俺様だって言ってほしかったんだ。


 勝って当然、よりも、勝つとしても気をつけてね。そう言われたいものだ。


「お前は本当に優しい子だな」ティンバイは微笑む。「けれどな、大丈夫だ」


 しかし、その微笑みを打ち消すように険しい顔をする。


 これから殺し合いに行く男が、にやけた顔をしているわけにはいかないのだ。


「シャオシー、覚えておけ。真の馬賊ともなれば、モーゼルの弾なんかには当たらない。弾の方から恐れて逃げていくもんだ」


 そんな迷信を信じている人間がこの夜に何人いるだろうか。


 しかし、ティンバイの真っ直ぐな瞳で見つめられて、シャオシーも素直にそれを信じた。


「うん、分かった」


「見てな、あの腐れ外道共は馬賊じゃねえ。俺様こそが、真の馬賊だ」


 弱きを助け強きをくじく。


 そんなお題目を本気で唱えるからこそ、彼はこのルオの国で大人気の張天白なのだ。


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