749 ティンバイの過去2
暗い部屋の中で、ティンバイはおぞましいほどに憎い男の枕元に立った。
このまま殺すことは容易い。しかし寝ている男をただ殺しましたでは、ティンバイの気は晴れない。
それになにより、ティンバイは復讐者であって暗殺者ではない。ある程度の矜持があった。
「おい、起きやがれ」
ティンバイはベッドで寝る男の布団をはぎとり、そのたっぷりと肥え太った腹に踵落としをお見舞いした。
ぐえっ、という下品な声を上げて男は飛び起きる。
いったい何がおこったのか分からないのだろう、あたりを見回す。しかしあたりが暗すぎるせいで部屋の中がよく見えていないようだ。
ティンバイはモーゼルを構えて、待った。
男の目が慣れるのを。
やっと男は状況を理解したのだろう。
「な、なんだ貴様は!」
とティンバイにいう。
「分からないか?」とティンバイはせせら笑う。
「な、なにがだ!」
「お前さんを殺しに来たんだ、俺は」
そこでやっと男はティンバイが構えたモーゼルに気づいたのだろう。縮み上がって逃げ出そうとする。
その男の背中に向かって、ティンバイは語りかけた。
「俺は俺の愛する女をお前にさらわれた」
「な、なんだと」
「俺はその女を連れ戻しに来た。リンシャンだ」
「その女はもうここにいない!」
「ああ、知っているさ」
ティンバイはモーゼルの引き金に力を込めた。
しかし撃つその瞬間に、少しだけ迷いがしょうじた。さしものティンバイも初めての人殺しに臆したのだ。
それはティンバイにとって、一生の不覚となった。
男は枕元に自分のモーゼルを置いていた。もしものときの護身用だろう。
そして今が、そのもしものときだった。
男はモーゼルを引くことに、なんのためらいもなかった。とうぜんだ、これは完璧な正当防衛である。自分を殺そうとしてくるやつ相手に容赦する人間は少ないだろう。
モーゼルが爆ぜる。
ティンバイはとっさに顔を引いた。
耳に痛みを感じる。
撃たれたのだ、と気づいた瞬間、ティンバイは自らのモーゼルの引き金を連続で引いた。
音はしなかった。かわりに、モーゼルの火花ではない、色とりどりの花火のようなものが弾ける。しかしその綺麗な光はたしかな殺傷力をもっているようで、男は蜂の巣になった。
「くそ、やられた」
ティンバイは息を切らせながら、自分の耳を触ってみる。
手にべっとりと血がついた。
耳がなくなっているかと思ったが、どうやらそんなことはないようだ。欠けているだけ、その事実に安心しながらも、痛みには顔をしかめる。
それに気になったのは、モーゼルから放たれた光のようなもの。ティンバイは後年知ることになるが、これは魔力の塊を射出しているものだ。
魔力を大量に持つリンシャンとずっと一緒にいたティンバイだからこそ、彼女の魔力を分けてもらったかのように、肉体が変異を起こしていたのだ。
ティンバイの二つ名である『魔弾』は、このときから確かに彼の力としてあった。
とはいえ、彼がそのことを理解するのはまだ少し後なのだが。
モーゼルの音を聞きつけたのだろう、部屋の外がにわかに騒がしくなってきた。ティンバイはとっさに部屋の鍵をしめる。
そして、自分は窓から外へと飛び出した。
ドンドンドン、と音がする。
「どうかしましたか、弾の音がしましたが!」
護衛の者が慌ててやってきたのだろう。とはいえすぐには扉を開けないはずだ。鍵はしまっているし、中からの返事はない。この状況で扉をすぐに破れる人間はそうはいない。
ティンバイは冷静にそう考えて、走り出す。
しかし、このときの彼は少々運が悪かった。
門の方から男がモーゼルを構えてやってくる。先程の音は外まで聞こえていたのだろう。
まずい、と思った。
しかしもう逃げも隠れもできない。
鉢合わせしてしまった。
「な、なんだお前は!」
ティンバイは迷うことなくモーゼルを撃った。
魔弾は吸い込まれるように男の頭に直撃し、顔面を吹き飛ばす。
どうっ、と男はその場に倒れた。完全に死んでいる。
だが自分の射撃の腕前に喜んでいる場合ではない。これで完璧に侵入者のことはバレてしまっただろう。
こうなれば門の方から正面突破を試みる。たしか門には2人しか見張りがいなかった、そのうちの1人はいま始末したから、残るは1人だ。
走るティンバイ。
前から、門にいた見張りの男が立ちふさがるように現れる。
「止まれ!」
と、言われるが、それで「はい、分かりました」と停止するようなバカはいない。
あちらもそんなことはありえないと思っているのだろう。容赦なくモーゼルを撃ってきた。
――まずいか。
直線的な動きの中で、どうにかしてティンバイは横に飛び、モーゼルの弾を避けようとした。
だが、そのとき不思議なことが思った。
ティンバイは避けていない、というよりも厳密にはうまく体が反応しなかった。だというのに、弾の方から勝手にティンバイの体を避けていく。
冷静に考えれば、相手が単純に弾を外しただけだろう。
しかしこのときのティンバイは別のことを考えた。
――俺には弾は当たらない、弾だって俺のことを避けていくのだ!
昔どこかで聞いたことがあった。真の馬賊ともなれば、弾の方から恐れて人を避けていく、と。そういう話を聞いていたから、このときのティンバイも素直にそう思った。
「タアッ!」
と、ティンバイは気合を込めてモーゼルを撃つ。
こちらの弾は確実に命中した。
背後からは男たちが追ってくる。慌てている様子だ。
ティンバイはしかし振り返ることもせずに走り続けた。何度か撃たれたが、とうぜんのように当たらない。これ以降、ティンバイは一度もモーゼルの弾を受けたことがない。
後にも先にもただ一度、リンシャンをさらった男に耳を撃ち抜かれた時だけなのだ、ティンバイがモーゼルの弾を受けたのは。
これから先、ティンバイは何人もの人を殺めてきた。
それはティンバイにとっての正義がそこにあったからだ。
そして、ティンバイは義賊としてその名をルオ中に知らしめていった。そうすることによって、リンシャンもいつかティンバイのことに気づいていくれると、そういう気持ちもあった。
もちろん、ティンバイの方からもリンシャンを探した。
そして結果的にリンシャンにも再開できた。もっとも、それはティンバイの望むかたちではなかったのだが。
しかしティンバイは幸福だった。リンシャンの最期のときに立ち会えたことが。
そのために、これまで走り続けてきたのだとすら、思っていたのだった。




