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740 エピローグ3


 あくる日、俺は空が明るくなるのを見計らって家を出た。


「なんて清々しい朝なんだ……」


 シャネルは部屋でまだ寝ていた。昨晩はお楽しみだったからね! きっと疲れているのだろう。俺も疲れている。


 けれど変に目がさえている。


 だから俺はギルドへ行くことにした。


 なぜって?


 そりゃあもちろん、ステータスの更新をするためだ。


「いままで色々なことがあったからな」


 きっと長いこと記帳をしていない預金通帳のように、ステータスがたくさん変わっているだろう。


 それに……えへへ。昨晩のこともあるしな。


 俺はステータスの開示に必要なギルドカードと、お金を持って街へと繰り出す。


 ギルドの場所は覚えている。パリィの街は広く、まだまだ全部覚えるのは無理だが、よく行く場所くらいは俺も理解しているつもりだ。


 もうこの異世界に来た頃の俺とは違う。1人でなんでもできるのだ。


 歩いていると、たまたま知り合いにあった。ミナヅキくんだ。


「よぉ」と、俺は手を上げて挨拶する。


 ミナヅキくんは眠たそうな目をして家の前でタバコを吹かしていた。


「おう、パリィに戻ってたのか」


「まあね。早起きだね、もしかして今から寝るの?」


 ミナヅキくんは俺と同じ、転移者だ。


 こちらの世界では治療師をやっている。俺よりもずいぶんと長くこちらの世界で時間をすごしているようで、その髪には白髪も混じっている。


「歳を取るとどうもな、朝が早くなる。寝るにも体力がいるってことだな。そっちはどうした? 肌ツヤが良いな」


「はっはっは、分かる?」


「若いやつは良いなぁ、ったくよぉ」


「そう言わないで。ミナヅキくんもまだ若いさ」


「世辞でも嬉しいよ。どこに行くんだ?」


「ギルドまでちょっとね」


「仕事か、頑張れよ」


 うん、と言って俺たちは別れる。あまり話し込んでいても迷惑だと思った。好き勝手に仕事したり休んだりできる冒険者と違って、ミナヅキくんの仕事は忙しいからね。


 それからしばらくまた歩いて、俺はギルドへと到着する。


 ギルドの建物は静かだった。


 もう開いているはずだが。おそらく不真面目というか、ならず者が多い冒険者たちのことだろう。こんな朝早くからギルドへ来てお仕事お仕事とあくせく働く人間は少ないのだ。


 ほとんど貸し切りのギルドへと入る。


 受付のお姉さんは暇そうな顔をしていた。


「おはようございます」と、俺は挨拶する。


 受付のお姉さんは美人だ。いつもなら話しかけることもできないような俺だが、今日に限っては違う。なんだか余裕だ。


「はい、おはようございます。クエストの受注ですか?」


「いいえ、ステータスを」


「はい、了解しました。では料金、1万フランを」


「どうぞ」


 俺は受付のカウンターにコインを置いた。それをお姉さんがとって、少し確認。トン、トンと叩く。何をしているのかと思えば、贋金か調べているのだ。


 俺は苦笑いする。


 まあ、冒険者なんてろくな仕事じゃないからな。贋金を使うような不届き者もいるだろう。


「ではこちらの部屋へ」


 本物だと分かってもらえたのだろう、俺はクリスタルのある部屋へと通される。


 久しぶりだな、ここへ来るのも。最後に来たのはもう何年も前のことだ。


「もうやっても良いの?」


「どうぞ」


 俺はギルドカードをクリスタルにかざした。


 そこから青白い光が流れてきて、俺のギルドカードを書き換える。


 その作業はすぐに終わった。


「よしよし、これでできたね」


「お疲れ様です」


 俺はすぐにステータスを確認する。前に見たときよりもかなりステータスの値が高くなっている。それにスキルも。五感全ての『女神の寵愛』があって豪華だ。


 それよりも、それよりも俺が気になっているのは……。


 ギルドカードの隠し機能をつかう。


 ヒョイヒョイ、とギルドカードを動かして。


 そして俺の名前が出る。


『榎本真紅』


 いい名前だね、我ながら。あの親のことは嫌いだが、この名前のことは好きだ。


 そして、この名前の横に前まではあった文字がない。


 その文字とはアルファベットの『D』である。


 この文字の意味、それは童貞である。それがなくなっているということはつまり?


「はっはっは!」


 俺は嬉しさで大笑いする。


 受付のお姉さんが不気味なものでも見るような顔をする。


 けれどそんなことは気にしない。


 だって俺は卒業したのだから! もうDTとは言わせない!


「あの、なにか他にしていかれますか?」


 もう帰ってくれ、という感情が顔色から伝わってくるようだ。


 俺はきっと危ない人間だと思われているのだろう。


「いえ、もうこれで良いです。帰りますんで、それじゃあ」


「は、はい。またお待ちしております」


 プロだなぁ。


 たぶん引いてるのに、笑顔で接客してくれる。なんて素晴らしい人なのだ。


 ま、俺の恋人はもっと素晴らしいんだけどね。


 俺はルンルン気分で家に帰る。


 家に帰るとシャネルが料理を机の上に並べていた。


「おかえりなさい」と、シャネル。


「た・だ・い・ま」


「ご機嫌ね。飲んでる?」


「まったく」


「そう。じゃあ飲まれます? 旦那様」


 その呼び方が正しいかどうかは分からない。たぶん正しくないけど、まあ良いかなと思えてしまう自分がいる。


「飲んでいいなら飲むけれど」


「アル中よ」


 誘っておいてなんだそれは。まあ、良いのだけど。どうせ俺はそんなもんだよ。


 ダメ人間。


 それが俺。


 たぶん辞書でダメ人間ってところを調べたら出るさ、榎本真紅って文字が。


 でもそんな俺にも素敵で理解のあるパートナーがいます!


「食べましょう」


 食卓には朝食が並んでいる。パン、そしてチーズ。あとはスクランブルエッグに、ワイン。ワインは赤だ、俺は赤が好きだ。


 スクランブルエッグは俺が作って欲しいと言ったものだ。これも好き。作るのも簡単だし、美味しい。作り方は卵を上手に焼いてかき混ぜるだけ、簡単だね。けれどシャネルはよく失敗する。消し炭にしてしまう。


 今日のは、ちゃんと形をたもっているようだが。


「いただきます」


 俺はシャネルの並べた料理を口に含む。


 覚悟はあった。


 だってこれはシャネルの作ったものなのだから、見た目はよくても味は悪いに決まっていると思っていた。


 けれど、どうだ?


「あれ……?」


「どうかした」


「美味しい」


「あら、ありがとう。褒めていただけて光栄だわ」


「いや、本当に美味しいよ!」


 ただのスクランブルエッグだけど。


 けれどシャネルが作ってくれたんだ、まともに、普通に、通常に!


 これは感動だ!


 俺は朝ごはんをぺろりと平らげて、ワインを飲む。うん、これも美味しい。


「今日の朝食はなかなか上手くできたわ」


「うん」


 シャネルは褒められたことが嬉しいのか、ニコニコと笑っている。また何か作るわね、と楽しそうだ。いままでさんざんシャネルの料理をバカにしてきたが、これからはそれも改めなければいけないようだ。


 シャネルは微笑んだまま、口を開く。


「ねえ、シンク。私も成長したでしょう?」


 そう言われて、俺は素直に頷いた。


「ああ」


 そして俺は考える。


 俺は成長しただろうか?


 した……よな?


 童貞じゃなくなったし。


 いや、それって成長か? 分からないけど。


「これからも、お互いに一緒に成長していきましょうね」


「うん」


「きっと2人でなら、1人とは違う成長も見込めるわ」


 その通りだと思った。


 1人でできる成長もあれば、他人によってうながされる成長もある。


 けれど、元の世界にいた俺はそんなことも知らなかった。


 ずっと1人で引きこもっていただけの俺は。


 俺は変わった。


 1人でなんでもできるようになったし、2人でいろいろなことができるようにもなった。


 それは間違いない、成長だ。



 ――――――



 かつて俺はその手にいろいろなものを持っていた。けれどそれは全てこぼれ落ちてしまった。俺はこぼれ落ちたものだけを恨めしく眺めていた、長いこと1人で。


 本当のところを言うと、俺の手の内にはまだ残っているものがあった。それは優しさとか、希望とか、つまり人間の強さに関わるものだ。


 けれど俺はそれに気づかなかった。


 気づかせてくれたのは俺のパートナーだ。


 俺は、俺の手からこぼれ落ちたものに興味をもっていない。だって代わりにたくさんのものを掴んできたのだから。


 時間は未来へと進む。過去へと戻ることはありえない。そして止まることだってありえない。まるで流れる大河のように、たくさんの人の思いを乗せてこの世界は回り続けるのだ。


 あるいはその流れとは様々な人の意思の集合体のことなのかもしれない。したがって誰か個人の意思によってこの流れが歪められることはない。そんなことを人間にはできないのである。


 時は流れ、俺はその流れに身を任せる。もしも他人がそんな俺を見たらつまらないと言うかもしれない。男たるもの流れに逆らってでも我を通せと、そうお叱りを受けるかもしれない。


 けれど、良いのだ。


 俺は自己と他者が混ざり合って作り出す流れの中で、せいぜいゆっくりとした時間をくつろいでやる。


 1人ではない、彼女と一緒に。


 そうしていつか、その流れの中に飲まれて、消えていくのだろう。


 けれどもしかしたら、そうはならないかもしれない。のっぴきならない事情により、俺はまた頑張る羽目になるかもしれない。


 けれど大丈夫。そんなときでも俺にはパートナーがいるのだから。


 1人では無理だろう。この流れは1人で乗るには早すぎるし、危険だ。


 けれど2人なら? 俺はきっと誰もが感心するほど上手に流れに乗ることができる。


 最後に宣言しておく。


 俺が手に入れたものの中でいっとう素晴らしいもの。それはシャネル・カブリオレだ。


 だから俺は一生これを手放すことはしないだろうし、もしかしたら手放そうとしてもあちらからしがみついて離れようとしないかもしれない。


 それはどのような激流の中であっても、だ。


 だから俺はこれからもずっと、この流れの上で平気な顔をしているだろう。いつまでも、どこまでも、絶え間なく前へ前へと流されながらも。



これにて本編終了です。

明日は久しぶりのステータス更新

その後、短編を二本書いてこの小説を完結とします。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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