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739 エピローグ2


 この日の俺は気合が入っていた。


「よし……っ!」


 今日で全てが終わる。


 いいや、始まるのだ。


 空が茜色に染まっていた。その光が路地裏にまで暖かく差してくる。

今日の天気は素晴らしい。秋晴れの空である。こういう日は、しっぽりと夕日を見ながらワインを飲むに限る。


 が、今日の俺はシラフだ。


 酒で誤魔化して、事に及ぶような情けない真似はしたくなかった。


 俺の手には雑貨店で買ってきたあれやこれやといったものがある。全て効能の怪しい精力剤だった。


「せめてエナジードリンクでもあれば良かったんだけどさ」


 もちろんこの異世界にそんなものはない。


 もしかしたらそういうものを作ったら売れるのではないかと思った。が、俺に商売の才能はきっと存在しないので、変に手を出さないほうが良いだろう。


 俺は、裏通りに差す夕日の影を踏まないように歩く。できるだけ明るい、日の当たる道を。


 ワクワクしている。


 し。


 ドキドキしている。


「シャネル……」


 と、ここにはいない彼女の名前を呼ぶ。それだけで心臓が爆発しそうになった。


 今日、俺はシャネルとやる。


 なにをやるって?


 そりゃあ、あれだ。あれ。


 あれ?


 どれ?


 それ!


 俺がいままで一度もやったことがない行為。


 みなさん待ちかね、俺が一番お待ちかね、ちゃんと避妊具はお持ちかね?


「これが……俺のエンディングだ!」


 1人で騒ぎながら、家路を急いだ。


「ふぉっふぉっふぉっ」


 すると、路地裏に不気味な笑い声が響く。


 見ればタイタイ婆さんがアパートの前に占い用の机を広げていた。今日もここで客をとっているのだろう。


 いちおうタイタイ婆さんは俺たちの住むアパートの管理人だ。どちらが本職かは知らないが占い師もやっている。その正体は『不老不死』のスキルを、女神ディアタナの手下である。


 とはいえ俺たちと敵対していたわけではなく。むしろこれまで何度もありがたい助言をしてくれた。俺はこの年齢不詳の老婆のことが嫌いではない。


「タイタイ婆さん、どうも」


「よう無事で帰ったな」


「うん、まあね」


 そういえばジャポネに行く前にも会ったのだった。あのときはアイラルンもまだいたな。


「その様子では、勝ったようじゃな」


 どれくらい知っているのだろう、俺たちの事情のことを。けれどディアタナとつながりのあった人だ。かなりのことを理解しているのかもしれない。


「ああ、なんとかね」


「それは良かったのう。お主はまっこと、偉い人間じゃ」


「そう褒めないでよ」


「ときに、今晩はお楽しみかね?」


 なんてこと聞くんだ、この婆さんは。いや、まあその通りなんだけどさ。


 俺はなんと答えて良いのか分からずに、曖昧に笑った。


 まさか、あんまりうるさいと他の人たちに迷惑だとでも言われるのかと思ったら、違った。


「お主が持っとるそれ、なんじゃ?」


「え? えーっと、イモリの黒焼きとか、ミイラの粉末とか、なんかやべえくらい甘いチョコレートとかだけど?」


「つまり、そういう事に備えて買ってきたわけじゃな」


「まあ……うん」


 え、なにこれ? 俺いま何を聞かれてるの? もしかしてこれがセクハラというやつでしょうか?


「悪いことは言わん。やめておきなされ」


「えっ?」


「お主の未来が見える」


 そこに座れ、とうながされる。べつに急いでいるわけでもないので俺は素直に腰を下ろした。


 辻占いの椅子は、少し座り心地が悪かった。脚の部分が低く、座っても窮屈なのだ。


「タイタイ婆さん、悪いけど俺いまお金ないよ。これ買うのにけっこう取られたから」


「ふむ、痛い出費じゃな」


「でしょう? でも高い方が効果ありそうだからさ」


「まあ、効果はあるじゃろうな」


「本当!」


 そりゃあ嬉しい。これでシャネルと……むふふ。


「しかしのう、効果がありすぎるんじゃ」


「と、言いますと?」


 タイタイ婆さんは顔をしかめて、言う。


「みこすり半じゃ」


「み、みこすり半!?」


 なんか聞いたことあるぞ、その言葉! ちょっとエッチな言葉だった気がする。それってつまりその、3回こすったくらいでお終い的な……。


「元気が出すぎるというのも考えものじゃな」


「……ですね」


 どうしよう、これあんまり食べたりしない方がいいかも。


「どれ、こっちで処分していおいてやろう」


「食べるんですか?」


「この歳になると精のつくものが欲しくなるんじゃ」


 少し惜しい気はしたが、自分で使えない以上は人に上げるほうがマシか。俺はせっかく買ったものをタイタイ婆さんに差し出す。


「良い心がけじゃ。変わりにお主にアドバイスを一つやろう」


「なんでしょうか?」


「ま、失敗しても落ち込まないことじゃ」


 それはアドバイスなのか?


 分からないけど。


 まあ、いいか。


「分かりましたよ」


 それから、俺はタイタイ婆さんと少し話をして、自分の部屋へと戻った。


 部屋の中にシャネルはいなかった。どうやら俺が先に帰ってきたようだ。


 今日は、朝からシャネルと別行動をしていた。


 互いに今日がいつもとは違う特別な日であるというのは、なんとなく分かっていた。だって今日は、シャネルの誕生日だったから。


 俺はいまのいままで、シャネルに誕生日があるということを知らなかった。それに、シャネルが何歳かも正確には知らなかった。いちおう、シャネルは俺より1つだけ年上だ。


 シャネルは昨日、俺に言った。


『ねえ、シンク』


『なんでしょか?』と俺はおどけて返事をした。だって昨日はいつもと同じ、普通の日だったからね。


『私、明日がお誕生日なの』


『へえ、いくつになるの?』


『21よ』


 そう言われて、俺は俺のことを考えてみる。


 俺は17でこの異世界に来て、3年くらいの時間が経った。つまりいまの俺は20ということになる。


 おわかり?


 二十歳ハタチだ。


 あっちの世界にいれば成人していたことになるね。そして、20まで俺は童貞だったわけだ。


 ふむ……。


 まあ、そういう人もいるだろう。逆に卒業している人もいるだろう。その割合いはどれくらいだろうか。半分くらい? それともどちらかに偏っている?


 地域や時代によってけっこう差がありそうだけど。でもここで大切なのは俺が未経験だということで。ついでに言えばシャネルも未経験。


『ねえ、明日ね……その、どうかしら?』


『もちろん』と俺は答える。


 シャネルが何を言いたいのかはよく分かっていた。つもりだ。


 さて、この夕日に照らされた部屋で俺が待っていたのはシャネルか、それとも誕生日ケーキか。どっちだろうな?


 分からない。


 どちらもかもしれない。


 そう、どちらも。


 部屋の扉が音もなく開いて、シャネルが入ってきた。


「……ただいま」


 シャネルの声はこわばっている。


「お、おかえり」


 俺の声はうわずっている。


「食べ物、買ってきたわよ」


「ケーキも?」


「ええ、なるだけ甘いのにしたわ。お好きでしょう?」


「大好きだ」


 誕生日のケーキを誰かと一緒に食べた記憶がない。


 誕生日はいつも1人だった。寂しい部屋で、ロウソクに火もつけずに、誰もいない。そんな場所で食べるケーキが美味しいわけがない。


 けれどいまは違う。


「ワインは?」


「いや、まだ飲まない」


「そうね」


 緊張している。本当はいますぐにでもシャネルを抱きしめて、押し倒してしまいたい。


 けれど、そのタイミングが分からない。


「ねえ、シンク」


「な、なんだい?」


「初めてなの」


「お、おう」


「優しくしてね」


 もちろん優しくするつもりだ。シャネルに酷いする必要など何一つないのだから。


 シャネルは机の上に買ったきたものを置いた。


 食事をする、それともお風呂、あるいは私? と、俺を見る。


「どうしたい?」


「貴方が決めていいわよ」


「キミがほしい」と、俺は勇気を振り絞って言った。


 シャネルは頷き、ベッドに寝転がった。


 ゴシック・アンド・ロリィタのお洋服がまるで花のようにベッドの上に広がる。その花弁を一枚々々むしり取れば、シャネルのあられもない姿が見られる。


 見たい。


 けれどそれよりも、まずは体に触りたい。そう思った。


 まずはそう、シャネルの体の一番豊かな部分に手をのばす。そして、柔らかい感触。けれど弾力があって。触ると、反発するからもっと触りたくて。


 ふっ、とシャネルは微笑んだ。


「やっぱりそこを触るのね」


「ダメか?」


 俺は照れくさくなって手を離そうとする。けれどシャネルはそんな俺の手を掴んで、「いいのよ」と力強く言った。


「いいの、どこでも好きな場所を触って。私の全ては貴方のものよ」


 とんでもない事を言うやつだ、と思った。


「なら、俺の全ては?」


「貴方のものよ。私にくれるなら、嬉しいけどね」


 じゃああげるよ、と俺はシャネルの首筋にキスをした。シャネルは俺を抱きしめる。俺はシャネルの体のいたるところを好き勝手に触る。


 それでシャネルは嬉しそうにするものだから、俺は調子にのった。


「シャネル、好きだ」


「ええ、ええ」


「大好きだ!」


「私もよ」


 と、いつもならここらへんで邪魔が入るところ。


 しかし今日に限って、そういうことはない。


 だってアイラルンはもういないのだ。俺たちの復讐は全て終わって、俺は満足、アイラルンは消えてしまった。


 だから俺はもう童貞である必要だってないのだ。


「シャネル……」


 ああ、どうして女の子の体ってこんなに柔らかいのだろう。


「んっ……くすぐったいわ」


 声だって可愛いし、いい匂いだってする。


 素敵だ。


 本当に、素敵だ。


「あのさ、やるよ?」


「そんなこと言わなくてもいいのよ……恥ずかしいじゃない」


 意を決する。


 男になる。


 俺はシャネルのスカートをまくしあげて、まるで雲海のように並み居るパニエをかき分けて、そして彼女の一番大切な部分へと、手を触れる。


 いま、俺は幸せだった。


 シャネルもそう思ってくれていると、嬉しい。


 俺たちはここまで来たのだ、と思った。


 ああ、なんて。なんて幸せなのだろうか。


 そして俺たちは、1つになるのだった――。


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