738 エピローグ1
シャネルがあくびをした。
珍しい。
俺が目撃した決定的な光景を打ち消すように、シャネルは口元に手を当てて「何か見たかしら?」と、聞いてくる。
「キミがあくびをするところを」
と、俺が答えると不満そうに顔をそむけた。
「そういうの、見たとしても見ていないって言ってほしいわ」
「ごめん、ごめん」
じつにくだらない会話、あるいは幸せな会話をしながら、俺たちを乗せた馬車はパリィへと向かう。
ジャポネから帰った俺たちは、すぐにパリィにいるガングー13世のところに行き事の顛末を報告することにした。
いちおう俺たちはドレンスから正式に送られた軍事顧問なわけだから。
久しぶりに戻ったパリィの街は、出てきたときとぜんぜん変わっていなかった。
人々の喧騒も、ジメジメとした裏通りも、瀟洒な人々も、みすぼらしい人々も、この街には何もかもが揃って、この雑多さこそがパーフェクトなのだとでも言わんばかりだった。
俺たちは自分たちの住むアパートよりも先に、宮殿に向かう。
いちおう、ここに来る前に手紙は出しておいた。俺は文字の読み書きができないので、シャネルに文面から全て任せた。「うまいこと書いておくわ」と、シャネルは言っていたので、きっとうまいこと書いたのだろう。
宮殿につくと、俺たちはまず門の前で止められた。
「誰か!」
と言われたので窓から顔をだして「榎本シンクだ」と伝える。すると門の前で見張りをしていた兵士たちが慌てた様子でペコペコと頭を下げてくる。
「榎本さんでしたか!」
なんだか知らないが、好かれているらしい。
そういえば俺、パリィで人気者になっていたんだったか? それが嫌でドレンスからジャポネへと行ったのだが……しばらく時間がたっても、人気は健在みたいだ。
「どうぞ、中へお入りください」
いわゆる顔パスというやつだね。
馬車から降りて、宮殿の敷地内で。
せっかくなので庭園を少し見ていく。こういったドレンス特有の様式の庭園を見るのは久しぶりだった。
「なんというか、帰ってきたって感じがするわね」
「たしかにな」
あまりずっと見ていても時間ばかりがたつので、てきとうなところで宮殿の中へと入る。
ガングー13世の執務室への道は覚えている。なので、俺たちのことを案内してくれようとする兵士に断って、2人で宮殿の中を歩いた。
「ここだな」
寄り道せずに執務室へと到着する。
ノックして、返事をまたずに中へ。ガングー13世は執務室にいた。
「おお、これは榎本さん。よくぞ顔を出してくださいました」
ガングー13世は脂ぎった顔を優しく歪めて、立ち上がり、俺に握手を求めてくる。俺はそれに応じて、「そちらも元気そうで」と、嫌味にならないように気をつけて言う。
「ははっ、最近また少し太りましたよ。初代ガングーだったら、このように贅肉のつく生活はしなかったと思いますがね」
「それだけ平和だということですよ。ドレンスはいい国です」
「そう言ってもらえると嬉しいですよ。ジャポネはどうでしたか? 報告はうけていますが、かなり大変だったと……」
「はい。まあ思ったとおりにはいきませんでしたよ」
「そうですか。少し待ってください。エルグランドも呼びますので」
ガングー13世は人をやってエルグランドを呼び寄せる。そう時間をおかずに、エルグランドは部屋へと来た。
「エノモト・シンク! 帰ってきたのですね!」
「よぉ、エルグラさん」
俺はポケットからゴテゴテの飾りがついた勲章を取り出す。それをひょい、と投げつけた。
エルグランドはもたついた動作でそれをキャッチする。
「なんですか、これ。……って、レジオン・ドヌール勲章ではありませんか!」
「あんたに借りてたからな、返すよ」
「なんて罰当たりな!」
汚れてますし、とエルグランドは騒ぐ。俺は平謝りをした。
「良いわね、勲章って。原価がいくらか知らないけど、あげるだけでみんな喜ぶんだから」
シャネルは男のロマン、というものに興味がないらしい。
俺だってべつに兵隊バッチには興味はないが、もらえれば嬉しいよ。だってキラキラしてるし、誰かに認められたという気がするし。ただ見せびらかすようなことはしないけどね。
「それで、エノモト・シンク。ジャポネではどうだったのですか?」
「それがな――」
俺は大まかな出来事を説明した。
ジャポネに行って、すぐに幕府は降伏をする。無血開城といって、城を明け渡していたのだ。
このため、軍事顧問を必要としていた陸海軍も崩壊。しかし残存勢力が抵抗を続けていることを知った俺たちは、そちらの援軍へと行くことにした。
そして北へ北へと転戦していき、とうとう蝦夷地まで行った。
そこで俺たちは国を造るという一大事業を始めたが、無理だった。新政府軍の戦力は強大で、俺たちは頑張ったのだが、負けた。
そして蝦夷共和国を建国した榎本武揚は死亡。俺たちは命からがら、ドレンスへと帰ってきたのだった。
「まあ、そんなところ」
細部は誤魔化した。
俺が榎本武揚をやっていたという事実は、誰も知らないで良いことだ。
もし榎本武揚が歴史に名を残し、蝦夷共和国が馬鹿げたハリボテの国だと未来の人たちに割られても、俺のことは歴史の闇に消えていくだろう。
「分かりました。エノモト・シンク、報酬は追ってお渡ししますよ」
「うん」
「榎本さん、これからどうしますか?」
これからどうする、と聞かれても。
俺はべつにこれからのことなんてあまり考えていなかった。
ガングー13世は困った顔をしている俺に、提案があるのだと笑う。
「どうでしょうか、ここらで冒険者は廃業にして、我々と共にドレンスをもり立てていくというのは?」
「つまり?」
「貴方にそれなりのポストを用意する、と言っているのですよ。エノモト・シンク。もちろん貴族としての称号も、レジオン・ドヌール以上のものを差し上げます」
「ふうん」
しょうじき、あまり興味はなかった。
シャネルを見る。シャネルもどうでも良さそうな顔をしている。その目は「シンクの好きなようにして」という投げやりなものだった。
俺は少し考えて、首を横にふることにした。
「いや、遠慮しておきます」
「そうですか」と、ガングー13世。
どこか、俺に断られることが最初から分かっていたような感じだ。
「今回のことで人の上に立つことの大変さが分かりましたよ」
なんのことですか、とエルグランドは首を傾げて訳を聞こうとするが、俺は笑って誤魔化した。
本当に、タケちゃんはすごいと思う。それに目の前にいるガングー13世だった。
俺はたぶん、そういう器じゃないから。
気軽に冒険者をやっているのが性に合っている。
報告も終わったということで、俺たちは宮殿を出た。なぜかエルグランドが外までついてきた。
「貴方はすごいですね」と、褒めてくれる。
「ん?」
「貴方ほど、闘争に彩られた経歴の持ち主はそういないでしょう。それだというのに、貴方は何も求めない」
「何も求めないって……」
「地位、名誉、金。その他もろもろ。貴方はなんのために戦っているのですか?」
本当に褒められているのかな?
どこか呆れたような、それでいて憧れるような調子がエルグランドの声にはある。
「なにって……そりゃあ自分のためだよ」
俺はこれまで、前に進むために戦ってきたんだ。それは全て自分のためだ。
それに、何もいらないなんてことはない。
もらってるさ、最高の報酬をな。
俺は隣にいるシャネルを見た。
そう、幸せの青い鳥というやつだ。幸福はいつだって自分の直ぐ側にある。
俺はエルグランドに今度また酒でも飲もうと言って、宮殿を後にした。
来るときは馬車だったが、帰りは歩くつもりだった。ここからアパートまでは少しあるので、途中で面倒くさくなって馬車を拾うかもしれないが。
けれど、いまは歩きたい。
シャネルがそっと俺の腕に、自分の手をからめてきた。
まるで恋人のようだ。
いや、まるではおかしいか。事実、俺たちは恋人なのだ。
「ねえ、シンク」
「なんだ?」
「私もけっこう頑張ったのだけど」
はて、どういう意味だろうか?
「そうだな」
「報酬がほしいわ」
そう言って、シャネルは俺の耳をいきなり噛んだ。
顔が赤くなる。まわりで見ている人はいないだろうが、視線が気になった。
「後でな」と、俺はしどろもどろに言った。
シャネルは妖艶に笑っていた。




