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723 キモチワルイ


 ――キモチワルイ。


 その言葉を言われたとして、昔の俺だったらどうなっただろう。


 きっと冷静ではいられなかっただろう。動悸どうきがして、目がチカチカして、息があがって。通常の状態ではいられなかったはずだ。


 けれどいまの俺は違った。


「ねえ、貴方って女の人に耐性がないんですね」


「…………」


 俺は何も言わなかった。


 ディアタナはつまらなそうに鼻を鳴らすと、俺から離れる。そして、まるで俺を憐れむように微笑みながら七支刀をくるくるとバトンのように回して俺を挑発した。


「朋輩は一途なんですわ!」


 アイラルンからの援護かよく分からない言葉。


「一途? 嘘おっしゃい。意気地がないだけでしょう。他の女性に目移りしても、そちらにちょっかいを掛ける甲斐性すらない。シャネル・カブリオレが相手だったから上手くいっているだけで、他の女だったら貴方のことなんて見向きもしないわ」


「そんなことありません、朋輩は素敵な人ですわ!」


 キモチワルイ、という言葉が気に入らない。


 とはいえ俺の心を乱すほどではない。


 なのに忘れようとしても忘れない。


 その言葉を繰り返し俺にぶつけてきたあの女は――俺が殺した。


 木ノ下。


 教室でも目立つ存在で、ちょっとギャルっぽいところもあって。のりが軽くて、男友達が多くて、女子の中でもボスみたいな立場だけども、裏では少し嫌われていたような女の子。


 あの女は俺のことを嫌っていた。


 けれどそれは本当に俺を嫌っていただけなのだろうか? 誰でも良かったんだろう? 本当は誰にだって『キモチワルイ』って言葉を投げつけて良かったんだろう? 俺がキモチワルイからキモチワルイと言ってきたわけじゃなくて――。


 女性不信。


 たぶんいまでもそれは治っていないだろう。


 シャネルのおかげで少しばかりマシになったとしても、その根幹は治療されていないのだ。


 だけど――。


「それで良いじゃないか」


 俺はつぶやく。


「なにか言いましたか? 喋るならはっきり喋ってください」


「それで良いんだ。俺は素敵な人間じゃなくても良い。意気地なしの甲斐性なしでも良い。俺にはシャネルがいる――いまさらそのことにウダウダと悩みたくはない。彼女はいつでも、いつまでも俺のそばに居てくれる人だ!」


「それはバグだから、ですよ」


「いいや、違う! シャネルは一個の人間だ! あんたみたいな女神からしたら違うかもしれないが、俺は知ってる!」


「なにをです?」


「あの子にだって感情があって、愛情があって、悩んだり、苦しんだり、嫉妬だってする!」


「それすら全てがバグですよ。貴方を愛してくれる女性なんてこの世にはいません」


「シャネルがいる!」


 どうしてこの女神はこんなに酷いことを言うんだ。


 なにが目的なんだ?


「朋輩、あの女神の言葉には耳をかさないでくださいませ! あの女は朋輩をゆさぶって、その存在を揺らがせようとしているのです!」


「存在を揺らがせる?」


「そうです!」


 つまり俺を精神的にまいらせようとしているのか。


 そこで俺は何かを察する。


 ――もしかしてディアタナのやつは俺を直接的に殺すことができないのか?


 やつの攻撃が全て俺に対して手加減をしているものではなくて、そういう攻撃しかできないのだとしたら?


 そういう可能性だってある。


「わたくしたちをただ殺すだけでは、あの女神の目的は達成されません。これはわたくしたちを殺して、それで終わりという戦いではありません!」


「じゃあどういう戦いなんだ!?」


「あの女神は朋輩の、そしてわたくしたちの存在そのものを全て消し去ろうとしているのです。そのためにはこの世界に朋輩の精神がカケラでも残っていてはダメなのです」


「つまりどういうことだ」


 俺はディアタナから視線を離さずに、アイラルンに聞く。


「へこたれないでください、諦めないでください、戦い続けるんです」


 もとよりそのつもりだ。


 ディアタナに何を言われようと、いまさら俺の気持ちが揺らぐようなことはない。


 しかしそう考えてみれば、ディアタナは最初から俺の精神にゆさぶりをかけていた。アイラルンと俺の関係を悪く言ったり、今度はシャネルと俺の関係を悪く言ったり。


 けっきょく、この女神との戦いはいままでのそれとは少しばかり違うものなのだ。


 ただ力だけでは――暴力だけではどうにもならないのかもしれない。


「あーあ、まったく。気づかれしまいましたか。アイラルン程度になら分からないと思ったんですけどね。そうですよ、私はいまだにこの世界への影響を考えている。貴方のことをただ消すだけでは、どうしても世界には歪みが出てしまう」


「くっ……」


 バカにして。


 ようするに舐めプをしているということだろう?


「貴方をただ消すだけならば簡単です。しかしそうではありません。私は、この世界のことを考えている!」


「しかし貴下はこの世界に生きる人間のことは考えておりません!」


「女神の役割なのです! ただ1人1人、個々の人間のことなど考えていれば、まともな世界など作ることはできません。そうやって失敗したのが貴方の世界でしょう、アイラルン?」


「だとしても、わたくしはわたくしのした行動を間違っていたとは思いません!」


「この八つ当たりも、間違いではないと? 自分の世界がダメになった腹いせに、私の世界を壊そうとしているのでしょうが!」


「違いますわ! わたくしは生きとし生けるもの全てに幸せになってほしいだけです!」


「そんなことは無理ですよ! そこの男――榎本シンクだってそう思うでしょう?」


 たしかに、無理だろう。


 アイラルンの語っていることは夢物語に思える。


 だけど――。


「無理だからって諦めちゃあ、できることもできなくなるよな」


 だから俺は、アイラルンの考えを否定などしない。


 それをアイラルンが本気で思い、願い、行動しているというのならそれを応援してやりたい。


 とはいえアイラルン。え? あんたってそういうことのために行動してたの?


 生きとし生けるもの全てに幸せになってほしい、か。


 因業とは真逆に思える考えかた。


 けれど人間――いや、アイラルンは女神だけどさ――人間、そんなものかもしれない。


 自分にないものを求めるものさ。


「腹立たしい。信頼感があるとでも言うの? 女神と人間の間に? ありえない」


「ありえますわ!」


「ありえるわけありません!」


 ディアタナは七支刀を持ち上げて、上段から突き刺そうとするかのように構えた。


 その刀を前にズンッ、と突き出してくる。


 距離は離れている。しかしディアタナには衝撃波を出す技がある。この場合、相手の間合いはどこまでもあると考えていいだろう。


 俺はすぐに攻撃の当たらない場所へと移動しようとする。だが、足がとられた。


「なっ――」


 花が俺の足にからまっている。


 そのせいで、動けないのだ。


 ディアタナの衝撃波は俺の腹部に突き刺さった。


 内臓が全部裏返って、口から一気に飛び出しそうなくらいの衝撃。


 死にはしない、と俺は思った。けれど痛いものは痛い。


 だがそれよりも――。


「ああっ!」


 アイラルンの声が聞こえた。


 そして俺の目の前に何かがとんでくる。


 最初、それが何なのか分からなかった。生きの良い魚か何かが飛んで、ビチビチと跳ねているのかと思った。


 けれどよく見れば違った。


 それは五指のついたアイラルンの腕だった……。


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