711 ガングーのキーボード
スクリーンの中ではアイラルンが身振り手振りを使ってシャネルに説明をしている。
『いいですか、シャネルさん! 五行を全部混ぜる感覚というのは、色の違う粘土をこねくり回す感覚と一緒ですわ!』
『……え、ごめんなさい。ぜんぜん想像できないわ』
『ですから、こう粘土をこねこね、こねこねして、出来上がったものをこう、投げつけて世界に対してぶつける感じですわ!』
『……まあ、やってみるわ』
その説明で大丈夫なのか?
いや、分からないけど。
でもシャネルはいちおうやってみるつもりらしい。
「ふざけた説明だな」と、ガングーも苦笑いをしている。
ガングーは中空に浮いた半透明のキーボードを叩き始める。打鍵音はしない。
「それ、何してるんだ?」
と、俺は聞いた。
「アイラルンが先程、座標を教えると言っていただろ?」
「たしかに、そんな感じのことを言ってた」
「いま現在、ディアタナはこちらに対してジャミングのような行為は一切してきていない」
「じゃあ何もしなくても良いじゃない」
「だが、いつこちらの行動に気づいて邪魔をしてくるとも限らない。その前に準備をしているわけだな」
「台風が来る前に準備をしておくような?」
「そうだな。地震が来る前に非常食を用意しておくようなものだな。ドレンスではあまり地震がないな、良い事だよな」
「ですね」
なんでもいいけど、地震の前に準備した非常食ってたいていは期限が切れて、普通に食べることになるんだよね。いや、それはそれで良い事なんだけど。
緊急時の準備なんて使わないに限る。
「ディアタナはいま、俺たちのことを何とも思っていないのだろう。おそらくはシャネル・カブリオレが五行魔法にいたれるとは思っていないはずだ」
「なめられてるわけだ」
「そうだな。あの女神の本質はそこだ。人間をバカにしている、信じていない」
俺はディアタナのことを考えた。
たしかにそうだ。
あの女神に会うたびに、なんとなしに感じる俺に対する内心軽蔑したような、人間というものを下に見たような態度。それが俺は気に入らない。
「アイラルンとは……逆だな」
と、俺は言う。
あの女神はなんだかんだと言って、その根幹にはお人好しの、人間に対する慈愛のような心がある。
「その通りだ。逆にアイラルンは人間を信じすぎているきらいがあるのだがな」
打鍵音がないのでよく分からないのだが、ガングーがキーボードを打ち込む動作が早くなっている。
それと同時にスクリーンの中でも動きがあったようだ。
『良い調子ですわ!』
『こんな感じで良いの?』
『はい、これで三属性を混ぜられましたわ! ルービックキューブと一緒です、このまま一つずつ属性を混ぜていきましょう!』
いや、その例えは分からないだろ。
『なによそれ?』
『とにかくどんどん行きましょう!』
「久しぶりに聞いたな、ルービックキューブって」
と、ガングー。
ガングーの目の前には小さなスクリーンが2つある。それらは一般的なパソコンの画面のような大きさだ。
「あれってどっかが商標登録してるんだよな。だからいわゆる本物のルービックキューブっていうのは、じつは少ないって聞いたことがあるよ」
「そうなのか、その話は初耳だな」
ガングーはこちらを見ようとしない。
その顔は真剣で、切羽詰まっているようにも見えた。
俺、喋らないほうが良いのかな?
『すごいですわ、シャネルさん! 四属性もいけましたわ!』
『ちょっとこれ、疲れるわね……』
『朋輩を助けるためですわ! 頑張って!』
『もちろんよ』
巨大なスクリーンの中ではシャネルが魔法の練習? をしている。
練習と言っても座って杖を振っているだけだ。アイラルンは分かるような、分からないようなアドバイスを繰り返している。
『あと1つですわ! 体の中からこう、ギュッーって絞り出す感じで!』
『ちょっと黙ってちょうだい!』
『あ、出そう、出そうですわ!』
『うるさいわよ!』
仲がいいのか、悪いのか。たぶん仲良しだろうけど。
「榎本シンクくん、気づかれたぞ」
「ディアタナか?」
「そうだ。おそらく、ディアタナが想像する以上の成長スピードだったのだろう。慌ててこちらに攻撃を始めたぞ」
「成長、ねえ」
シャネルの場合、成長とかそういうのとは違う気がした。
たぶん本当にいままで試す必要がなかったからやらなかっただけで、やろうと思えば最初からできたのだろう。
そもそもシャネルは物事に対して、自分はできない、不可能だなどとは思わない人だ。
「ははっ、おい榎本シンクくん。あの女神はキミがここにいることすら知らなかったらしいぞ!」
「どういうことだ?」
「いまさら慌ててこちらを消そうとしている。けどキミの存在のせいでエラーが出てるんだ。俺1人なら消せるとそう考えてたんだろうな!」
「よく分からないけど、そうなんだ」
存在を消す?
ディアタナは女神だから、もちろんそういうこともできるのだろう。
だが彼女は俺とガングーに対して、それをやらなかった。そういうことをすれば世界にはまたバグが生まれるかもしれないから。
しかしそれをとうとうやろうとしている。
それだけ相手も切羽詰まっているということか。
「そうとう焦ってるぞ」とガングー。「だが、こちらもどれほど持つものか。榎本シンクくん、シャネル・カブリオレはどういう調子だ?」
「どうもあと1つが混ぜ合わせられないらしい」
「しょうがないさ、五行魔法だ。普通はできないことをやろうとしているんだ」
「まだ時間はかかるよ」
「それくらいなら何とかもたせる!」
「ガングー、俺はなにか手伝えないか?」
「いいや。ただそう言ってくれてありがたい。キミがいてくれて本当に良かった」
ガングーは一瞬こちらを見て、微笑んでくれた。
その笑顔たるや。
まるで俺の存在を頭のてっぺんからつま先まで全部認めてくるよな。そんな素敵な笑顔で。俺という人間を好いてくれる表情だった。
どこかで見たことがある笑顔。
それはきっとシャネルの微笑みに似ていた。
「さて、どうでるかなディアタナ様よ。俺の自己は堅牢だぞ」
ガングーは三つのキーボードを軽やかに操って高速のタイピングを繰り返す。
何をしているのかは分からないがガングーはたしかに戦っているのだろう。
俺も何かできることはないかと探す。
すると不思議なものを見つけた。
黒い影のようなものが石畳の上にあった。重たい油をこぼしたような、液体のようにも見える。その影はブクブクと泡立っている。
「まずい、直接的な手段に出たぞ!」
ガングーはその影を見てから俺に視線をおくる。
その瞬間、俺は察した。
「つまり俺の出番だな」
「こっちは俺に任せろ、そっちは任せたからな!」
「了解だ」
俺は先程、あの訳のわからない空間で作り出した刀を抜いた。
影はいつの間にか人形をとっている。手には黒い剣のようなものを握っている。
敵だ、と俺は理解した。分かりやすい、とも。




