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697 女神の寵愛~触覚~


 金山が笑っている。


 耳障りな笑い声だ。


 黙れよ、と言ってやってつもりだが声は出ない。


「死ね、死ね!」


 クリスは狂ったように叫びながら、俺を蹴っていた。


 けれどシワスがそれを止める。


「や、やめなって」


「うるさい、触るな! 私に触るな!」


 ジタバタと暴れているクリスを、シワスは愕然とした表情で見ていた。


 いままで隠されていたクリスの本心といえるものを目の当たりにして、どう対応して良いのか分からないのだろう。


『あーあ、シンちゃん恨まれてんな』


 シンちゃんと呼ぶんじゃねえ、と心の中で思う。


『このアマ、本気で殺そうとしてるぜ。あれ、というかこの男、シワスか? 懐かしいな、元気してたか? って言っても俺の声は聞こえないか』


 こいつはなんなのだ、と俺は思った。


 俺の中に入り込んだ金山の魂。その残りカス。そんな吹けば飛ぶような存在のくせに、我が物顔でうるさいったらありゃしない。


「クリス!」


 聞き分けのない子供を殴りつけるように、シワスがクリスを叩いた。


 それでクリスは倒れ込み、シワスを睨んだ。


「なんだよ、その目は。文句でもあるのかよ!」


「………………」


 クリスは黙っている。


『おいおい、本気かよ? なんでこいつらケンカしてるんだよ』


 金山が面白そうに言う。


 俺が知るか、と思った。


「お前は――お前も俺のことをバカにするのか!」


 なんということだろう。


 シワスがクリスをめっためったに殴り始めた。俺は動けないのでそれを止めることもできない。いや、動けたとしても止めることはしないだろうが。


 シワスが何か言っている。


「バカにするな!」だとか。


「お前なんて俺がいなければ何もできないんだ!」とか。


「誰のおかげで生きていけると思ってるんだ!」とか。


 聞いている方が嫌になるような言葉ばかりだった。


『どうなってんだよ、こりゃあ。おい榎本。お前も寝てないで見ろよ、楽しいぜ。ほら、自分の女の顔を殴って血だらけにしてやがる。シワスってブス専だったんだな』


 それは違うだろう、と思った。


 もちろん金山だって分かっているはずだ。


 シワスは、自分でも自分を止められないのだ。少しのことで激昂して、それが抑制されることなく爆発する。


 子供の癇癪かんしゃくだ。


「はあ……はあ。これで分かったか!」


 おそらく殴り続けて気持ちが落ち着いたのだろう。シワスが何かを言っている。


「謝れ!」


「……ご、なさい」


 か細い声だった。


『うわぁ、どんな関係だ? なあ、榎本。って、おい。榎本? お前マジに死んじまうのか?』


 金山が何かを言っている。


 その声がほとんど聞こえなくなっている。


 俺の意識は遠のいていく。


 死が近づくのではなく、生が離れていくような感覚。


 それを認識した瞬間、急激な焦りの感情が芽生えた。


 ――嫌だ、死にたくない!


『そりゃあそうだろうな。なに、安心しろ榎本。お前にはとっておきがあるはずさ』


 なんのことだ。


 藁にもすがる思いで俺は金山の声に耳を傾けた。


『お前には俺のスキルがあるだろう』


 その言葉を聞いた瞬間、俺は自分の中で何かスイッチを入れるような音がしたのを聞いた。


 パチンッ。


 いままでオフになっていたものが、強引にオンにされた。


 そうだ、俺には金山のスキルがある。


『女神の寵愛~触覚~』


 他人のスキルを奪うスキル。


 しかしなぜ、いままでそのことを忘れていた?


 認識をいじられていた?


 そうだ、あのときだと思い至る。ディアタナが俺の前に現れたあのとき、ディアタナは俺にスキルを元々持っていた人間に返す、とそう言った。


 そして俺もそれに了承した。


 他人のスキルなんていらないと、そう思ったから。


 けれどただの一言も『女神の寵愛~触覚~』のスキルもなくなるとは言われていない。


 あそこで俺は何かしらの認識障害におちいらされたのだ。


『使い方は簡単だ。ただ念じれば良い、それだけだ』


 念じる……。


『ただし奪えるスキルは一つだからな、狙いをつけないと――』


 奪う、一つだけ、狙いをつける。


 金山の言葉が文章としてではなく単語として俺の頭に入ってくる。


 俺は無意識に自分に使えるスキルを総動員させた。六つの女神の寵愛。五感と、そして第六感。その全てを鋭敏にさせる。


 目が、耳が、鼻が、口が、そして俺の肌の全てと、勘が告げている。


 この状況を打破する方法がある、と。


 ――奪った!


 そう思った瞬間には、俺の体は治っていた。


「なっ――」


 シワスがこちらを見る。


 俺は先程までとちがい、ピンピンしていた。


 吹き飛ばされた顎も治って、喋ることもできた。


「死ぬかと思った」


 と、俺の第一声。


 本当はその後に「怖かった」と続けようとしたが、やめた。戦いの最中に怖いなどとは口が裂けても言えない。


「な、なんで――お前、なんでだよ! 死にそうだったじゃないか!」


「だったな、けどなんとかなった」


「なんとかだと――」


 俺が奪ったスキル、それはクリスのスキルだ。


『水属性魔法(回復)A』


 俺の視覚は、クリスの所有するスキルを瞬時に見抜いた。


 そして狙いをつけて、そのスキルを奪ったのだ。


 簡単だった。


 それだけで俺は使ったこともない魔法を使えるようになったのだ。


 もっとも、魔法を使うのには魔力がいる。見た目こそ全快の状態だが、精神的な疲労感のようなものはかなりたまっている。いまにも倒れそうなくらいだ。


 しかし、死ぬことはこれでない。


『とはいえ、満身創痍だな、榎本。驚いたよ、お前ぜんぜん魔力がないんだな』


 ――うるせえ。


『俺だったらこんな魔法、連続で100回は使えるぜ』


「黙ってろ!」


 俺の声はちゃんと出た。


 そのせいで、シワスが驚く。怯えて、体を震わせた。


 べつに威嚇したつもりはない。ただ金山に言っただけだ。けれど金山の姿が見えていないであろうシワスにとって、俺がいきなり叫んだように感じられただろう。


「武器を――」


 シワスがその手にまた大剣を出現させた。


 あんなものよく持てるな、と俺はどうでもいいことを考えた。


「ふうっ……」


 呼吸を整える。こちらの魔力がないことを悟られてはいけない。


「クリス、早くお前も立て! 俺を助けろ!」


 シワスはクリスに助けを求めるが、クリスは立ち上がろうとしない。


「なんで立たないんだよ、そんな傷さっさと治せよ!」


 無理だ、クリスのスキルは俺が奪った。


 だからもう治癒魔法は使えない。


 そうと知らずにシワスはクリスに悪態をつく。


 それがあまりに見苦しくて、俺はその口を閉じさせようとする。


 つまりは――。


 刀を構えた。


「な、なんだよ」


「悪いな、奪うぞ」


 俺はシワスのスキルに狙いを定めた。そして――俺の『女神の寵愛~触覚~』が発動するのだった。


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