691 月の視線
目が開く。
しかし体は動かなかった。
いや、動かしたくないというのが正しいのだろう。
これから俺は五稜郭に行き、シワスを殺す。望むところは一騎打ちでも、その行動はただの卑劣な暗殺だろう。
けっこうじゃないか。
どうせ最初からそういう殺し方ばかりしてきたんだから。
首だけなんとか動かす。隣にはシャネルがいる。少しだけ離れた位置。けれど俺が眠る前より近づいている気がする。きっと俺が寝ている間に身を寄せたのだろう。
けれど触れ合わず、抱きしめることもせず、シャネルは何かしらの意味合いを持った距離にいた。その意味は、なんとなく分かる。
きっと俺が目を覚まして、シャネルに抱きしめられていたら、俺はここから動くことなどできないだろうから――と、いうのは、俺がそう思いたいだけだろうか?
起き上がる。
昨晩、シャネルがつけた火はまだ消えていなかった。不思議な火だ。
「温まってる暇もない、か」
俺は目をこらす。
あたりは真っ暗だ。けれど俺の目は昼間のように周囲をはっきりと見ることができた。
干すようにかけたあった服をとって、それをはおる。シャネルはフリフリの服で寝ているが、変なクセなどつかないものかと心配だ。
ついでにアイラルンは腹を出して寝ている。
「ぐうぅう~」
アイラルンのいびき。
……本当に女神?
なんていう疑問はいまさらだろう。いっそのこと鼻でもつまんでやろうかと思ったが。近づいてみると思いのほか美人だったので鼻を触ることがためらわれた。
起こそうか。
一瞬だけ迷う。
アイラルンはどうせ殺しても死なないような女神なのだ。いっそのこと連れて行ってやっても良いのではないか。と、そう思ってから俺は首を横に振った。
弱気になっている。
1人で行くのが怖いのだ、俺は。
「いまさら何を怖がる」
俺は自分に言い聞かせる。
「お前はこれまでだって1人でやってきたじゃないか。最後の最後は1人だったじゃないか。大丈夫、これまでだって勝ってきた」
どこかから、声が聞こえた。
『そうだ、榎本シンク』
その声が誰のものなのかは実際には分からない。けれど俺はなんとなく、かつての友人である金山の声のように思えた。
「こんなときに幻聴とはいえあいつの声を聞くとはな……どうも俺はよっぽどビビってるらしいぞ」
嫌なものだ。
これから戦いの場に向かうというのに、その自分が臆していることに気づくだなんて。
だとしても行くしかないのだ。
朝になればシャネルが起きてしまう。そうするとシャネルも俺についてくるだろう。
俺はシャネルを守りながら戦うことができない。いや、絶対に無理というわけではないだろうが、しかし難しいことは確かだ。
シワスの性格上、戦いの最中に俺ではなくシャネルを狙うことだって十分にありえるのだ。
弱点。
そういう言い方をシャネルに対して言うのは嫌だが、実際にそうなのだ。
「ごめんな」
寝ているシャネルに声をかけた。
モゾッ、とシャネルが動いた。
「おっ……」
もしかして起きたのだろうか、と俺は慎重にシャネルを観察した。
しかしシャネルは動かない。眠っているようだ。いや、もしかしたら死んでいるのかもしれない。それくらい、シャネルは息すらしていないように思えた。
女が眠るとき、どうしても俺は死んでいるのではないかと思ってしまう。
幼い頃は、母親が眠っているのを見てそういうふうに心配になったものだ。そしていま、俺は愛するシャネルが眠っているのを見て、同じように心配するのだ。
もちろんシャネルは生きている。
しかし不安だ。
その不安を解消するためには彼女を起こすしかないのだが、それはいまできない。
「ごめん」と、もう一度言う。
そして俺は歩きはじめた。
向かう先は五稜郭。
ある意味では俺たちがこの蝦夷地に来てからの本拠地だった場所。しかし自分の家に帰るのだというような感覚はなく、俺はいま決死の覚悟で歩いている。
シワスと戦う。
それが怖い。
あいつの強さは俺も認めている。
何度か剣を交えて思い知った。
同じようなスキルを持つ俺たち、しかしあちらの方が戦闘向きかもしれない。『武具錬成』というあのスキル。おおよそ無尽蔵に武器を作り出している。対してこちらは『5銭の力+』があるものの、これはどちらかといえば防御につかうためのスキルだ。しかもお金がなくなれば俺の寿命を使うというもの。
これまでの戦いでずいぶんと無茶なこともしてきた。
はたして俺の寿命はあとどれほど残っているのだろうか。
「あー、しまった。シャネルに小遣いでももらっておけば良かったな」
そしたら少しはシワスの攻撃も防げただろうに。
そう思っていると、ふと俺は着ているジャケットの内側に重たさを感じた。いままで何も気づかなかったのに、まるでいまこのタイミングでそれが出現したかのように、とつぜん重たさを感じたのだ。
「なんだろう」
と、取り出してみる。
すると俺の服の内ポケットの中に、小さな巾着が入っていた。
紐で口が閉じてある。それを開けると、中から黄金に輝くコインが顔を覗かせた。
「これ……ドレンスのお金だ」
しかもかなり高いはず。金貨だもの。
どうして入ってるのか、すぐに察する。
シャネルが気を利かせてくれたのだ。餞別、とでも言うべきか。
「お釣り出ないのにな」
致死量の攻撃を受ければ発動する『5銭の力+』だが、どのような攻撃でも受けてしまえばコインが1枚、消費される。あるいは一度死ぬ分では足りない場合はさらにコインが消費される。人の死なんて誰にとっても一度きりなのに、二回分の死ぬ量というものがあるのもおかしな話だが。
「ありがとうな、シャネル」
聞こえないと分かりつつも感謝の言葉をおくる。
俺の足には力がわいた。
シャネルは何も言っていない。けれど俺は応援してもらったような気がした。
もしかしたら彼女は分かっていたのかもしれない。俺が今晩、たった1人で五稜郭へと向かうつもりだということを。
きっとそうだろうな、と思った。
俺は空を見上げる。
そこには月が浮かんでいる。
その月から、視線を感じた。誰かが、そこから見ているようなそんな気がした。まさか月にウサギさんがいて、そいつがこちらを見ているわけではないだろう。
ディアタナだ。
あの女神はずっと俺のことを見ていたのだ、といま気づいた。
これまでもずっと。
俺は月に向かって睨み返す。
「お前がなにを考えてるかなんて知らねえけどな、こっちにはこっちの都合ってもんがあるんだ!」
邪魔するつもりなら容赦しない。
アイラルンとのケンカだって、俺とシワスには関係ない。この俺の復讐心が女神たちの代理戦争だなんて思いたくない。
俺は俺の意思で復讐をする。
それだけだ。




