686 戦場までの何マイル
急ぐ俺はシャネルとアイラルンをおいて、1人で先に行くことにした。
「ゆっくりで良いからついてこい。もし戦闘してたらそれに参加する必要はないからな、見てるだけで良い」
言い聞かせるようにシャネルとアイラルンに伝えてから、俺は全速力で走り出した。
弁天台場からの下り坂、勢いを殺さずに駆け抜けた。
そのまま平地も走る。腰に差した刀が無駄に揺れるのがわずらわしくて、俺はそれを右手で引き抜いた。そのまま刀を手に持って、走る、走る、走る。
自分でも驚くほどのスピードだ。
まるでクルマに乗っているように周囲の景色が流れていく。
時速は何キロ?
戦場までは何マイル?
俺は――メロスのように走る。
暴れるスピードに体を全力で追いつかせて、前へと進む。いまなら馬と競争しても勝てそうなくらいだ。
すぐに先日の村まで到着した。
「ふうっ……ふうっ……」
さすがに息はきれていた。しかし休んでいる暇はない。
様子が妙だった。
村はどうやら壊滅しているようだった。
「どういうことだ?」
まさか土方たちが勝ったのか。そんなはずがない。戦力的にはこちらが大きく差をつけられていたのだから。
考える可能性は一つだけ。
「奇襲に成功した?」
新政府軍は明らかにやる気がなかった。
まさか死にものぐるいで、弁天台場を捨てて攻めてくるとは思っていなかったのだろう。初撃で村を壊滅させ、それからみんなはどこへ行った?
ここで考えていても仕方がない。
俺は村の中に入る。
酷いな、と思った。
そこら中に死体が転がっている。新政府軍の人間だけではない、こちらの兵と見られる人間の死体もあった。
それに――。
村の一角が消滅していた。まるで巨大な龍がその場を一直線に通っていったように、直線的に消えていたのだ。
地面すらも深々とえぐられている。
「どう見てもシワスだな」
『グローリィ・スラッシュ』を使ったのだろう。思いっきりぶっ放せばたしかにこういうふうになる。
土方は大丈夫だろうか。
もしかしたらこの一撃で消されたか?
いや、しかしそうではないように思えた。
俺はしばらく村の中を見て回る。すると、1人だけまだ息がある人がいた。
「ううっ……」
民家の壁に背中をあずけて座り込んでいた。
「大丈夫か?」と、俺は声をかけてからバカかと自分で思った。
どう見ても大丈夫じゃない。いまにも死にそうだ。虫の息。
体中に切り傷があり、そこら中から血が流れ出ている。いますぐ治療をしても無駄だろう。魔法でもあれば話は別だが。
「だ、誰だ……」
どうやら男は目も潰れているようだった。
俺はその男に見覚えがあった。先日この村に潜入したときに見た、口に爪楊枝を加えていた男だった。
「誰でもないさ。大丈夫か、みんなはどこへ行った?」
「わ、分からない……あいつらが襲ってきて。それで追い返したんだが」
「そうか」
やはり奇襲は成功したのだろう。だがその後でやはりジリ貧になったのか。
追い返された土方たちはどこへ行った?
それを聞こうとしたが、もうダメだった。
男は絶命していた。
たぶん俺が来たことに安心したのだろう。誰だって1人で死ぬのは嫌だからな、誰かが見ていてくれれば安心して死ねるというものだ。
俺は両手を合わせて、その場で少しの間だけ冥福を祈った。
「くそっ……」
完全に出遅れてしまった感じがある。
もしこの奇襲に俺も参加できていたらシワスのことを殺せていたかもしれないのに。
だが、俺はシワスのことを考えると、少しだけ怖くなる。
あの男とは相容れない。そういう考えがあって、実力では拮抗しているだろうから、大変な戦いになるとも感じていて。勝てるのだろうかと不安にもなる
それでも、復讐だけのためにこうして生きてきたのだ。
前に進む、と俺は思った。
しばらくすると、シャネルとアイラルンが来た。
「これまたすごいことになっていますわ」と、アイラルンは眉をしかめて言う。
「シンク、敵は?」
「いない。逃げたっていうよりも転戦してるんだろう。土方も生きてるのか死んでるのか……」「どうしますの、朋輩?」
「探す」
こういうとき、俺の勘は冴え渡る。
まるで森羅万象を見渡すかのように全てことが理解できるのだ。
――あっちだな。
と、俺はあたりを付けた。
「土方たちはあっちの方でまだ戦ってる」
「行きましょう」と、シャネル。
「いや、また俺だけで行く。危ない思いはしてほしくないんだ」
「いまさらね、大丈夫よ」
今度は、先に行くからついてこいとはできない。
村に行くという目的地がないから。
本当のところを言えばシャネルをこの場所に置いておきたいくらいだったが、しかし俺は自分にシャネルがいなければダメだということも分かっていた。
「分かった」と、言って、歩きだす。
少しだけ速歩きだ。
俺たちが歩いているのは函館の方だった。すでに陥落した五稜郭の方を、なぜ目指しているのか自分でも分からない。ただなんとなくだが察せられた。
「五稜郭がダメだとしても、そこには兵士たちが数百も残っていたんだ。全員が降伏したとも考えられない。もしかしたら、そこから打って出るような人間がいたかもしれない」
「それで?」とシャネル。
「土方も同じように思うはずだ。最後の最後まで戦うつもりなら、そこで兵と合流して戦うんじゃないだろうか」
「そういう考え方も、もちろんあるわね」
俺たちはそのまま歩いていく。
海の方から町の方へ。山を越えて、森を越えて、歩いていく。
そして――。
ひらけた場所に出た。
函館の町の近くだ。
俺たちは少しだけ高い位置から、そこを見ていた。
「やっぱりだ……」
戦闘が行われている。
どう見ても俺たち旧幕府軍は劣勢だ。
長い柵がたてられており、その先には旧幕府軍の兵士たちがいた。柵を壊そうと新政府軍の兵たちは突撃を繰り返している。なんとか銃で応戦している我が旧幕府軍。
すでに柵に取りつかれ、白兵戦を展開しているところもある。
「なんだお前たち!」
この立地からなら戦場が見渡せた。つまりは敵の兵たちが陣地にしているということだった。知らないうちに、俺たちは敵の陣地へと入り込んでいた。
「ふうっ……」
俺は刀を抜く。
「シャネル、下がってろよ」
「ええ」
「走るって俺が言ったら、走るんだ」
「分かったわ」
「わたくしも分かりましたわ!」
べつにアイラルンのことは心配していない。殺してもしなないような女神様だ。
俺たちに向かって襲いかかってくる敵。俺はそれを簡単に切り伏せる。
それを見て、接近戦では勝機がないと見たのだろう。ライフル銃がこちらに向けてくるやつがいた。
だが、その瞬間には――。
ライフルの銃身が吹き飛んでいる。
俺の片手にはモーゼルが握られている。
「行くぞ、シャネル! 戦場に向かって走れ!」
シャネルは返事もせずに走り出す。俺は周囲を警戒してシャネルを守りながら、その後ろをついていくのだった。




