681 DV
光の柱が、ある民家の屋根を突き破った。
その民家へと駆けていく。俺と同じように、何があったのかと心配してよってきた兵隊たちもいた。俺は「どうしたんだろうな」と、まったく事情など知らないふりをして、言った。
「いつもの癇癪だろうさ」と、近くにいた人が答えてくれた。
「ほう、いつもの――」
やれやれ、とその人は肩をすくめてみせる。
「まったく、なにが不満なんだか。そんな暴れたいんなら、敵に向かって暴れてくれればいいのによ。あーあ、この家だってもったいねえ。もう人なんて住めねえぞ」
「だね」
どうやらシワスはよく暴れているらしい。
それを兵隊たちは知っていて、けれど止められないのだろう。
そりゃあそうだ、認めたくないがシワスは強い。俺だってサシで戦って互角かもしれないくらいだ。
「あああっ! 痛い、痛い、痛い!」
中から声が聞こえてきた。
その声はたぶん、雑踏の音にかき消されて普通の人間には聞こえないだろう。けれど俺の耳にはしっかりと届いた。
中でシワスが痛いとうったえているのだ。
「いったい今度はなんだろうな、触らぬ神に祟りなしってのは分かってるんだが、気になるぜ」
「聞いてきてみたらどうだ?」と、俺は軽口をはさむ。
「そんなことしたらこっちも、これ、だぞ」
これ――と言って男は首を斬られる仕草をする。
「なに? シワスはそこまでするのか?」
仲間を殺しているのか?
「シワスって、あんた隊長に対して馴れ馴れしい。知り合いか?」
「まあ、ちょっとね」
「京都で一緒に攘夷活動をしてたとか? だったらさ、あんたから言ってやってくれよ。さすがに無茶苦茶が過ぎるって」
「いや、俺が言ったところで聞かないさ」
「やっぱりそうか……」
ぞろぞろと集まってきた人たちは、遠巻きに民家を見ている。
中にはシワスと、もう1人いそうだ。
「しょうがないでしょう、シワス。魔力がないの、少しだけ我慢して」
「でも痛いんだよ、クリス! 早く治してくれよ!」
「だから無理なのよ」
なるほど、と俺は中の会話を聞きながら、思った。
きっとシワスのやつ、俺が貫いた体が痛むのだろう。
半日ほど前の戦闘で俺はシワスの胸のあたりを突き、そして斬った。それで勝負は決まったかと思ったが、シワスはなにかしらの魔法を使って逃げ出したのだ。
「痛い、痛い、痛い!」
「聞き分けがないわね」
「治せって言ってるんだよ! 痛むんだ、さっきから! あいつにやられたところがさ!」
騒いでいるシワスの声は、とても情けない。
俺はそれを聞いて、自分の中に暗い感情が芽生えた。
――ざまあみろ。
シワスが苦しんでいるならば俺にとっては嬉しいことで。なんならこのまま中に突撃して、もう一発斬り込んでやろうかと思ったくらいだ。
実際、そうしようとした。
だが、俺の足は止まる。
「痛いんだよ!」
また、叫んだ。
それで、「あうっ!」という声が聞こえた。その声と同時に、なにか肉を叩きつけたような鈍い音がしたのだった。
――殴った?
誰が、誰を?
そんなのは決まっている。
シワスが、あのクリスとかいう女を殴ったのだ。
俺はその事実に恐怖した。俺の中ではありえないことだった。男が、無抵抗な女を殴りつけるだなんて。
先程まで『痛い』と言っていたのはシワスの方だった。
けれどいま、民家の中で「痛い、痛いわ!」と言っているのはクリスの方だ。
シワスはなにか声にならない叫びのようなものをあげている。その叫び声に混ざって、拳を叩きつける音がする。
俺の鼻は、かすかな血の臭いを感じ取った。殴られているクリスが血を流しているのだ。
「静かだけど、中どうなってるんだ?」
と、近くにいる男が言う。
その言葉に答える余裕は、いまの俺にはなかった。
「どうする……」
止めるべきだ、と俺は思った。いますぐ中に入って。それこそシワスを殺すつもりで止めるべきだと。
べつにクリスという女になにかしらの気持ち――たとえば勇者である月元を殺した罪悪感を覚えているわけではない。けれど、シワスの行為は間違いなく誰が見てもおかしいと思えるものだ。
だけど、俺の足は動かなかった。
シワスのことが分からない。
怖い、と思った。
けれどそれはいままで感じたことのない怖さだった。人間、本当に理解のできない物を見れば恐怖するのだと思った。
俺はシャネルのことを殴りつけている自分のことを想像してみる。
しかし上手く思い浮かべることはできない。
だっておかしいだろ!
しばらくすると中の音がやんだ。
「なあ、どうなってるのかな?」
隣にいる男がまた聞いてくる。
「分からないよ。静かだね」
俺のように耳がよくない人からすれば、先程の音も聞こえなかったのだろう。だからずっと民家は静かなままだったはずだ。
俺は自分が聞いてしまった音を、忌々しく思いながらも、また耳をすませてしまう。
どうしたのだろうか、この静けさは。
まさかシワスのやつはクリスを殺してしまったのだろうか。
そんなことってあるのか?
「……めんな」
と、小さな声が聞こえた。
それに返事をするようなうめき声も。
良かった、クリスは生きているようだ。
「ごめんな、ごめん。本当にごめん」
シワスが何を言っているのかも聞こえてきた。
謝っているのだ。
いかにも申し訳無さそうな声色でシワスは必死に謝っている。
じゃあどうしてクリスのことを殴ったんだ?
分からない。
分からないものは怖い。
「い、良いのよ……シワス。大丈夫、いいの……」
クリスの声が聞こえた。シワスを許しているのだ。優しい声だった。
俺は思わず、その場から逃げ出していた。
シワスに向かっていく勇気なんてなかった。ただ恐ろしてくて、その場を離れたかったのだ。
走って、走って、走って。
そして俺はシャネルとの待ち合わせの場所に来た。
「はあ……はあ……はあ……」
全力で走ってきたので、息がきれていた。
「あら、シンク。早かったのね」
「シャネル!」
思わず抱きついてしまった。
「あらんっ? ちょっと、どうしたの?」
シャネルは俺の背中に手を回して、トントンと優しく叩いてくれた。
俺は怖い、と伝えようとした。シワスが怖いのだと。自分の好きな人に対して、平気に暴力をふるような男が。
けれどそれを伝えるのは恥ずかしい気がした。
俺は「ごめん」とつぶやいて、シャネルから離れた。
「あら朋輩、甘えん坊さんですわね」
「うるさいよ」
アイラルンがからかってくるが、俺は気の利いた返事などできなかった。
ただ。
シワスのことが本気で嫌いになった。




