661 春に向けての会議
冬が過ぎれば春が来る。
それは当たり前のことで、普通ならば歓喜を持って迎えられることだろう。
冬って嫌だよね、雪も降るし、寒いし。
春って良いよね、桜が咲いて、新しい出会いがあって、なにもかもがキラキラして。
しかしいま、この蝦夷共和国に置いて春が来ること。それはすなわち自らの国家としての寿命が来ることを意味していた。
開陽丸がない。
それは俺たちにとって、すさまじいほどの弱体化であった。
「会議を始めます。なにか言うことがある人はいますか? いませんね、ではこれで会議を終わります」
「いやいや、ちょっと澤ちゃん。もう少しやる気を出してよ」
「はい、冗談です」
冗談?
本当に冗談か?
シャネルに慰めてもらったとはいえ、最近の澤ちゃんはいつもこの調子だ。少しマシになったようにも見えるが、やっぱり目を離した隙になにかやらかしそうな危うさはあった。
「と、とにかくさ。ちゃんと会議やろうぜ。えーっと、今日の議題はなんだったかな」
いちおう俺が仕切らなければ、と思い声を出す。
会議室として使われている部屋には十数人がつめていた。俺やシャネル、澤ちゃんや土方。あとは大鳥さん。その他にも顔は知っているけど名前は覚えていないような人たちが数人。
もちろん中には名前を覚えている人もいるけど、そうじゃない人も同じくらいいるというわけだ。たとえば澤ちゃんの秘書――副官であろうか?――なんか、よく見るけどいまだに名前を知らなかった。
「新政府軍が品川沖を出た」
土方がつっけんどんに言う。
そうすると、なんだか会議室の空気が少しだけ冷えたような気がした。
「やあね」と、シャネルが俺にだけ聞こえる声で言う。
シャネルは俺の隣に座っていた。
「なにが?」
「みんな嫌なのよ、あの人のことが」
どういうことだろうか。
みんなが土方のことを嫌ってる? まあ、愛想のない人だからな。って、そういうわけじゃないか。
こういう会議のようなものはこれまでも何度かあった。けれど、俺の記憶が正しければ土方が出席するのはこれが初めてのはずだ。
いつも会議の議題は、統治についてのことだった。税金やら、土地の割当やら、そういうつまらない話ばかり。
けれど今日は違うということだろう。
――新政府軍が品川沖を出た?
つまり、敵が攻めてくるということだ。
「敵の戦力はいかほどに?」と、大鳥さん。
どうやら俺に聞いているようだ。しかしそんなことを言われても俺は知らない。
「えーっと、それについては澤ちゃんから」
俺は質疑応答にしどろもどろになる。
「敵の艦船は8隻です、うち4隻が軍艦、4隻は輸送艦」
「あちらの陸軍はどの程度だ」
「おそらく……4000程度と推測されます」
「6000、と考えたほうが良いだろう。戦いとは常に最悪の状態を考えるべきだ」
「しかし輸送船1隻につき1000人と考えるのが普通です」
「詰め込めばその1・5倍程度なら入るだろう」
「それはたしかに、そういうこともできなくはありませんが……」
俺も、場の空気の悪さに遅ればせながら気付いた。
みんな土方の発言を認めたくなさそうな雰囲気なのだ。
「まあまあ、まだ来てない敵の数を考えて悲観的になるのはよそうよ」
少しだけ空気が弛緩する。楽観的な意見だってときには大切だ、気休めではあるだろうが。
「そうだね、榎本くんの言う通りだよ。それに敵の数が6000だとしても、僕たちならなんとかなるよ」
「……そうも言ってられない問題があります」
澤ちゃんは声をけわしくした。
「な、なにかな?」と俺は聞く。
「新政府軍が出した軍艦の中に、甲鉄艦があります」
その一言で、会議室には激震が走った。みんながザワザワとしだして、あきらかに驚きと、そして恐怖が読み取れた。
甲鉄艦とは?
知識のない俺は恐怖することもできなかった。
こういうときはシャネルに頼る。なにせ俺が「甲鉄艦ってなんぞ?」なんてアホ面で聞いたら不審がられるからな。
ちらっとシャネルを見た。シャネルは一瞬で察した。
「無知で悪いのだけど、甲鉄艦ってなにかしら?」
「ストーンウォールと言った方が、シャネル殿には伝わりやすいでしょうか。ジャポネがアメリアに発注し、ドレンスで建造された装甲艦のことです」
装甲艦?
名前から察するに、なんかすごい防御力の高い船だろうか。
「開陽丸を失ったいま、我々には甲鉄艦に対抗する手段は残されておりません」
「で、そいつがいまこっちに向かって来てるわけだ」
「その通りです」
「つまり今回の議題はその甲鉄艦をどうするか、ってことだね」
よしよし、これではっきりしたぞ。
そう思って俺は爽やかな笑顔(自分ではそう思っている)を、見せたのだが。しかしみんななんとも言えない微妙な顔をした。
それができれば苦労はしない、ということだろうか。
「案のある人はどんどん言って欲しい。忌憚のない意見が聞きたいんだ」
けれど、今回は誰も手を挙げなかった。
なんだかみんな迂闊なことは言えないと警戒しているようだ。言って、他から批判されれば恥になると思っているのだろう。
こういうとき、なまじ知識があったり、立場のある人は大変だ。
誰か、ないか?
と、俺は1人1人に視線を合わせた。しかしみんな目をそらしていく。
ただ1人を除いて。
「私に考えがある」
土方だ。
俺はありがとうを伝えるようにニッコリと笑いかける。すると、土方は不機嫌そうに顔をそらしてしまった。
「どのような考えでしょうか」と、澤ちゃん。
「いま現在我々には甲鉄艦を倒すほどの戦力がないのだろう?」
「そのとおりです」
「んだんだ」と、俺。するとシャネルにちょっとだけ脇腹を突かれた。
あんまりふざけるな、ということだろう。
「倒せないのならば簡単だ、奪えば良い」
「奪えば良い?」
俺は意味が分からずに、オウム返しに聞き返す。
「そうだ。真正面から戦っても勝てないなら、奪い取ってしまう。もしもこれが成功すれば我々は開陽丸に変わる新戦力を手に入れることになるぞ」
「そう上手くいくかな?」
「どうでしょうか……聞いたこともない作戦ですが」
「できないはずがない。こちらから船を近づけて、我々新選組が斬り込む。いかに装甲の厚い甲鉄艦といえど、そこに乗るのは人だ。皆殺しにしてしまえば後は奪い取ってしまえばいい」
「なるほど……無理でもないのかな?」
俺は澤ちゃんを見る。
「しかし無茶です」
会議室の空気がいっそう冷ややかになった。
このバカな女はいっていなにを言っているのだと、そんな目を向けている。
俺はその空気が――大嫌いだ。
まるでみんなで土方1人をイジメるように無遠慮な視線が降り注いでいる。
「やってもないのに諦めるようなことを言うな!」
土方がそれに反発するようにテーブルを叩いた。
強い子だ、と俺は思った。もしも俺が土方の立場だったら縮こまってなにも言えなかっただろう。赤面して、なんならこの場から逃げていたかもしれない。
けれど土方は立ち向かった。
偉い!
俺はなんとか土方の勇気に報いたかった。
こうして自分の意見をしっかりと言ってくれて、なにも言わない他の人間よりもよっぽど真面目に今後の俺たちのことを考えてくれている。
「土方――」
あんたの意見に賛成だ、とそう言おうとした。
けれどそれより先に、
「面白いわね」
シャネルがのよく通る声が、嫌な空気を断ち切るように部屋の中に響いた。




