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649 不運が続き


 翌朝。


 俺は澤ちゃんと共にカッターに乗って開陽丸の座礁部分を確認した。


「よく見えませんね」と、澤ちゃん。


「だね、潜ってみる?」


「冬の蝦夷地の海をですか? 自殺行為です。ただ止めはしませんよ」


「冗談だよ」


 澤ちゃんは露骨につまらなさそうな顔をする。


 そういう顔をされると俺は困ってしまう。


「そういえば土方殿はどこでしょうか? 朝から見ませんが」


「ああ、トシちゃんね。トシちゃんにはちょっと用事を言い渡したのである」


「用事ですか?」


「そうだよ」


「よく聞いてくれましたね」


「けっこうノリノリだったよ」


「そうですか。土方殿と仲が良くなったのですね」


「べつにそういうわけじゃないけど」


 最初の頃ほど怖いとは思わなくなったな。あれでけっこう可愛いところもある。


「とにかくこれはダメですね。かくなる上は他の船をこちらに呼ぶしかありません」


「そうしよう」


 ということで、伝令のための人員が出された。


 よっぽど俺が自分で行こうかと思ったが、それだと澤ちゃんを1人にしてしまうことになるのでやめた。なんというか、澤ちゃんは傍目で見てもバランスを崩しているように見えたから。


 ここから五稜郭まで伝令が行き、その後で行動が開始されたとしても一週間近くはかかるだろう。俺たちはしばらくゆっくりすることにした。、


 とはいえ精神状態が悪い。


 ゆっくりなんてできるわけがなかった。


 このままストレスでハゲるんじゃないか、と思っていた矢先にシャネルが来てくれた。


「ちょっと雪がよくなったから。来てみたわ」


「ああ、シャネル! ありがとう!」


 それで俺は本当に嬉しく思った。


 シャネルがいるのといないのでは大違いだ。隣に彼女のいない生活を何日も送ると、それだけで俺は不安になってしまう。


 立派な依存症である。


 俺はダメな男だ、女と――あとアルコールに依存しているのだから。とはいえ、アイラルンよりはマシだろう。


「大変なことになってるみたいね」


「見ての通りだよ。まさか本当に座礁するとは思わなかった」


「そうね、大丈夫かしら?」


「どうだろうね、俺は大丈夫じゃないと思うけど」


「あら、悲観的になってるの?」


「客観的に見てるつもり」


「それならそれで良いのだけどね。ただ本当にこの船が沈むとなれば、みんな困るんじゃない?」


「だろうね。開陽丸は海軍の旗艦だから。つまり一番強いわけだよね」


「そうじゃないの?」


 それが沈みかけているのだから……やっぱりやばい状況だよな。


 そして。


 そのやばい状況が加速した。


 五稜郭に救援を要請してから数日後。とんでもない報告があがってきた。


 開陽丸を曳航えいこうして離礁させるために五稜郭から2隻の船が出た。回天丸と神速丸だ。そのうちの神速丸があろうことか開陽丸から少し離れた場所で座礁してしまったのだ。


 ミイラ取りがミイラに、と言っていた澤ちゃんの不安が的中したわけだ。


「マジか!?」


「そんなことってあるかしら?」


 俺とシャネルは驚いた。


 が、


「……はあ」


 澤ちゃんはただ落ち込んでいるだけだった。


 神速丸は座礁してから次の日に、沈没した。これに比べれば開陽丸はよくもっている方だ。


「もう無理ですね」と澤ちゃんは諦めていた。「回天丸は神速丸の人材や物資を運ぶためにとんぼ返りです」


「他の船は?」


「無理ですよ、もう」


「諦めたらダメだって!」


「そうよ、もっと楽観的に考えましょうよ」


「私は毎日開陽丸を見ています。もう無理です、もって2、3日でしょう」


「え?」


「回天丸と神速丸の2隻が来てくれていれば、まだ分かりませんでしたが」


 澤ちゃんは、うつむいてそう言った。


 そのまま、ボトリと涙がこぼれた。


 悔し泣き。


 女の子が泣いているとき、どうすれば良いのかなんて俺には分からない。


「あ、あの澤ちゃん……」


「シンク、出てて。そうして、ね?」


「わ、わかった……」


 ここはシャネルに任せよう。


 その日の夜だった。


 開陽丸が突然、さらに傾いた。


 なにかがきしむような音。そしてバキバキと割れる音。開陽丸はゆっくりと沈んでいく。


 俺たちは全員が船から退避していた。ついに来るべきときが来たのだ。


「あんなでかい船が……」


「本当に沈むのね」


「終わりですよ」と、澤ちゃん。「もうおしまいです」


「……澤ちゃん」


「榎本殿のせいです」


「え?」


「貴方が開陽丸を出して陸軍を支援するなんて言わなければ!」


 言ってから、澤ちゃんは自己嫌悪にさいなまれたのだろう。また泣き出して、そしてその場にうずくまってしまった。


「すいません……榎本さん」


「あ、いや。気にしてないよ」


「ごめんなさい、武揚たけあき。貴方の残してくれた船を沈ませてしまった……」


 かける言葉もなかった。


 開陽丸を降りた人間たちは、ひとかたまりになって江差の町を目指した。


 もしかしたら落伍らくご者が出るかと思ったが、俺の知る範囲では全員がきちんと江差まで移動できた。


 江差の町では土方が待っていた。


 彼女に用事を言い渡してから、数日が経っていた。


「ただいま。開陽丸はダメだったよ」


「そうか、こちらは言われたことをやっておいたぞ」


「ありがとう」


「……なにを頼んでいたのですか?」と、澤ちゃん。


「松前城を落としておいた」


「そうなのですか? さすがですね、土方殿は」


「あまり喜んでいないな」


「いえ、喜んでいますよ。それ以上に開陽丸を失ったことが大きいだけです」


 それは誰もそうだった。


 俺たちは最大戦力を失ったのだ。


 もう戦えないかもしれない。


 これからどうするか、それすら決まっていなかった。それでも松前藩を占領できたのは良い知らせである。これがなければ、本当にどうしようもないくらいダメだった。


「諦めるつもりか?」と土方。


「…………」


 澤ちゃんはなにも答えない。


「諦めないよ」俺が代わりに答えた。「絶対に諦めないから」


 こんな場所で――諦めてたまるか。


 復讐を終えるまで、俺は戦い続ける。


「その言葉を聞けて良かった」と土方。


 この女は俺と似ているようで違う。死ぬまで戦い続けるつもりなのだ。


 つまるところ。


 俺たちはどちらも、戦い続けるしかないのだった。


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