646 心配な開陽丸
吹雪はいぜんとしてやまない。それどころか勢いを増しているようだ。
「このまま行けば五稜郭が埋まったりして」
「あっちの方はどうかしらね、大丈夫だと思うわよ」
「……なあ、土方」
「なんだ?」
「いや、まあなんでもいいけど」
さきほどから土方は男言葉と女言葉が混じった不思議な話し方をしている。たぶんもともとが女言葉なのだろうけど、無理して男言葉に変えている。けれど俺が友達だと思ってか、その無理をし忘れてしまうのだ。
これは光栄なことなのだろうか?
「この調子じゃあ、明日は新選組も行けないかしら?」
「やめた方が良いんじゃないかな」
「松前藩に準備をする時間を与えたくない、また農民でも集められたら……戦いづらい」
「それは分かる」
武器を持つ相手ならば倒すことに躊躇はないが。殺さなきゃ殺されるという考えで。
しかし農民となると、ただイジメをしているだけに思えてしまう。
それに土方は元々農民の出だ。俺よりもさらに農民と戦うことに嫌悪感があるかもしれない。
「それに伝習隊の人間たちも、私たちについてこないだろう。あいつらは腰抜けだ」
「どうしてそんなに嫌いなの?」
「嫉妬よ」
「え?」
嫉妬? 嫉妬って言った?
まさかそんなに素直に言うと思わず、俺は面食らってしまう。
「大鳥は私と違って良いところのお嬢さん。お金もたくさんもっていて、勉学に明るい。いままでの人生でまったく苦労なんてしてこなかった女よ」
「苦労のない女の人なんているかな?」
「いるわ! それにね、あの女。毎朝毎朝、神様に祈ってるのよ? 信じられる?」
「いや、それはすごいな」
敬虔な信者なのだろうか?
「たしかに女神ディアタナは偉いかもしれないけど、だからなんだ。この世界を造ったと言われても、どうせ我々人間には関係ないだろう」
「ですね」
ま、俺はちょっとばかし関係あるかもしれないけど。
「とにかくあいつのやることなすことが気にいらない」
「水と油ってわけだね」
「そういうことだ」
まあ、仲良くできない人間ってのはこの世にいるからな。
誰とでも仲良くしましょうなんて小学校の先生は言うかもしれないけど、大人こそ絶対に仲良く出来ない人間がこの世にいることを知っているはずだ。
ふと、外が騒がしく感じた。
「なんかあったかな?」
「どうした」
「いや、外の方。騒がしいから」
「そうか?」
「耳は良いんだよ、目もいいけど」
というか五感すべてが鋭い。さらに第六感にも自信がある。
「ちょっと出てみるか」
ですな、と俺たちは部屋を出る。
するとどうだろうか、意外なことに澤ちゃんが騒いでいた。
「離しなさい!」
「ダメですって!」
部下のような人たちが数人で必死に止めている。
なんだろうか?
まさか酔っ払って暴れているわけじゃないよな、アイラルンじゃあるまいし。
「あら、なにを騒いでるの?」
音を聞きつけてか、シャネルも部屋から出てきた。本当は俺のための部屋なんだけどね。
「知らないけど、なんか澤ちゃんが騒いでる」
「情緒不安定ね、女の子の日かしら?」
「童貞はそういう品のない冗談好きじゃないよ」
「あら、ごめんあそばせ」
でも本当になにを騒いでるのだろうか。
俺たちは澤ちゃんに近づく。
「どうかしたの?」と聞いた。
「ああ、榎本殿! 開陽丸を見に行くんですよ!」
「え、なんで?」
外、すごい吹雪だよ。
「心配なんですよ! さすがの開陽丸もこの雪と風では危ないかもしれません! 停泊した位置が悪かった、私のミスです! あんな場所に停めていれば座礁の可能性もあります」
「まあまあ、落ちついて」
なんだかあれだね、台風の日に田んぼの様子を見に行く老人みたいだね。
いや、これ冗談抜きに危ないからね。田舎じゃあよくそれで人が死ぬんだから。
「とにかく、私は行きますからね!」
これは止めてもしかたないな、と思った。
「しょうがない、じゃあ俺も行くよ」
「榎本殿も?」
「1人じゃなにかあったとき困るでしょ、行くよ」
他の人たちは行きたくないだろうし。だから止めている部分もあるだろう。
澤ちゃんが行くとなれば敵などいなくても護衛がつかなければならない。俺が護衛に、と考えたのだ。
だが、
「いえ、榎本殿にもしものことがあってはいけません。私が1人で行きます」
よく考えれば俺も護衛をつけられる立場の人だった。
「あちゃー、じゃあ誰か護衛についてくれよ。俺も行くからさ」
しかし誰も手を挙げない。
シャネルは? と視線を向けると「私は行かないわ」と視線で返された。
「私が行こう」
手を挙げくれたのは土方だ。
「おお、ありがとう!」
「お、お前を行かせると危なっかしい」
「え?」
土方は声をひそめる。
「シンク、お前にはそういうところがあるのよ」
いま、俺のことシンクって呼んでくれた?
ちょっとびっくり。
「分かりました。外は寒いでしょうから、準備を。素早くお願いしますよ」
「承知した」と、土方。
「シャネル、なんか服ある?」
「ドレスでいい?」
……え?
ああ、冗談か。
「女物じゃなくてさ、ちゃんとした温かいやつ」
「たぶん何枚かあるわよ、出してあげるわ」
というわけでお着替えだ。
シャネルは暖かそうなコートを出してくれた。いつの間に買っていてくれたのか分からないが、黒いコートだった。
それに着替えて、すぐにまた廊下に。
他の2人も着ぶくれした姿で現れる。
「すぐに行きますよ」
澤ちゃんはもう気もそぞろという感じ。
「あんまり急ぐと怪我するよ」
という俺の忠告も聞こえているのだか。
外に出るとさすがに寒い。
その寒さにまったく動じず、澤ちゃんは歩きだす。
いつの間にか雪は俺たちの膝くらいまで積もっている。すごい雪の量だ。
1メートル先さえも雪で見えない。
「あまり離れるな!」と、土方は叫ぶ。
しかし澤ちゃんはなにも答えずに先に進む。
おいおい、大丈夫か?
分からないが、一心不乱に前に進んでいく。雪に足をとられているのに、ラッセルのように進む。その分後ろをついていく俺たちは歩きやすいのだが。
しばらく進むとさすがに疲れが出てきたのか、澤ちゃんの足が止まった。
「はあ……はあ……なんですか、この雪は!」
「北海道だからね。変わるよ、俺が前に行く」
ラッセル役の交代だ。
実際、新雪の上を歩いてみると分かるのだがこれがけっこう足腰にくる。女の人の脚力じゃあかなり厳しいだろう。
いつもならばすぐにつく港まで、とんでもない時間がかかる。
それでも俺たちは雪だるまのようになりながら、なんとか港についた。
足が冷たすぎてほとんど感覚がなくなっている。開陽丸の中で休みたい……。
だが、そんな俺たちが目にしたのはありえないほどに斜めに傾いた開陽丸の姿だった。
「なっ――」
澤ちゃんが目を丸くする。
「おいおい、これは――」
「まずいんじゃないのか?」
おかしいだろ、この傾き方。斜め45度くらいになっている。
嫌な予感、というか確信がしていた。




