644 江差の町にて
開陽丸は江差の町に停泊。その後数十名で上陸し、土方たち陸軍を待った。
開陽丸は炉を止めた。大休止である。
人間と同じように船にだって休息は必要なのだ。
土方たち陸軍がやってきたのは、俺たちが江差についた翌日の昼頃だった。俺たちはその頃までに江差の町に住む人たちの中で、顔役ともいえる商家の旦那と話をつけていた。
「誰も手伝ってくれとは言っていないぞ」
俺たちは商家から部屋を借りて、そこでゆっくりしていた。
「まあまあ、土方さん」と、俺はにこやかに笑う。「せっかくなのでみんなで戦った方が良いでしょう?」
「その猫なで声をやめろ。まったく……私たちだけでやるつもりだったのに」
「しかし土方氏。松前藩の戦力は私たちが思っていたよりも多いようですよ」
澤ちゃんの言葉に、土方はふんと鼻で笑う。
「お前たちは船から大砲をジュドンと撃っていただけだろう?」
「そう、ジュドンと」
擬音が面白かったのでからかうと、刀を抜かれた。
俺は両手を上げて「冗談だよ」と降伏の意をしめす。
「そうか、冗談か。私からの忠告だが、榎本。貴様の冗談は面白くないぞ」
「うん、よく言われる」
言われたのは久しぶりな気がするけど。最近言われなかったのでもしかしたら俺にもユーモアのセンスが生まれたのかと思ったが、そんなことはなかったらしい。
「話を戻す。やつらは農民の集まりだ。武士ではない。そんな人間が何人いようと、我々新選組からすれば鎧袖一触だ」
「鎧袖一触?」
難しい言葉。
「ちょっと触っただけで簡単に倒しちゃうって意味よ」
横からシャネルが教えてくれる。
「なるほどね」
つまり楽勝だったと言いたいわけだ。
まあそれならそれで良かったのだが。
ふと、部屋にアイラルンが戻ってきた。さきほどトイレに行くと言って出ていっていたのだ。
こんなこと言うと変態かと思われそうだが、アイラルンのやつ今朝からトイレが多いぞ。
いまもまだ腹に違和感があるのか、腹部を両手で抑えている。
「イタタ……」
「なんだよアイラルン、腹痛か? 飲みすぎじゃないのか」
「貴女、昨晩もたらふく飲んだでしょう? そのうち体を壊すわよ」
「わたくし女神ですもん。体は丈夫ですもん」
と言いながらも、いままさに体の調子が悪そうだ。
それを土方が目ざとく見つけた。
「どうした、腹か?」
「ちょっと……」
「そうか、ちょっと待ってろ」
そう言うやいなや、部屋を出ていく。
どこに行ったのだろうか? と、思っているとすぐに戻ってきた。
「これをやる」
「でた、薬だ」
この前もアイラルンが船でもらっていた。
「えー、これ苦いから嫌ですわ」
「うちの石田散薬は苦いが、よく効く。この前も効いただろう?」
「たしかにそうですわね。一服もらいますわ」
「どうぞ、お嬢さん」
お嬢さんと呼ばれて気を良くしたアイラルンは、粉末薬を口に含む。そしてなにをするかと思えば、どこからともなくひょうたんを取り出した。中身はたぶん酒だ。
その酒で薬を流し込んだ。
「ゴクゴク」
「いやいや、待て待て!」
土方が慌てて止めようとする。
が、もう遅い。
「ゲップゥ~」
飲み終えたアイラルンは大きなゲップをかます。
最低だ。
これが本当に女神の姿か?
「大丈夫なのか? そんなことして?」
薬を持ってきた土方本人も知らないようだ。
「気にしないでください、いつもこうなんですのこの女は」
だけどさすがに呆れた。
こういう姿――つまり重度のアル中――を見ていると、自分は気をつけなければと思う。
「そうそう、いつもお酒ばっかり飲んでるの。もうダメなのね、病気なのよ」
「あら、わたくし総スカンの流れですの?」
当たり前だ。
「ま、まあ。少し驚いたが石田散薬は酒で流し込んで効能が落ちるほどヤワなもんじゃない。だが、次はやめろよ」
「はいですの!」
「返事だけは良いんだよなぁ……」
「シンクもね」
「え、俺も!?」
なんだかなぁ。
それから、明日以降の予定の話し合いになった。
土方たち新選組は数回の戦闘があったので疲れているということで、明日まで休憩するということになったのだ。なので明日以降。
開陽丸はこのまま海沿いを進み、松前城の攻略を援護する。そして大鳥さん率いる伝習隊も、ここからは土方たち陸軍に同行することになった。
船には伝習隊のメンバーもそれなりの数、乗っていたのだ。
もしかしたら大鳥さんはそのつもりでついてきたのかもしれない。
「ではそういうことで行きましょう。大鳥さんもそれで良いですね?」
「分かりましたよぉ、仲良くしてね土方さん」
「お前たちが我々の邪魔をしないなら仲良くしてやる」
「おお、怖い。見てよ榎本くん。土方さんったらいつもこうな――」
の、よ。
と、つなげながら俺の手を取ろうとしてくる大鳥さん。
いきなりのボディタッチだ。
しかしそれはシャネルによって防がれる。
パチン、と音がして伸びてきた大鳥さんの手がはたかれた。
「なんのつもり?」
シャネルが臨戦態勢をとっている。はたいた手とは逆の手に、ナイフが握られていた。
「え、えーっと?」
いきなりのことで大鳥さんも理解ができていないのだろう。
青白い顔をして俺とシャネルの顔を交互に見比べる。
「人の旦那にちょっかい出そうだなんて、いい度胸ね」
旦那じゃないよ。
いや、マジで。
「え、ご結婚なされてたんですか!?」
と、澤ちゃんも驚く。
いやいや、あんたは驚いちゃダメだろ。俺が榎本武揚じゃなくて榎本シンクだってバレちゃうしさ。
「してるわ」と、シャネル。
「してないから!」
真面目な顔で嘘つかないで。信じる人がでるから。
「そうですわ、朋輩はシャネルさんとは結婚しておりません」
「そうそう」
「わたくしとゾッコンなのですわ!」
たぶんアイラルンは面白いことを言ったつもりなのだろう。確信、こいつの冗談のセンスは俺とどっこいどっこいだ。
「なにを言ってるのかしらこの女神は? 殺されたいの?」
「殺せるものなら殺してみせなさいな!」
シャネルがナイフを投擲しようとする。
それを俺は慌てて止める。
「やめなさいってば!」
本当に、本当にやめて!
ケンカしないで!
「あ、あの……」
ことの発端となった大鳥さんはいきなり蚊帳の外だ。
「なによ、貴女まだいたの?」
いたの……って。そりゃあいるでしょシャネルさん。
「えっと、榎本くんと結婚してるの?」
「してるわよ」
「してないよ! してない!」
どうしてこういう嘘つくかな? いつものことだけど!
シャネルはナイフをしまおうとしないし、一触触発の雰囲気を1人だけ放っている。
どうにかしてこの場を収めなければ。
そう思った瞬間だった――。
部屋の中をまばゆい光が包み込む。
その数秒後に音がする。ゴロゴロという、まるでドラゴンの唸り声みたいな音だ。
稲妻だ。
「ああ……始まりましたわ」
アイラルンがまたお腹を抑える。
「なにがだ?」と、俺は聞いた。
「外、天気が悪くなりますわよ」
え?
いや、まあたしかに雷が鳴ったら雨も降るよな。
そう思っていると。
天気は急転直下。
最初は雨が降り出して、それはすぐに雪になった。雪というよりも吹雪だ。
「荒れますか?」
澤ちゃんは心配そうに言うが。それに答えられる人間は誰もいなかった。




