639 人間暇だとろくなことをしない
「澤ちゃん!」
勢いよく部屋の扉を開けた。
「どうしました、榎本殿」
「土方の話、聞いた!?」
「はい、彼女がさきほど来て松前藩を攻め落とすと」
「こうしちゃいられない! すぐに俺たちも行こう!」
「え、なんでですか?」
「仲間をほうっておいて良いのかよ!」
というのはもちろんお題目である。
本当は俺が暇だから。
「しかし松前藩の攻略は土方氏率いる新選組だけでやると言うので許可したものですが。榎本殿もそういう話を聞きませんでしたか?」
「聞いたよ、それで俺が置いていかれた」
「べつに良いではありませんか。土方氏に任せましょう」
「そんなわけにはいかないだろ! そもそもさ、こっちに戦力があるならそれを利用していっきに敵を叩いたほうが良いに決まってる!」
「まあ、たしかに。もしも土方氏たちが負けるようなことがあれば、どちらにせよ討伐のための兵を差し向けることになりますからね」
「だろ?」
「戦力の逐次投入は下策ですからね」
「というわけでさ、俺たちも行こうぜ?」
「うーん、しかしですね」
澤ちゃんは悩んでいる。しかしあとひと押しもすれば心が動きそうだ。
このまま押せ押せで行く!
と、思っていたら背後から声がした。
「ふっふっふ、わたくし知っていますわよ」
「誰だ!」と、振り返る。
ちなみに誰かなんて声を聞いた時点で分かっていた。アイラルンだ。
アイラルンは部屋の入り口のあたりで壁に背中を預け、格好付けるように腕を組んでいた。いかにもニヒルな強キャラ、という感じを出そうとしているのだが。いかんせん口元の笑みがだらしない。
「朋輩はただ暇なだけでしょう?」
「いや、そんなことはない。俺は土方のことを思ってだな。増援をおくろうとしてるんだ」
「でしたら朋輩が行く必要はないのでは?」
「そこはほら、言い出しっぺがやらないとさ」
「いえいえ、朋輩にもしものことがあれば誰も責任がとれません。ここは待っているべきですわ」
くそ、なんだアイラルンのやつ。
俺の足ばかり引っ張りやがって。
べつに悪い予感がするわけではない。なにかしらの忠告というつもりはなく、ただただ嫌がらせをしているだけに思える。
「澤ちゃんはどう思う?」
「アイさんの意見に賛成ですが」
くそ、聞く相手を間違えた。
これでシャネルだったら二つ返事で俺に同意してくれたのに。
「俺だけ留守番か?」
「朋輩は総帥ですから」
「総帥、総帥ってさ。その言い方嫌いなんだけど?」
逆襲のなんたらみたいだし。
「赤い彗星ですわ!」
「人の思考を読まないで!」
まったく……このままでは本当に何もすることがない。
「澤ちゃん、頼むよ」と、俺はなんの理もなくただ頭を下げた。
「そう言われましても。榎本殿の言う通り増援をおくるのはやぶさかではありません」
「うん」
「しかし榎本殿本人が出陣する必要は皆無です」
「だからね――」
俺は暇なの。
と、言おうとして口をつぐむ。
さすがにそんなこと、言うべきじゃない。
「朋輩、暇つぶしに大切な人の命をかけるべきではありませんよ」
「ぐぬぬ……」
反論できない。
たしかに俺だけが単騎で出撃するのならば問題はない。けれど俺はそういう立場にない。
俺が出るとなれば当然護衛がつく。人が増えればそれだけ死ぬ可能性のある人の数も増える。もちろん、誰も死なないかもしれない。
しかしそれは分からないのだ。サイコロをふってみるまで出る目が分からないように。
「諦めましょう、朋輩。人間、暇だとろくなことをしませんわ」
「……わかったよ」
どうせ俺は運がないのだ。
サイコロをふる前から結果なんて分かってる
「ああ、そうだ。でしたら開陽丸で行くというのはどうでしょう?」
しかし、澤ちゃんがいきなりの提案をしてきた。
「開陽丸で?」
開陽丸というのは俺たちがもつ海軍の旗艦である。俺たちはここまでその船できた。
「船というものは人間と同じで長らく動かしていないとなまります。幸いにも松前藩は海上に面した位置にあり、船からの射撃での支援が可能です」
「なるほど! それなら人が死ぬ可能性も少なくてすむ!」
どうよ? と、俺はアイラルンを見る。
「まあ、朋輩がそれで良いというのならば。はい、船で行きましょう」
アイラルンが女神っぽく笑った。
その笑顔がなんだか怪しく感じて。
俺は嫌な予感を覚えた。
「やっぱりやめておこうかな」
「あら朋輩、ビビってますの?」
「いや、そうじゃなくて。いま嫌な予感がした」
「まあまあ、朋輩。そう言わずに」
なんだろう? 俺はなんとなく察した。
「お前、もしかして開陽丸で行ってほしかったのか?」
そういうふうに会話を誘導した?
「さあ、なんのことやら」
怪しい。
かなり怪しい。
「朋輩、わたくしを信じられないというのですか!」
わざわざこんなこと言うあたり、怪しさ倍増だ。
「うーん」
「澤さん、さっさと開陽丸を出す準備をしてくださいまし!」
「分かりましたよ」
「アイラルン、お前なにか隠してない?」
「ぜんぜん隠してませんわ!」
べつに良いけどさ、と俺はため息をつく。
ただ少し水臭いじゃないか。俺たちは朋輩だと思っていたのに。
「ああ、そういやアイラルン。シャネルがお前になにか聞きたいって言ってたぞ」
「わたくしに?」
「なにかは知らないけどさ」
シャネルも呼んでこようか。もしかしたら一緒に来てくれるかもしれないしな。
「なにか嫌な予感がしますわ」
と、アイラルンはまるで俺みたいなことを言う。
とりあえず、俺たちは船で行くことになったのだった。




