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636 ラム肉


 ワイン瓶を一本開けたころ、シャネルが部屋に戻ってきた。


「おまたせ」


 手にはいつもの通りの炭化した料理。


「ワー、オイシソウダァ」


「朋輩、声が裏返っておりますわ」


「うるさい、さあ食べるぞ」


 やけ食いだ。


「澤さんもいたのね、なにか大事なお話?」


「そうです。シャネルさん、今度選挙をやろうと思うのです」


「あら、良いんじゃない。いかにも近代国家らしい名案だわ」


「ドレンスでの選挙制度などを参考にしようと思うのですが」


形骸化けいがいかさせないようにね」


 シャネルの難しい言葉に、澤ちゃんが顔をひきつらせた。笑おうとして失敗した感じだ。


 なにかしらの不正を働くつもりかもしれないな、と俺は改めて思った。


「そんなことよりシャネルさん、わたくしお腹がすきましたわ」


「はいはい、どうぞ」


 皿に乗っているのは、なにかの肉だろうか?


 いかんせん真っ黒なせいでよく分からない。隣には新鮮な野菜がそえられているが、炭化した料理とギャップが激しすぎて、むしろ野菜のほうが浮いて見える。


「これ、なんのお肉ですの?」


「羊よ」


「ラム肉ですのね」


「なるほど」


 ラム肉といえば臭みがあるものだが、ここまで焼いてしまうとよく分からない。


「食べるか……」


「ですわね」


「え!? これ食べるんですか?」


 さすがにおかしいと思ったのか、澤ちゃんが止めようとする。


 が、俺たちはそうだよ、と頷く。


「出されたものは食べる、それが日本人特有のもったいない精神というやつだ」


「澤さん、それは言わない約束ですわよ」


「大丈夫、食べても問題はない……はずだ」


「朋輩が証拠ですわ!」


「そ、そうなのですか?」


 半信半疑な感じの澤ちゃん。


 俺は男として最初に安全であることを示す。


「いただきます!」


 大皿に乗せられたラム肉にシャネルが持ってきたフォークを突き立てた。そしてナイフでさっと切り分け、口に運ぶ!


 口内いっぱいに広がる炭の味。


 しかしその中心部は普通に肉の味がして……。


「シンク、それ焦げてる部分削ぎ落とすのよ?」


「え?」


「焦げてるじゃない? 見えないの」


 俺はモチュモチュ、ごっくん、と外見だけ焦げたラム肉を飲み込んだ。


「焦げてるね」と、言う。


「中々うまくいったのよ」


「いつも通りうまくいったわけだ。」


 意地になってもう一度、焦げたまま肉を食べる。


「いや、だからね。少しだけ削ぎ落とすの。そういう調理の方法なのよ」


「そうなのか」


 パクパク。


 モグモグ。


 ゴックン。


「朋輩?」


「ああ、美味しい美味しい」


「といとう頭がイカれてしまいましたわ」


「シンク、それ削ぎ落とすものだわ」


「ワカッタヨー」


 自分でもなんでこんな意地を張るのか分からないが、なんとなく腹がたって。


 いまは反省しています。


 シャネルがさすがに本気で心配しはじめたので、俺は素直に焦げた部分を削ぎ落とすことにした。そうしてみると、普通のラム肉だ。芯までちゃんと火が通っている。


「シャネルさん、料理が上手になりましたわ」


「あら、そうかしら?」


「これなら普通に食べられますわ!」


「まだたくさんあるわ。たんと食べてね」


 なんでもいいけど『たんと』ってあんまり使われない言葉な気がする。とくに日常会話では。


「あの、私もいただきます」


「澤さんもどうぞ」


 というわけで、俺たちはご飯を食べるのだが。


「それで、選挙っていつするの?」


 シャネルが聞く。


「来週には、と考えております」


「早い方が良いのか?」


「トップが不在の宙ぶらりんな組織という状態は、早く解消するべきです」


「なるほどね」


「ちなみに立候補者は?」


「榎本殿を入れて、おそらくは2人。もしかしたら土方氏などが立候補するかもしれませんが」


「どうだろうか」


 それはないんじゃないだろうか、と思った。


 俺の想像する土方はそういうことをする人ではない。


 たぶんトップに立つよりも、その補助をすることをする人間だと思う。


「で、その選挙で不正でもしてシンクを勝たせるわけ?」


 シャネルも俺と同じようなことを思ったのか、不正についてたずねた。


「そういうことはしません」


「あら、そうなの?」


「どうせ不正などしなくても榎本殿が勝ちますよ。まあ、もしも負けた場合のことは考えてありますが」


「そのもう1人の人間ってのは?」


「お公家くげの方です。ただ戦場に立つということはできない人です」


「そんな人間に人がついていくのかしら?」


「だから大丈夫だと言っているのです」


 なるほどね。


 食事が終わると、澤ちゃんは部屋をでていった。


 それを見送って俺たちは3人だけになった。


 3人。


 共犯者である。


「さて朋輩、とりあえずわたくしたちも腰を落ち着けることができましたわね」


「だな」


「ここらで一つ、わたくしたちの目的の確認をしておきましょう」


「目的って、俺は復讐だろ?」


 タケちゃんを殺したあの男。


 シワスと言ったか?


「でもシンク、こんな場所まで来て。あの人斬りが来るかしら?」


「そうなんだよなぁ」


「大丈夫ですわ、来ますわ」


「どうしてそんなことが言える?」


 妙に自信がありそうなアイラルン。


「あの男性を裏で操っているのはディアタナですわ。ということは、わたくしたちを討伐に来るはずです。そこで返り討ちにしてやればいいのですわ!」


「なるほどな」


「そしてわたくしの目的はディアタナに一泡吹かせてやること。この世界の時間を進めてしまうのですわ!」


「時間ねぇ……」


 ま、そこらへんは俺たち人間の考えることじゃないんだろうな。好きにすればいいさ。


「私はべつにシンクについてくだけだわ」


「朋輩、お気をつけくださいね」


「うん?」


「やつらはいつ、攻めてくるのか分かりません」


 そのアイラルンの言葉を、俺はどこか不吉なものとして受け取るのだった。


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