634 どうせその人、死なないわよ
それでまあ、結果的にアイラルンと一緒に澤ちゃんのところに戻ることになった。
五稜郭の近くに置かれた陣営は、俺が飛び出したときとまったく変わらない様子で。しかし勝利の吉報はすでに届いていたのだろう、浮かれた雰囲気があった。
「榎本殿! 行くなと言っていたでしょう!」
「いや……すいません」
「クドクド、クドクド――」
それからこってりと絞られた。
本当にいつも澤ちゃんの話は長いし、くどい。個人的にはこってり系のラーメンよりもちょっと薄味なくらいが好きだ(どうでもいいね)。
「ねえねえ、シャネルさんシャネルさん!」
その間にもアイラルンはシャネルに告げ口をしに行く。
「あら、貴女まだ生きてたの?」
「ひ、ひどいこと言いますわね」
「それで、なに?」
「朋輩が女に誘われてましたわ!」
「は?」
シャネルの目がつり上がった。
「違う、違うからね!」
俺はなんとか言い訳しようとするが――。
「榎本殿、私の話はまだ終わっていません!」
澤ちゃんに首根っこを掴まれる。
「違うんだってシャネル、本当に俺べつに悪いことしてないから!」
「シンクは少し黙っていてね。で、アイラルン」
「はいですわ!」
「その話、詳しく聞かせなさい」
ああ、ダメだ。シャネルがあきらかに嫉妬の炎にかられている。
目がマジだ。
そして、それを見て俺は思わずニヤけてしまう。
「榎本殿、どうして怒られているのに笑っているのですか」
「え? あー、いや」
ニヤニヤ。
なんというかね、嬉しいんだよね。嫉妬とかしてもらえるとシャネルが俺のことを愛してくれてるんだなって実感できて。
まあ、俺もそうとうこじらせてるから、そういう思考になっちゃうんだろうけど。
「あの女ですわ、大鳥とかいう。あの女が朋輩に色目をつかってましたわ!」
「ふうん、そう。いい度胸だわ」
「ですわ!」
「そもそも、最初から気に入らなかったのよね」
「ですわ!」
「あの髪の毛の色が、いかにも自分は清楚でございますって感じで」
「ですわ!」
じゃあ銀髪と金髪はどうなの?
黒髪がイコールで清楚なら、ピンクは淫乱? あるいは血の色?
さてはて、金と銀は……。
「ねえ、アイラルン。正直に答えなさい。あの女と私、どっちが可愛いかしら?」
シャネルはなんだか白雪姫の意地悪な継母みたいな質問をアイラルンにする。
「そうですわねぇ、好みの問題かと」
意外にもアイラルンは話を合わせなかった。
「それもそうね。じゃあシンクの好みは私とあの女、どっちかしら?」
それを決めるのはアイラルンでなく俺では?
「そうですわねぇ」
アイラルンはあごに手を当てて考え込む。
「はあ……」
澤ちゃんがため息を付いた。きっとシャネルとアイラルンの会話にあきれているのだろう。
「あいつら、いつもあんなバカな話してるんっすよ」
「私からすれば榎本殿も同じようなものです」
「えっ!」
「まあ、だからこそ榎本武揚も、貴方を好んだのでしょうね」
どうやらお説教は終わったらしい。なあなあで。
「ちょっと、そこは即答するところでしょ?」
「ああ、分かりましたわ!」
「私でしょう?」
「朋輩が好きなのはわたくしですわ!」
いや……だからそれを決めるのは俺だ。
というかシャネルさん……。
「うぐうぅっ! く、くるしぃ~」
アイラルンの首をしめている。
「貴女ほんとうにいい加減にしなさいよ!」
「死ぬ、本当に死にますわ!」
「まだ喋れるなら大丈夫ね!」
「むうーっ!」
あ、アイラルンが口から泡を出した。
「よし、死んだわね」
シャネルがアイラルンの首元から手を離す。アイラルンは受け身もとらずにその場に倒れた。
「えっ、えっ!?」
さすがに澤ちゃんも驚いている。
「あはは、冗談がきついなぁ。シャネル、やりすぎだぞ」
冗談、だよね?
アイラルンもちょっと寝てるだけだよね?
俺は近づいて、足で少し蹴ってやる。
だが……。
動かない。
まったく。ピクリともしない。
澤ちゃんがアイラルンに近寄って、脈をとった。
「こ、これ……息してませんよ?」
「え、マジで?」
「心臓も、動いてません」
「嘘だろ! シャネル、お前マジで殺しちゃったの!?」
「殺すつもりで絞めたわ」
「冗談だろ!」
どうしよう、どうしよう。
心臓マッサージとかするべきか?
アイラルンの胸を、揉むの? いや、心臓マッサージってそういうもんじゃないと思うんだけどね。でもそれくらいやらなくちゃ……。
「どうせその人、死なないわよ」
「あっ、そうだった!」
じゃあこいつ、何してるの?
もしかして死んだふり?
と、思ったらアイラルンは突然立ち上がった。
「本当に殺す人がいますか!」
「わっ、生き返った!」
澤ちゃんからすれば死んでると思ってた人がいきなり立ち上がったのだから、そりゃあもう驚いてるだろう。
けれど俺たちは知っていた。そして俺は知っていて、忘れていた。
アイラルンはそもそも死なないんだった。
「ちょっとしたストレス解消にはなったわね」
「ひどいですわ!」
「さあ、アイラルン」
「なんですの?」
「遊んであげたんだから、次は私を手伝いなさい」
「え?」
意味が分からない、とアイラルンは首を傾げている。助けてくれとでも言うように俺を見た。
「いや、俺もシャネルの言っていることは意味が分からない」
「練習もすませたわ。次はあの女を殺しに行くわ」
「いやいやいや」
冗談だろう?
「わたくしも犯罪の片棒をかつぎますの?」
「良いから来なさい」と、シャネル。
「わたくし、いちおう女神なのですけど?」
「だからなに?」
「さすがに人を殺すのはマズイのですが」
「関係ないわ」
「いや、関係ありますわよ! 朋輩、助けて! ヘルプ、ヘルプ!」
「シャネル、その、よしたほうが……」
シャネルはバカね、とそっぽを向いた。
「冗談よ」
「え?」
「だから、冗談。さすがに殺そうとはしないわ」
わ、分かりにくい……。
「だってシンクが一番好きなのは私でしょう? ならそれで良いじゃない」
「お、おう」
マジでなんだこの女。
ちょっと頭のどっかがおかしいんじゃねえの?
いや、まあ、元々か。
シャネルはニコニコ笑っている。その笑顔だけが、俺は怖かった。




