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630 足の速い馬


 雪が降っていた。


 この雪は積もりそうだな、と俺は思った。


「ウズウズしてる?」


 シャネルが耳元で聞いてくる。


「いいや、べつに。俺は戦闘狂じゃないよ。ただ――」


「ただ?」


「みんなが戦ってる中、後で見てるだけってのは俺の流儀じゃねえな」


 戦闘が始まって2時間ほどの時間がたっていた。


 俺はその間、ずっと後のほうで五稜郭を眺めていた。


 背後にはテントのような陣地がはられている。中にはそれなりに偉い地位の人間たちがいる。たとえば澤ちゃんや、キャプテン・クロウ。あとは名前の知らない人もちらほらといた。


「ダメですよ、榎本殿」


 澤ちゃんがテントから出てきた。俺とシャネルの話を聞いていたのか、疑うような視線を俺たちに向けていた。


「分かってる」と、言いながらも。


 俺の足は動きだしそうだった。


「貴方は我々の総大将、後でどっしり構えてくれなければ」


「大丈夫だって、そんなに何度も言わなくても」


「本当ですか?」


「というか澤ちゃん、船に戻ってなくてもいいの? キャプテン・クロウは俺と同じでたぶん野次馬根性があるから戦闘を見に来たんだろうけど、澤ちゃんは船にいたほうが良いんじゃない?」


「私は榎本殿のお目付け役です」


「監視役の間違いじゃなくて?」


「そうとも言います」


「あら、シンクの見張りは私がやっておくわよ?」


「シャネルさんは榎本殿に甘すぎますので」


「あら、そうかしら? シンクはどう思う?」


「シャネルは優しい子だよ」


 てきとうに答える。


 たぶん返事としては正しくないのだろうけど、シャネルは嬉しそうに微笑んだ。


「まあ、なんにせよ俺はちゃんとここにいるから」


「本当ですか?」


「本当だって」


 澤ちゃんはやはり俺のことを信じられないのか、テントの中には戻らない。


 なんだかなぁ、本当に監視されてるみたいだ。


「絶対に、ここにいてくださいね」


 念を押すように澤ちゃんが言う。


「でも俺が行った方が士気が上がると思うけど」


「それで貴方になにかあれば本末転倒です」


「大丈夫だと思うけど」


 なにせ俺には『5銭の力+』のスキルがある。そうそう死ぬことはないだろう。


 とはいえ、澤ちゃんが心配するのも理解できた。


「ここは大人しくしておきましょう」と、シャネル。


「はいはい」


 俺はちらっと近くにいる馬たちを見た。杭の先から縄につながれた馬が数頭。その中からいちばん言うことを聞いてくれそうな馬に目をつけた。


 馬にアイコンタクトを送った。


(暇してるだろう?)


 すると馬は俺の目をしっかりと見つめた。


(まったくですぜ、旦那)


 たぶんだけど、そう思っているはずだ。


 ここらへんはまさか本当に会話しているわけではない。俺は動物と会話するスキルなんて持ち合わせていないからな。


 だけどなんとなくの勘で、言いたいことは分かるのだ。


(一緒に行くかい?)


(喜んで)


 ということで同意を得たわけだ。


 なんだかんだと言いながら、俺は戦場に行きたかった。そこでみんなと戦いたかった。


 だって、俺にはそれくらいしかできないのだから。


「そういえばアイさんはどこへ?」


「ああ、あいつか。そういや見ないな」


 さっきまでそこらへんにいたと思ったんだけど。


「どっかで野垂れ死んでるんじゃないかしら?」


 シャネルが地味に辛辣しんらつだ。


「勝手な行動をされては困ります」


「あ、じゃあ俺が探してくるよ」


 おもむろに馬に近づく。そして縄を外してやった。


 茶色い毛並みの、足の長い馬だった。なかなか凛々しい顔をしている。俺がルオで乗っていたバカ馬とは大違いだ。


 馬はじつに自然な動作で背中を下げ、俺に乗るようにうながした。


「じゃ、行ってくるから」


 俺はひょいと馬に乗る。


「ちょ、ちょっと!」


 あまりにスムーズな動作だったので澤ちゃんは止めるタイミングがなかったのだろう。


 慌てて前に出て俺の行く手を塞ごうとするが。


「危ないぞ!」


 馬が威嚇するように前足を高く上げた。


「きゃっ!」


 澤ちゃんまるで女の子のような悲鳴を上げて飛び退く。


 いや……女の子だな。


「シンクちょっと乱暴よ」


「シャネルも行くか?」


「私はいいわ。どうせ魔法も使えないし」


「そうか。じゃあ澤ちゃん、ちょっと見てくるだけだから」


「バカ!」


 なんだかすごい低俗な罵倒をされた気がするが、無視して馬を走らせる。


 馬に乗ってしまえば五稜郭は目と鼻の先だ。


「行こうぜ、お馬さん!」


 俺は即席の相棒に叫ぶように声をかける。


 馬は高飛車な態度で鼻を鳴らすが、しっかりとスピードをあげた。


 戦場の中心は五稜郭の内部だ。最初こそ野外での戦いもあったのだが、そちらは土方や大鳥の率いる部隊に蹴散らされた。


 いまでは五稜郭の内部から、思い出したかのように砲弾が飛んでくるばかりだ。


「おっと!」


 俺は馬の手綱を引いて走る方向を変えた。


 そのときどきの砲弾が、俺たちの前方に着弾したのだ。


「運が悪い!」


 それともこちらを狙ったのか?


 もしも五稜郭の中に砲撃手が残っているのだとしたら、馬に乗って一直線に向かってくる人間はさぞ目立つことだろう。


 あたりに遮蔽物しゃへいぶつもない。


「俺とお前の腕と足だけで、避けなくちゃならねえよ」


 馬は望むところ、とばかりに鼻を鳴らす。


 おそらくこいつは軍馬なのだろう、好戦的な性格のようだ。それを証拠に、あたりには死体が転がっているというのに臆する様子もない。


 馬というのは意外と臆病な動物なのだ。訓練していなければ血の臭いだって苦手だし、人が多くいる場所も苦手だ。それに大きな音も。


 だというのにこの馬はゆうゆうとまるで自分の庭でも走るような気楽さで走っていく。


「良いぞ、この調子だ!」


 転がる死体や武具の残骸をよけて俺たちは五稜郭へと近づいていく。


 また砲弾が撃たれる。


 俺はそれを最初は嫌な予感として。次に視覚、聴覚などの器官で感じ取った。


 すぐさま回避行動に移る。


 馬はなんの文句も言わずに俺の手綱の通りに移動してくれる。


 やがて、砲撃がやんだ。おそらく砲台が占領されたのだろう。


「これで少しはゆっくりできるぞ」


 俺は馬にそう言った。


 だが。


 グンッ。


 と、スピードがさらに上がる。


「お、おい!」


 驚いた。一瞬、振り落とされるかと思ったくらいだ。


 危険もさったことだし、全力疾走を見せてくれているのだろう。


「分かった、分かったから。お前の足の速さはよく分かったぞ!」


 俺はそう言うのだが、馬は一向にスピードを緩める気配はない。


 ついには一瞬とも言えるほどの速さで五稜郭まで来てしまった。


「すごいな、お前」


 俺は感心してしまった。これまで何度か馬に乗ったが、ここまで足の速い馬は初めてだ。


 ただ、もしかしたら長距離の移動は苦手なのかなと思った。


 陸上選手で例えるならば短距離タイプだ。最高速は速いかわりに持久力がない。


「よし、じゃあ中に行くか」


 馬は少し息を切らせていたが「分かった」と頷いた。


 五稜郭の入り口。あたりを見回す。敵どころか、人っ子一人いなかった。


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